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愛しき者へ
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1:
ぁさみ
1999年7月8日、私は元気な女の娘を産みました。その日。。。午前中に腰が痛みだした。少し横になりながら家事をして過ごした。だんなは夜勤だったから家に居たのに、まだ予定日まえだったからとスロットに出掛けた。私は腰の痛みは雑巾がけとかの疲れだと思いながらもしかしたら。。?それでも片付けなんかを休みながらしていた。
2006-05-07 10:04:00 -
2:
ぁさみ
しだいに腰の痛みは間隔が短くなってきていた。陣痛なんて経験に無いから一人、不安になり始めていた。だんなに連絡を取ろうと思ったものの携帯はテーブルの上に置いたまま。泣きたくなる気持ちを落ち着かせてだんなの母に連絡をした。
2006-05-07 10:09:00 -
3:
ぁさみ
すぐには母も来れそうに無かった。だんなを探して一緒に連れてきてくれると言ってくれた。とりあえず、入院の準備を分かりやすい所に用意した。今必要な物を持って私は病院に向うことにした。近所の知り合いが陣痛の時は車を出してくれると言っていたからそこまで痛みを堪えて向った。
2006-05-07 10:16:00 -
4:
ぁさみ
チャイムを押したものの返事は無かった。腰の痛みはかなりつらくなってきていた。お昼を少しまわっていた。とてつもなく悲しくなって泣きたくなる気持ちを必死で堪えて駅のタクシー乗り場まで歩いた。
2006-05-07 10:22:00 -
5:
ぁさみ
なんとかタクシーに乗り込み病院に向った。気付いたら運転手が道を間違えていた。へこむ気持ちを落ち着かせて、途中で降ろしてもらい少し歩いてやっと、病院に着いた。
2006-05-07 10:25:00 -
6:
ぁさみ
すでに疲れ果てた私に看護師は、市立病院にレントゲンを取りに行って来てと伝えた。さすがに泣きたくなるのを押さえまたタクシーで市立病院に向った。連絡はきていてすぐにレントゲンを撮ることが出来た。病院に戻って、検査が始まった。赤ちゃんの心音などを確認して分娩準備室に移った。何より恥ずかしかったのは浣腸かもしれない。
2006-05-07 10:35:00 -
7:
ぁさみ
トイレに行った時は赤ちゃんが落ちちゃうんじゃないかってとても不安になり力が入ってしまった。すでに夕方になっていた。その頃にはだんなもだんなの母も来てくれていた。いったん陣痛が治まりかけたので、病室に移ることになった。大部屋だった。パジャマに着替えてやっと、落ち着いた所でだんなはタバコを吸いに外に出ていった。母も一緒に行ったみたいだった。
2006-05-07 10:43:00 -
8:
ぁさみ
ふいに激しい痛みが襲ってきた。何度かがまんもしたものの、耐え切れずに看護師を呼んだ。すぐに心音の確認、子宮の開き具合の確認がされた。結局、分娩準備室に戻った。だんな達は病室に居ないので慌てて準備室に来た。隣の準備室に帝王切開の方が居て陣痛をがまんしながら家族ぐるみで仲良く話をしたりしていた。ベットに横になった時にめずらしくだんなは背中を擦ってくれた。例え母に言われたからだとしても嬉しかった。
2006-05-07 10:52:00 -
9:
ぁさみ
それでも陣痛はかなり痛くて本気で辛かった。歩いたり動き回りながら必死で堪えた。そしてたまたまだんな達がちょっと居ない間に限界が来た。分娩室に入るときに隣の準備室の方がだんな達には知らせてくれると言ってくれた。苦しい思いの中、ちゃんと産声をだんなや母に聞かせてあげたいと思いながら、涙が溢れた。泣いてる場合じゃないと叱られながら呼吸を整えた。貧血のあった私の腕には点滴が痛々しく刺さっていた。
2006-05-07 11:01:00 -
10:
ぁさみ
夜の7時過ぎ。生まれて初めての最大限の痛みと共に元気な赤ちゃんの産声を聞いた。点滴の痛みや子宮を少し切られた時の痛みや陣痛の痛みや産む瞬間の痛みも産まれたての赤ちゃんの顔を見たら、一瞬で消えそうな気がした。ほんの少し抱っこさせてくれた。私の赤ちゃんはすぐに新生児室に連れていかれた。急に痛みの余韻が襲ってきた。
2006-05-07 11:11:00 -
11:
ぁさみ
出産後の処理は出産以上に痛みをもたらした。点滴の針が微妙にずれていたらしく、腕は手首から肘あたりまで痛々しげなアザで染まった。私は分娩室で一人、取り残された。隣の分娩室には帝王切開の方が入っていてまさに手術が行われていた。孤独と痛みで悲しくてしかたなかった。それでも産声を聞いた時は自分とシンクロして感動していた。一人の看護師さんが時折様子を見にきてくれた。点滴も終わり、病室に移ることになった。大部屋ではなくちゃんと個室だった。私が分娩室に取り残されていた時に、だんなは女の子と分かって一瞬がっくりした後ろで、だんなの母は両手をあげて喜んでくれたと聞いた。
2006-05-07 11:26:00 -
12:
ぁさみ
ちゃんと産声を聞いたと嬉しそうに話してくれた。おつかれさま、よく頑張ってくれたねと、だんなの母が最初に語り掛けてくれたことに素直に喜んだ。だんなは母が少し席を外してる時にありがとうと、ぶっきら棒に言い、キスをしてくれた。
2006-05-07 11:37:00 -
13:
ぁさみ
コンビニで私の夕飯を買ってきてから二人は帰っていった。一人になり、出産の喜びや、体の痛み、赤ちゃんの顔を一瞬しか見れなかったことなどいろんなことを考えていたら涙が止まらなくなった。ただハードな一日に疲れ切っていたので、少しして深い眠りについた。それでも何度か目が覚めてしまったのは初めての体験に興奮していたからかもしれない。
2006-05-07 11:44:00 -
14:
ぁさみ
翌日、待ちきれず、痛みを堪えて新生児室に急いだ。お昼過ぎまで待たされた私は、赤ちゃんの顔を見て心の底から何とも言えない思いに幸せを噛み締めた。一番かわいい。。。すでに親馬鹿は始まっていた。産まれて来てくれて本当に、本当に、ありがとうと心の中で何度もつぶやいた。
2006-05-07 11:50:00 -
15:
ぁさみ
早くこの腕に抱きたい。強く思うものの、この病院では赤ちゃんが母親の元に来るのは3日目かららしい。今日1日のがまん。。。私は痛みも忘れて、新生児室から離れずに我が子を見続けた。
2006-05-08 16:00:00 -
16:
名無しさん
がんばれ('◇')
2006-05-11 04:29:00 -
17:
ぁさみ
だんなは一度、病院に顔出して、することが無いからと近くにあるパチンコ屋に行ったまま。新生児室に見にくる人達の邪魔にならないように私は相変わらず赤ちゃんの側にいた。見にくる人達の中に昨日の帝王切開の人がいた。相手も気付いてくれた。二人はそれぞれの赤ちゃんの顔を見ながら「お互い頑張ったね!」どちらからともなく、言い合った。昨日は気付かなかったけど、小さな男の子が顔を出した。「実は3人目なのよ」
2006-05-15 06:14:00 -
18:
ぁさみ
「すごい!」思わず口に出して言ってしまった。ひとり目でいっぱいいっぱいの私には驚きが先に出ていた。「大変じゃないですか?」ちょっと失礼だったかもしれない。
2006-05-25 04:26:00 -
19:
ぁさみ
それでも彼女は優しく答えてくれた。「正直大変だけど、嬉しい事もたくさんあるから幸せかな。」なんだかすごく心に響いた。「分からない事あったら何でも聞いて!」社交辞令だったかもしれない。けど素直に嬉しかった。
2006-05-25 04:34:00 -
20:
ぁさみ
少しして看護師さんに病室に戻るように言われた。もう一度赤ちゃんを目に焼き付けた。彼女と彼女の子供にあいさつをして私はひとり病室に戻った。今頃になって無事に赤ちゃんを産めた感動が押し寄せて来た。妊娠中、辛い事もたくさんあったから余計。。。だんなは男の子を欲しがっていた。正直赤ちゃんが女の子と分かった瞬間、(怒られる。。。)そんなことを思わず考えてしまって素直に喜べなかったから。
2006-05-25 05:09:00 -
21:
ぁさみ
私は、だんなが怖いのかもしれない。私達はいわゆるでき婚。最初はだんなからのアプローチ。結婚前はすごく優しくてとても大事にしてくれていたのに、結婚してからの彼は別人のようだった。お酒が入ると変わる。いつも顔色を伺いながらの生活。料理を作れば『おかんの料理はうまいで』そのくせ会社の同僚を連れてきてはつまみを作らされた。
2006-06-05 02:54:00 -
22:
ぁさみ
一度、元カノのことで私がやきもちを妬いた時、かなり酒の入っていた彼は突然ブチ切れ妊娠中の私の背中やお腹を、何度も蹴り飛ばした。『俺が明日仕事から帰って来るまでに出てけ!』私は、蹴られたショックよりも彼に捨てられることを恐れた。『ごめんなさい。。。出てけなんて言わんといて!』何度も叫んだ。『うれせぇ!黙って向こうでねろやぁ』私は頭がおかしくなりそうだった。(私が何をしたの?)
2006-06-05 03:10:00 -
23:
ぁさみ
もっと結婚って楽しい物だと思ってた。お母さん、助けて(>_
2006-06-05 03:14:00 -
24:
ぁさみ
次の日彼は何事も無かったように仕事に出掛けた。私はどうしたらいいのか分からなかった。着替をしたとき、体は痣だらけだった。お腹の赤ちゃんが心配でたまらなかった。蹴られている間もお腹を守ることで精一杯だった。また涙が泊めどなく流れて来た。その時の私はひとりで子供を育てる勇気は無かった。
2006-06-05 03:25:00 -
25:
名無しさん
読んでるょ?がんばって?
2006-06-05 06:29:00 -
26:
ぁさみ
もし、この時別れていたら。。。昼間、私はお母さんに電話をした。「お母さん、どうしたらいいのか分からないよ。」簡単に昨夜の出来事を説明した。泣きながらだったからうまく伝わったか分からない。お母さんは「結局お前もお父さんと同じような人を選んでしまっていたんだね。」お父さんは典型的な酒乱だった。旦那のお父さんも酒乱で「俺は二人の親父らみたいにはならない。」そう話していた旦那の言葉を思い出した。余計に涙は止まらなかった。「もう少し頑張ってそれでも駄目だったら帰っておいで。」お母さんになんとかありがとうと伝え電話を切った。出ていけと言われても夕飯の支度をしてる自分に驚いた。夕方までには掃除洗濯も終わらせた。ただ泣き崩れているより体を動かしていたかった。
2006-06-18 13:53:00 -
27:
ぁさみ
旦那が帰って来たらもう一度話し合うつもりで。本当に出て行く事になった時のため荷物も少しまとめた。久しぶりに旧友から電話が来た。「元気?結婚生活はどうよ?」懐かしい元気な声が受話器から聞こえる。思わず言葉を詰まらせた。「どうした!?何かあった!?」滅多に泣いたりしない私の異変に彼女は、動揺したみたいだった。「ゴメ。。ン。。。ちょっと。。怒らせ。。ちゃって。。」言葉が続かない。彼女の旦那も酒乱だった。「もしかして、お酒飲んで暴れたの!?」勘のいい彼女はすぐに察した。「今のうちに別れた方がいいんじゃない?お父さんで苦労してんじゃん!」私がお父さんにボコボコにされたこともしっていたから、一緒になって彼女は泣き始めてしまった。不意に冷静に戻った私は、「話し合ってみる。一人でも育てられるかな。」「私がついてるよ。」少しづつ落ち着きを取り戻した頃、旦那が帰って来た。友達との電話を切った。底知れぬ恐怖で体が震えた。
2006-06-18 14:20:00 -
28:
ぁさみ
酒乱の恐怖を知ってるだけにトラウマになっているのだと思う。怒鳴り声や暴力に過敏に反応してしまう。汚い言葉づかいも恐怖を感じる。酒乱と認識した時点で相手に恐怖と威圧感を覚えてしまう。もう、拭うことは出来ないかも知れない。「何してんの?飯は?」旦那はいつものように手を洗いに洗面台に立った。「今日も疲れたわぁ。昨日飲みすぎたなぁ。」私はすぐには対応出来ずにいた。「ビールちょうだい。」ふと、思い出した。お父さんも暴れた次の日、何事も無かったように過していたっけ。「泣いてんの?なんで?」なんだか馬鹿らしくなった。急に疲れが押し寄せてきた。涙は止まらなかった。旦那はゴメンと言って私を抱き締めた。
2006-06-18 14:41:00 -
29:
ぁさみ
私はこの日から旦那が目の前に現れるだけで身構えてしまうようになった。結局出ていくことは無くなった物の、いつも顔色を伺うような生活はかなりしんどかった。またいつ、出ていけと言われるのかと不安との戦いだった。旦那と付き合いだして二人で初めて観た映画、タィタニックのビデオを旦那が仕事に行っている間に観ながら泣いたりした。どうして変わってしまったのかな。私が悪いの?。。。旦那は出産まで一度も検診に付き合ってくれたことは無かった。
2006-06-18 14:55:00 -
30:
ぁさみ
検診にはお金がかかるのに旦那は生活費もまともにはくれなかった。パチスロが好きな旦那は勝った時は焼肉や寿司をご馳走してくれたけど負けた時は大変だった。食べる物が無くて、インスタントラーメンだけだったりゆで卵だけなんて時もあった。それでもビールは欠かすことは無かった。気まぐれにお金を渡されるから、検診に行く時は大変だった。片道30分の道をお腹を支えながら歩いたりもした。
2006-06-18 15:10:00 -
31:
ぁさみ
出産までの間、お金の不安、酒乱の恐怖に私は、つわりがなかなか収まらなかった。安定期に入っても時々吐気に襲われた。貧血も酷く、検診に行くたびに普通の注射の何倍もの大きさの注射器で貧血の薬を注射された。それでも歩いて帰った。時々、途中で気分が悪くなって座り込んだりしながら。酷いときは病院で点滴を打ってもらって帰ることもあった。
2006-06-18 15:21:00 -
32:
ぁさみ
私の楽しみは一人の時にお腹の赤ちゃんに話し掛けることだけだったかも知れない。お腹を擦りながら歌を唄ったり、今日あった出来事を話したりした。時々泣けてきてしまいお腹の赤ちゃんに謝りながら泣いた。早く、この腕に赤ちゃんを抱き締めたかった。
2006-06-18 15:29:00 -
33:
ぁさみ
旦那が夜勤の時はたまに電車に乗って実家に帰った。おかずを買うお金も無くて、電車賃だけを握り締めて帰って来る娘を両親は暖かく迎えてくれた。お父さんはぶっきらぼうに「嫁に行った娘がのこのこ、帰ってくるな!ま、飯ぐらい食べていけ。」と質素ではあるけれど、家庭料理をお母さんに用意させた。ぶりと大根の煮付けや冷奴。ひじきの五目煮、手作りの山椒味噌。ご飯と味噌汁とおしんこ。ごくありふれた家庭料理に久しぶりの家族団らん。家族の優しさが心に染み渡る。「お父さん、あんなこと言ってるけど本当は嬉しいのよ。あんたも大変だろうけど頑張りなさい。」そう言ってお母さんは少しのお金を私の手に握らせた。私が無心に来たことを分かっていたのだ。ありがとうと、涙を堪えて伝えるのがやっとだった。年の離れた妹達が駅まで送ってくれた。年が離れているせいか娘みたいな妹達にもまた癒された。家族の有り難みを感じた。
2006-06-18 18:01:00 -
34:
ぁさみ
私の実家はむしろ貧乏で私はお金を用意するだけの余裕など本当は無いのだ。けれど、娘を大事に思う気持ちが無心を許してくれたのだ。帰りの電車の中、静かに泣いた。(本当にごめんなさい。)お母さんは旦那の酒のつまみにとぶり大根と山椒味噌を分けてくれた。親ってすごい。私になれるのかな?自分を犠牲にしても子供に愛情を与えられるのかな?先の見えない迷路の中に居るような感覚に襲われた。自分の家に帰るのに気分は重くなる一方だった。
2006-06-18 18:16:00 -
35:
ぁさみ
私は、弱い人間なのだと思う。とても。強がって維持はって生きてきたけど、誰かに依存しなければ生きて行けない。旦那に依存して今の私は生きてる気がする。
2006-06-22 12:55:00 -
36:
ぁさみ
それからも何度か実家に帰る度にお母さんはお金を工面してくれた。「あんたにはお父さんが入院したときとかに世話になったからね。」私が気を使わなくて済む様にお母さんはいつもそう言ってくれた。その時の私はお金をもらうのが当たり前の様な気がしていたと思う。そして旦那やお義母さんには工面してくれた事は言わなかった。そのせいで私の両親は旦那側の家族に悪い印象を与えてしまっていたのに。ちゃんと私達夫婦の力になってくれていたのに「全く何もしてくれない人達。」と言うレッテルを貼らしてしまっていた。
2006-07-08 05:08:00