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私のいきた道
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1:
主
これはノンフィクションで私の話を書いていきます。
2006-09-04 02:43:00 -
72:
赤木ハルカ
病院から帰り、一人考え事をしていました。一人でも産みたい・・・でもこのまま東京にいると私は働く事も出来ないし赤ちゃんを育てていく事も出来ない。実家に帰って親に報告しないと・・・でもユゥキを一人だけ置いて行けない…
しばらくして帰ってきたユゥキに私は今の思いを伝えました。ユゥキは「ハルがそぉしたぃんやったらしぃ♪♪」と言ってくれ、でもユゥキを一人置いて帰りたくなぃ事も言いました。「ハル、私思うねんけどな、中絶して後悔する事はあっても産んで後悔する事は絶対になぃと思うねん。ハルに私みたいな後悔はさせたくないゎ私はどれだけ離れててもずっとハルとお腹の赤ちゃんの事大切に思える自信があるもん♪♪」・・・『ユゥキの赤ちゃん』への想いと私に対して想ってくれているのが強く伝わってきました。
2006-09-07 03:55:00 -
73:
赤木ハルカ
私はユゥキに「産んで落ち着いてから子供も連れて絶対にユゥキの側に帰ってくるから!!待っとぃて!!」固い決意でした。
数日後、私はユゥキとの再会を近い新幹線に乗りました。実家を越え両親の住んでいる岡山県にそのまま向かいました。岡山の両親の家は山に囲まれた大自然な場所にあり渋谷とは正反対の場所でした。派手な渋谷娘が田舎の駅に降りた時駅員サンも珍しい動物を見るよぉな顔をしてこっちを見ていました。父親が迎えにきて、両親の家に行き、その日は両親が全く赤ちゃんの事にふれてきません。私達親子の間には見えない壁が出来ていました。
次の日も、次の日も・・
全く赤ちゃんの事にふれない両親に私は自分から話しを振りました。
2006-09-07 03:58:00 -
74:
赤木ハルカ
「あんな、赤ちゃんな、、産みたいねん…」
母は溜め息をつき私に「あんたなぁ、父親は何て言うとんよっ!?」私は素直にリュゥ先輩の事を言いました。そしてリュゥ先輩には言ってなぃ事も・・・「子供を産むって事がどれだけ大変な事か分かって言ってるんか?お金もめちゃくちゃかかるし父親がおらん子を産んだりしたら子供がかわいそうやろぉ〜!!」「父親の役もハルがするもん!ハルのお腹におる子供やもん!!」母は又溜め息をしながら私の話しを途中までしか聞いてくれず台所に行ってしまいました。
その日から又赤ちゃんの話にふれてこない日が続きました。両親共働きで昼間は私一人で岡山の家にいました。携帯電話は田舎過ぎる為圏外で誰とも連絡が出来ずボ〜ッとテレビを見る事しか出来ませんでした。ある日、父か母が広告のウラにメモした紙がテーブルの下から出てきて私は何気に手に取りました。そこには岡山にある産婦人科が数件メモしてあり中期中絶費用の値段などが書いてありました。私は頭がおかしくなってしまいそうでした。親の所なんかに帰ってくるんじゃなかった・・・今すぐにユゥキの所へ帰りたい…
2006-09-07 04:18:00 -
75:
赤木ハルカ
私はその時から『この子が死なないといけないのなら一緒に私も死のう』と思うよぉになってしまっていました。どこで死ぬか、どぉやって死ぬか、ずっとずっとその事しか考えていませんでした。家にある薬箱をあさり眠剤を探したのですが見当たらず、一日一日、「今日も死ねなかった…」と思う日が過ぎていました。私はその頃から胎動を感じていました。私はその度「守ってあげれなくてゴメンな…」とお腹をさすっていました。ある日の夜中、母が私の寝ていた部屋にきました。私はあのメモを見た日から全く部屋を出ていませんでした。母は私の横に来て「ハルカ今日はお母さん一緒に寝てもぇえか?」私は無視し、母は私の布団に入ってきました。私は涙が流れ「ハルな、赤ちゃんホンマに産みたいねん。この子は一人しかおれへんし母親はハルしか出来ひんしこの子に会いたいねん…もぉオカンに迷惑かけたりせぇへんから…この子守ったげたいねん…」母に必死でうったえました。「まだお腹におるからハルカは産んだ後の大変さが分からんだけやねん!その子が大きくなった時に父親がおらんかったらかわいそうやろぉ?もぉお願いやからお母さんを困らせんといて…」私は母に理解してもらえず興奮し、「もぉぇえゎっ!!!この子殺すんやったらハルも一緒に死んだげるゎっ!!!」
2006-09-07 04:47:00 -
76:
赤木ハルカ
私は部屋を出て台所に向かいました。包丁を取り出し、追い掛けてくる母を振り切り裸足で家を飛び出しました。母が必死で追い掛けてくる中私は逃げて「来るな!!!」と、そして赤ちゃんのいるお腹を手でさすりながら「ゴメンなぁ〜」包丁を首に当て目を閉じて切ろうとした瞬間、、母は力強く包丁の歯の部分を握りしめ私から包丁を奪い取りました。母の手からは血が流れていました。息を切らしながら母は「頼むから、頼むから・・・・」私は力が抜け、そこに座りこんでしまいました。「お願いやから死なせてよぉ〜・・・死にたいよぉ〜・・・」「あんたも母親やけど私もあんたの母親や!!頼むから死にたいとか言わんといて!死にたいんやったらお母さんも一緒に死なせて!!な、ハル、お母さんと一緒に死のか…」母の言葉で私のした行動の重みにその時初めて気付きました。「でもオカンはハルと一緒に死んでもたらオトンも姉ちゃんも兄ちゃんも悲しむし…ハルだけのオカン違うからオカン死ぬん嫌やもん…」「自分の子供が一人でも死にたいんやったらお母さんはいつでも一緒に死んだげれるアンタもそぉなんやろ?」私は母に抱きつき血が出た手を押さえ何度も何度も泣きながら謝りました。
2006-09-07 05:10:00 -
77:
赤木ハルカ
その日私は母に腕枕をしてもらい一緒に寝ました。朝起きると母は仕事に出て部屋には誰もいませんでした。昼過ぎまで又部屋から出ずにトイレに行く為部屋を出たんです。すると食事をするテーブルには母が私に作ってくれた朝ご飯が置いてあり『赤ちゃんの分までちゃんと食べないとダメですよ』と書かれた置き手紙がしてありました。私は又ボロボロと涙がこぼしながら何日間もろくに食べていなかったご飯を食べました。
2006-09-07 05:25:00 -
78:
赤木ハルカ
産む事を受け入れてくれた母はその後父を説得してくれて、私は妊娠6ヵ月になっていました。岡山の家の周りは本当に山ばかりで買い物をするお店も車で30分走らせないと行けないよぉな場所だったので私は近くに病院がある実家に帰る事になりました。久々実家に帰って私の部屋がある2階に行くとそこにはベビーベットが置いてありました。姉に聞くと「たまたまもぉ使わんから言うて貰ってん」とベットの足にビニールの外し忘れがある事に気付かず下手な嘘をついてくれました。そしてトイレに行くと元々和式だったトイレが何故か洋式になっているのでビックリして姉に聞くと「腹がデカくなってきたら和式はしんどいかな…思ってに洋式にしてん」何か久々に私は幸せを感じました。
2006-09-07 05:47:00 -
79:
赤木ハルカ
実家に帰ってきてから2日ぐらいが立ち私は久々ユゥキに連絡を入れてみました。・・・・・ユゥキは携帯電話を解約していました。
それでも私は不安にはならず『又連絡がくるだろう』程度でした。
実家に私が帰った事で地元の友達が沢山連絡をくれました。地元の友達は妊娠している事にみんな驚いていましたがみんなが知っているリュゥ先輩の子供って事は私は言えませんでした。ある日地元の女友達がTELしてきて「今日ガソリンスタンドでリュゥ先輩に出会ってな、ハルに連絡してきて言うてたで…」私は驚きました。2006-09-07 06:01:00 -
80:
赤木ハルカ
自分から離れていったのにイキナリ連絡なんて、、簡単に出来る事ではありませんでした。私はその女の子だけに本当の話しをしました。彼女は驚いていましたが私にTELするよぉに進めてくれました。
私は何度かTELしよぉとしましたがやっぱり無理で・・・いつの間にか妊娠7ヵ月になっていました。
ある夜、私の携帯電話に知らない番号から着信がありました。私はリュゥ先輩かユゥキ、どちらかからの着信だと思いリュゥ先輩だったらどぉしよ…と緊張しながらTELにでました。「もしもし…」2006-09-07 06:11:00 -
81:
赤木ハルカ
「もしもし…俺やけど誰か分かる??」
リュゥ先輩・・・の声と違うよぉな…私が声を覚え間違いしてるのかな??
「ゴメン、分かれへん…」
「やっぱり分かれへんか・・・俺、タクミやけど…」
2006-09-07 06:17:00