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絆-Kizuna-
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1:
◎
頑張って書くので宜しくお願いしますm(__)m
2005-06-26 01:28:00 -
83:
◎
多分みんなでそばに寄り添えたから安心できたんだ。喧嘩する怒鳴り声はおさまることがなくずっと続いた。
「私が働いてるから食べていけてるんでしょ!もう嫌!」
初めてお母さんが大声で逆らった。いつもは絶対にそんなことなかったのに。
ガシャーン、ドンドン。家の中では音が鳴りやまない。風呂場では一番下の妹、美恵が泣き止まない。まだ美恵は四歳になったばかりだった。
二つ下の弟、由輝はもう慣れっ子なのか風呂にあったオモチャで遊ぶ。四つ下の恵里は黙って私のそばから離れない。2005-06-29 02:26:00 -
84:
◎
しばらくしてガチャンと玄関が閉まる音がした。そっと部屋に戻るとお母さんが泣いていた。
「大丈・・夫?」
お母さんのそばにいくと殴られた痕が痛々しく見えた。
「・・・んた達がいなかったら」
聞こえなかった。
「えっ?」
私が聞き返すと今まで見たことのない顔で
「あんた達がいなかったら出て行けるのに」
とお母さんは言った。
「いいよ。出て行っても。お母さんが泣かないでいいんなら。由里がご飯作ったり洗濯もして由輝達の面倒見るから」2005-06-29 02:37:00 -
85:
◎
私は何故かそう言ってあげることが精一杯だった。何より私達がいるせいでお母さんが苦しむのなら、もう解放してあげたかった。
お母さんは私を見てまた泣いた。そして私を強く抱きしめた。
「由里ごめんね。いなくなったりしないから。お母さんはあんた達おいて出てったりしないから」
私もその時久しぶりに泣いた。一番上だから、私まで泣いちゃだめだってずっと我慢してきた分泣き出すと止まらなかった。
それを見ていた由輝や美恵、恵里も私とお母さんのそばで泣いていた。2005-06-29 02:45:00 -
86:
◎
それからはお母さんは私に色々なことを話してくれた。私も六年生だったから、だんだん理解できるようになった。
お父さんがたまにしか帰ってこなくなったと同時に、家には変な電話や怖そうなお客さんが来るようになっり、そしてそれが借金取りだったということ。
お父さんが借金を作っていたこと。今でいうア○ムやア○フルなんてざらだった。街金どころか闇金、全部で16社からの借金があった。
その頃は全部で200万弱だったと思う。私は小さい頃、お父さんに競馬場やパチンコなんかにも連れて行かれたことがあった。2005-06-29 02:53:00 -
87:
名無しさん
しおり★
2005-06-29 03:00:00 -
88:
◎
競馬にパチンコ、麻雀。お父さんはギャンブルにはまっていたんだろう。
小さい頃はお土産のチョコやお菓子が楽しみだった。今思えばただのパチンコ景品だったなぁ。
喧嘩の原因は借金だったのだ。そしてお母さんが働いていたのはその返済のため、私達の生活のためだったと気付いた。
でもまだ六年生だった私にはどうすることもできなかった。
それから私は中学生になり、部活にも入らず家に帰ると家事の手伝いや掃除など、できることは全てするようになった。2005-06-29 03:00:00 -
89:
◎
ある時、お父さんが久しぶりに帰ってきたと思ったらお母さんのカバンを取り上げ財布を探している。
お母さんは必死で取り返そうとしたが財布は見つかり、中に入っていた全部のお札とお金の入っていた銀行の封筒を取って出て行った。
私はぼーっと立ったまま何もできなかった。
「由里どうしよう。返済のお金と生活費だったのに・・・。」
その頃の返済は毎月17万。お母さんは新聞配達と保険会社のパート、夜もスナックで週三回のバイトを始めていた。朝の新聞配達は7万、パートは12万、夜は10万だった。
全部合わせて30万切る。2005-06-29 03:10:00 -
90:
◎
でもその三分の一は捨て金のようなものだ。
どうしようと言われてもどうにもならない。お父さんは働いてもお金は一円も持って帰ってこず、全部ギャンブルで使っていた。
自分の父親が情けなかった。憎かった。
わずかに残っていたお金で食事には困らなかったが、電話は鳴り借金取りは毎日のように来る。近所迷惑なんて関係ないぐらい怒鳴り声を張り上げるのだ。
同じマンションに住む同級生に見られたこともあった。恥ずかしいというより悲しかった。2005-06-29 03:15:00 -
91:
◎
「逃げようか」
そうお母さんに言われたこともあった。私は何でお母さんや私達は悪くないのに逃げなきゃなんないの?といつも言った。
その頃はスーパーで万引きしたりもした。週三回、お母さんが夜働きにいく日は万引きしてきた肉や野菜でご飯作ったりして。
なるべく食費浮かせようとか、お母さんにはばれないようにしながら冷蔵庫の物は使わないようにした。
それから二年生になった私は、お母さんが朝働く新聞屋で夕方の夕刊配りをした。幼なじみのあゆみは色々なことを知っていたせいか、毎日手伝ってくれたり力になってくれた。2005-06-29 03:26:00 -
92:
◎
あゆみとは小さい時からずっと仲が良い。それは今も変わらない。私はあゆみがいたから家でも外でも笑ってられた。
あゆみは小さい頃からお父さんがいなかった。だからあゆみも寂しい気持ちや辛い気持ちが分かるんだと思った。
夕刊配りが終わると、私の家にきて一緒に勉強したり語ったり、とにかくよく一緒にいた。
お母さんとあゆみのお母さんもたまに家で話したりしていた。大人にしかわからない話もあるのか、お母さん達が二人して泣いていたのを見たこともあった。2005-06-29 03:33:00