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1:
〜♪♪・・・携帯が歌う。メールだ。
僕の従順な相棒は、一日に何通もの手紙を受け取り保管してくれる。
僕はゆっくりと開封していく。
「今日はありがとう!」
「明日は3時頃行くね☆。」
2006-06-07 11:31:00 -
2:
どれもほぼ同じ様な内容。
文字の中に混在する数字や、それぞれの言葉の表現方法が違うだけだ。
画面をスクロールしながら、僕の知り得る送信者の情報思い出し、
文章の中の重要なキーワード繋ぎ合わせ、
僕は返すべき言葉を考える。
2006-06-07 11:38:00 -
4:
もちろんそれだけで結構な時間を費やすが、彼女達が喜んでくれるから、
そんな事は苦にならない。
彼女達の喜びは、僕の喜び。
彼女達が笑顔になれば、僕も笑顔になれる。
彼女達の喜びと笑顔が多ければ、多いほど、
僕に大きな利益が返ってくるかもしれないからね。2006-06-07 11:51:00 -
8:
夕食の準備は出来ている。
後は彼が着く頃に、温かい物は温かく、冷たい物は冷たくという
当たり前の状態にして、テーブルに並べればいい。
彼の好むお酒も、ずっと切らした事はない。2006-06-07 17:29:00 -
9:
傍から見れば、私たちはまるで夫婦のようだろう。
そう。私たちは夫婦だ。
この時間に、この部屋の中だけでの限定だけど。
彼はちゃんと帰るべき場所を持っている。2006-06-07 17:36:00 -
11:
その代償として、彼は毎月ギャラを振り込む。
その金額に応えられるだけの努力を、私は怠らない。
この5年間、そうやってバランスを崩さないように、
私たちは関係を保っていた。
2006-06-07 20:11:00 -
12:
お互いに愛情がある故に成り立つ関係。
私たちは互いに恋をしているのだと、
自分に言い聞かせていた。
そうしないと、空がオレンジ色に染まる時間に時折襲ってくる
寂しさや、空しさに負けてしまいそうになったから。2006-06-07 20:20:00 -
15:
メールの送信を終えると、手帳を開き、
今日の来店スケジュールを確認する。
去年の秋の終りにソニプラで買った、真っ赤な手帳だ。
こいつも僕の大切なもう一人の相棒。2006-06-08 01:20:00 -
16:
今日は常連が3組来店予定。
なるべく重ならないように、時間配分には注意を払う。
彼女達は皆「僕」に会いに来てくれている。
出来る限り長い時間を一緒に過ごしたい。
そして満足して帰ってもらいたい。2006-06-08 01:22:00 -
18:
僕が最善の接客を保てる人数は決まっている。
それを超えると、来店予定のメールをもらった時点で、
理由を話し、日にちの変更をお願いしてみる。
何ともおこごましい話なのかもしれないが・・・。
2006-06-08 01:37:00 -
19:
実際にそれを理由に口座変更されたり、
お客さんが切れていった事は何度もある。
でも僕は気に留めなくなった。
結局のところ、その人の求めるものが、
僕にはなかっただけの話だ。2006-06-08 01:40:00 -
20:
そんなスタイルを一貫していくうちに、
それを良しとしてくれる人達だけが残っていった。
僕は僕の力量を知っている。
それを無視した行動をとれば、無理が生じ、そこから破綻が始まる。
これから先も、僕はスタイルを変えるつもりはない。
・・・でも、今日は来客が少ない方かな?2006-06-08 01:45:00 -
22:
彼は食事を摂り、ゆっくりとお酒を飲み、
12時前に帰っていった。いつも通りの流れだ。
彼が私の身体に触れる日もあるが。
キッチンで食器を洗い終えて、私はシャワーを浴び、PCを開いた。2006-06-08 18:28:00 -
23:
ブックマークしてあるブログや掲示板を一通り見て回る。
リンク先に飛んでみたり、検索したりを繰り返す。
私にはいい時間潰しになるのだ。
そして一軒のお店のサイトにたどり着いた。2006-06-08 18:31:00 -
24:
・・・CLUB HILL?何のお店?
私は入り口をくぐった。
そこには髪を逆立てた男の子達が、自分を最も美しく見せる角度で、
カメラを見据える写真が並んでいた。2006-06-08 18:37:00 -
26:
今の生活を始めてから、私は出掛ける機会が減った。
私と彼は契約を結んでいる。
私の仕事が休みである、木曜と日曜以外は、
18時から24時までは必ず部屋にいること。
ここ以外でのお互いの生活には、一切干渉しないこと。
彼においしい食事を提供する事。
・・・それだけの事。2006-06-08 18:43:00 -
27:
小さく溜息をついて、PCの電源を落とした。
クローゼットから黒いワンピースを取り出し、
鏡の前に座る。
この時なぜ急にそんな行動を起こしたのか、
自分でもよく分からなかった。2006-06-08 18:48:00 -
28:
「ナツロー!おはよう!」
2時を少し回った頃に、一人目のお客が来店した。
「律子さん!いらっしゃい!」
「もうクタクタだよ〜。疲れちゃった。」
「どうしたの?何かあった?」
「そうなのよ〜。今日も話きいてね。」
「オッケ!まあ座ってよ。」2006-06-08 20:28:00 -
29:
律子さんはレストランを経営している。
店の規模は小さいらしいが、お客の入りは上々で、繁盛しているそうだ。
でも僕は実際のところ、彼女の店がどこにあるのかも知らない。
無理に聞き出そうとも思わない。
僕は彼女が与えてくれる情報だけを受け取る。2006-06-08 20:31:00 -
30:
それは話の内容だけではない。
声のトーン、表情、仕草、それらの全てが
「僕といる時の彼女」を形作る、大切な情報だ。
その情報から、僕は彼女が今何を求めているかを、感じ取る。2006-06-08 20:36:00 -
31:
もちろん完璧に感じ取るなんて出来ない。
でも、求めるものに、出来る限り近いものを、
提供する事は出来る。
優しさ、厳しさ、同情、人それぞれ
自分に足りないと感じるものは色々だろう。2006-06-08 21:27:00 -
32:
今までの律子さんは、話を聞いて、「うん。うん。」と
同調してくれる相手を欲しがっていた。
彼女は仕事で溜まった心の澱を、
酒を飲み、僕に愚痴をこぼす事で、ろ過していたのだと思う。2006-06-08 21:31:00 -
33:
女手で一軒の店を動かすのは、並大抵の事ではないだろう。
律子さんがやって来るのは、彼女の店の定休日前日。
週に一度、2〜3時間くらいで、すっきりとした顔になって帰っていく。
2006-06-08 21:37:00 -
34:
でも、ここ最近の彼女からは、何か違和感を感じる。
求めるものが、今までとは変わってきている気がするんだ。
そして、それは僕には持ち合わせのないモノのような気がしてならない。2006-06-08 21:45:00 -
36:
後5分程で着くと告げると、電話の男は、
店の前で待っているとの事だった。
夜の街は久しぶりだ。懐かしさを感じるほどだ。
私は以前この街の住人だった。2006-06-09 10:35:00 -
37:
ママが一人で経営する小さな店で、
私はホステスとして2年間働いていた。
ママは気風のいい、男っぽい性格の人でとても働きやすかった。
ママのそんなキャラクターのせいか、
お客さんは皆、艶っぽさを求めない人ばかりが集まっていた。2006-06-09 10:39:00 -
39:
昼間は大箱のカフェのキッチンで、料理やお菓子を作り、
夜はママの店で接客した。
夜の給料は全て貯金していた。
休みなんてほとんどなかったけど、毎日が充実して楽しかった。2006-06-09 10:47:00 -
40:
そんな頃に、私はこの街で彼と出会ったのだった。
・・・そんな思い出を反芻してしまったのは、
彼と一度だけ一緒に入った喫茶店が、無くなってしまっていることに、
気が付いたからなのかもしれない。
街は時間の流れとともに、少しずつ姿を変えていく。2006-06-09 10:52:00 -
42:
この世界、チャンスなんていつ舞い降りるか分からない。
ぼんやりしてれば、そうとも気付かず掴み損ねる。
ここで巻き起こる全ての事が、未知なる可能性を秘めている。
店のドアが開く度に、僕らの夢は実現に一歩近付くのかも知れない。2006-06-10 11:25:00 -
43:
「ナツロー、シャンパン飲もうかな?」
「珍しいね。初めてじゃない?」
律子さんはいつもビールだ。他の酒は一切飲まない。
「そうだっけ?たまにはいいじゃない。ねえ、何がおススメ?」
「う〜ん・・・カフェパのライチ。」2006-06-10 14:18:00 -
44:
僕のセレクトに、彼女はポカンとして、次の瞬間笑い出した。
「何かねぇ〜。ドンペリとか言うもんじゃないの?決定権委ねてるのよ?
何であえてそれなのよ?」
「いや、一番おいしいと思うから選んだんだけど・・・。」
それは本当だった。僕はワインがあまり好きじゃない。2006-06-10 14:22:00 -
45:
笑いの収まらない律子さんに、僕は続けた。
「いや、本当だよ。他意はないよ?おススメ聞かれて、
自分がおいしくないと思うものは薦められないよ。」
律子さんはハンカチで目頭を押さえながら頷いた。
「あんたにとっては、そこが重要なポイントなワケね。分かったわ。
でも今日はもう帰るわ。」2006-06-10 14:27:00 -
46:
「帰られますか?」
もう一度頷くと、律子さんはヘルプに伝票を持ってくるように促した。
「あんたのおススメは来週頂く事にするわ。」
「あの、何かお気に障りましたか?」
僕の問いかけに彼女は、首を横に振った。
「違うのよ。心配しないで。大丈夫だから。」2006-06-10 14:36:00 -
47:
てきぱきと支払いを済ますと、律子さんは立ち上がった。
送り出しのために、僕も一緒に出口に向かう。
「あんたは、そういうところが良いのよね。でも・・・。」
「・・・でも?」
僕の言葉には答えず、律子さんはタクシーに乗り込んだ。
「じゃあまたね。」2006-06-10 14:48:00 -
49:
店内からスタッフが出てきた。
「ナツロウ。初回で指名入ったぞ。」
「あ、すいません。すぐ戻ります。・・・さっき来られた方ですか?」
「そう。何か即決でお前指名だった。」
「メニュー見られたんですか?」
「いや、メニュー渡そうと思ったら、お前を見て
「今外に出て行った人でお願いします。」ってさ。」
「へぇ・・・。」2006-06-10 15:04:00 -
50:
僕はフロアへと急いだ。
彼女は珍しそうに店内を見回していた。
「いらっしゃいませ。こんばんは。」
僕は彼女の前に立つと、頭を下げた。
「こんばんは。」2006-06-10 21:43:00 -
51:
「ナツロウです。ご指名ありがとうございます。」
「え?」
「え?どうかしましたか?」
彼女はゆったりと微笑んだ。
「あなたがナツロウさんだったんだ。」2006-06-10 21:45:00 -
52:
「えっと・・・、僕の事ご存知でしたか?」
彼女は首を振って
「ううん、サイトで見た写真と、全然雰囲気ちがうのね。」
「ああ、サイトをご覧になったんですね。
・・・僕ってどんな感じに見えましたか?」
彼女はクスクスと笑っている。
「すごい髪型だなあって。それで覚えていたの。」2006-06-10 21:49:00 -
53:
「ああ・・・。」
僕はやけに照れくさくなって俯いた。
彼女は、僕が気を悪くしたのかと思ったらしく、慌てて続けた。
「あ!ごめんね!ナツロウさんって顔がすごく小さいでしょ?
だから余計に髪が大きく見えたのよね!変だって言ってるわけじゃないの!」
必死にフォローしている彼女が、可愛らしく思えて
僕は何だか暖かい気持ちになった。2006-06-10 21:54:00 -
54:
「・・・って言うか、えっと・・・、どうぞ座って下さい。」
僕の後ろでヘルプが、アイスペールとボトルを持って、所在なさげにしていた。
「ああ・・・、では、失礼します。」
僕は適度な距離を置いて、彼女の隣に座った。
「それでね、あなたがナツロウさんだって分かってびっくりしたの。
実物の方が全然ステキだから。」2006-06-10 21:59:00 -
55:
「ありがとうございます。」
僕が微笑むと彼女は安心した様に頷いた。
そして思い出したように、
「あ!私ナツキです。はじめまして。」
「ナツキさんですね。はじめまして。」
僕らは乾杯した。2006-06-10 22:06:00 -
56:
「僕らって名前似てますよね。」
「そうなの。それもあってね、あなたの事はとても印象的だったのよ。」
「僕、そんなに頭大きかったですか?」
「やだ!ごめん・・・・うん。」
「ひどいなあ〜!」
彼女は僕の腕を軽く叩いた。
「もう!その事はもう忘れてよ!!」2006-06-10 22:11:00 -
57:
「いやいや、でもね、髪のボリュームは僕らにとっては、
心意気の表れみたいなものなんですよ。なあ?」
僕はヘルプの新人に水を向けた。
「そうなんスよ!毎日開店前に鏡に向かう時の気持ちは
戦場に向かう武士の如くっス!」2006-06-10 22:16:00 -
58:
「お侍さんなんだ!ステキだね。
・・・あ、どうぞあなた・・・えっと、お名前は?」
「僕は那智っス!宜しくお願いします!」
「那智君ね。どうぞ那智君も飲んでちょうだいね。」
「はい!かたじけないっス!」
2006-06-10 22:31:00 -
59:
彼女は本当に楽しそうに笑う。
不思議な人だ。彼女の笑顔を見てると、僕も自然に笑いがこみ上げてくる。
ヘルプの那智も緊張が解けて、いつもよりもリラックスしているようだ。
2006-06-10 22:38:00 -
60:
_________________________________________________
今日はここまでです。
もし読んでくださっている方がいらしたら
本当にありがとうございます。
おやすみなさい。2006-06-10 22:42:00 -
61:
僕らの卓は、那智も交えて、とても和やかな空気に包まれていた。
ナツキさんは僕らとの会話を心から楽しんでくれていた。
「ねえ、私今日とても楽しいの。こんなに笑ったの久しぶり。」
「僕らも本当に楽しいですよ。」
向かい側で那智も大きく頷いている。2006-06-11 15:05:00 -
62:
「本当にどうもありがとう。」
そう言うと彼女はチラッと視線を下ろした。
「・・・今日はそろそろ帰るね。ほんとありがとうね。」
「え・・・?もう?」
まだ彼女が来店して、2時間も経っていない。
「うん。お会計してもらえるかな?」2006-06-11 15:12:00 -
63:
「そうかあ・・・。那智チェックしてきて。」
「はい!」
なぜだろう。僕はひどくがっかりしていた。
「あの・・、良かったらアドレスと番号を交換してもらえませんか?」
ナツキさんは少し困った顔をした。2006-06-11 15:16:00 -
64:
「ご迷惑はおかけしません。イタ電とかしませんから。」
彼女は表情を緩め、頷くと、カバンから携帯を取り出した。
「アドレスだけでもいいかな?」
「ああ!全然!ありがとうございます!」
僕のメモリーに、ナツキさんの名前が加わった。2006-06-11 15:21:00 -
66:
---今日は接待があるから行けない。よろしく。-----
彼からの提示連絡。・・・今日は来ないんだ。
---明日久しぶりに会わない?連絡待ってるよ☆----
友達の未来だった。
未来は私の生活を知っている数少ない友達の一人。
月に2〜3回、食事に行ったりする。
彼との契約が決まった時に、一番最初に話したのは彼女だった。2006-06-11 23:40:00 -
67:
「何それ?」
「言葉の通り。倉田さんと付き合うの。」
未来はタバコを灰皿でもみ消すと、アイスコーヒーを一気に飲み干した。
「ナツキ、あんた自分が何言ってるか分かってる?
自分がどういう立場になるか分かってる?」
「うん・・・。」2006-06-11 23:43:00 -
68:
私は未来の手を握った。
「ありがとう。確かに倉田さんにはいっぱい助けてもらった。義理もあるよ。
でもね、それ以上に私、あの人が好きなのよ。私が一緒にいたいの。」
未来は私の手を握り返すと、泣き出した。
「あんた、バカじゃないの?」
「うん。自分でもそう思う。」2006-06-11 23:53:00 -
69:
未来は涙を手で拭うと、真っ直ぐ私を見て言った。
「・・・分かったよ。あんたが決めたって言うなら何も言わない。
でもね、自分のしてる事少しでも疑問に思ったら、すぐにやめるんだよ。」
「うん。」
「それと、何してても私たちは変わらないって約束して。」
「うん。ありがとう。約束する。」2006-06-11 23:58:00 -
70:
未来はマスカラが落ちて真っ黒になった顔で笑った。
「ほんっとバカなんだから。」
確かあれは春の終わりごろだった。
未来の部屋で窓から入ってくる風が心地よかったのを覚えている。
今でも私は暖かい風が吹くと、あの時の未来の真っ黒になった目尻を思い出す。
後にも先にも私は未来が泣くところを見た事がない。
2006-06-12 00:11:00 -
72:
未来へのメールを送信し終わると、少し散歩したくなって、地下鉄を一駅分歩くことにした。
いつもは時間に遅れない様に、足早に通り過ぎるだけの通勤路。
たまにゆっくり歩くと違う風景に見える。
今日はとてもいい天気だ。まだ夏を迎えていない太陽の日差しは柔らかくて優しい。
明日は仕事も休みで、未来とも会える。
そんな事がとても幸せに思えた。
2006-06-12 14:22:00 -
73:
通りにかわいらしい靴屋さんが出来ていた。
新しいミュールが欲しいな・・・。
私は店に入ると、真っ先に目に飛び込んできた一足を試着した。
ラインストーンの付いたキラキラしたミュール。
サイズも丁度いい。迷わず購入する事にした。
店員の女の子はにこにこしながら、それを柔らかい紙で丁寧に包み、
淡いピンクの箱に行儀良く収めてくれた。2006-06-12 14:35:00 -
74:
スタバでカフェラテをお持ち帰りして、飲みながら駅まで歩いた。
右手のショッピングバッグの中にいるミュールの事を考えて心が弾んだ。
「これを履いて何処に行こう・・。」
色んな場面を想像して、一人悦に入った。
この気持ち何かに似ている。2006-06-12 14:54:00 -
75:
小学生だった頃、夏休みが始まるのを指折り数えた時のワクワクした気持ち。
町内の海水浴、家族での一泊旅行、おばあちゃん家に里帰り、花火大会。
夏休みという宝箱には、キラキラがいっぱい詰まっていた。
2006-06-12 15:08:00 -
77:
そのキラキラを一つずつ、大切に取り出して
輝きにうっとりしながら、じっくりと堪能する。
そして今度は思い出の宝箱にそっと仕舞う。
秋になれば、収まりきらないほどの思い出が詰まって、
その輝きは来年の夏が来るまで色あせる事はなかった。2006-06-12 17:46:00 -
79:
大人になるにつれて、そんなステキな物が、だんだん見つからなくなっていった。
私は光を遮るメガネをかけてしまっていたのだろう。
子供の頃に戻る事はできないけど、素直な目で見渡せば、
毎日の生活の中にはたくさんの輝きが溢れている。
2006-06-13 22:16:00 -
81:
「ナツロウさん!おはようございます!」
店に出勤すると那智が駆け寄ってきた。
「おう!おはよう!」
「今日の僕変じゃないですか?いけてます?」
那智はしきりにスーツの襟や髪に手をあてて、ファッションチェックを求めてくる。
ここ最近の毎日の儀式のような物だ。
今日は特に気合が入る。那智のバースデーだ。
僕はポケットから包みを取り出した。2006-06-13 22:33:00 -
82:
「21歳おめでとう。これからも頑張れよ!」
那智は受け取ると、しばらく呆然と黒いリボンの結ばれた箱を眺めていた。
「・・・・ナ・・ナツロウさん!ぁりがとうございます!
・・俺、俺めちゃくちゃ嬉しいぃっス!!」
半泣きになっている那智の肩を抱いて、もらい泣きしそうになった。2006-06-13 22:39:00 -
83:
「お前よく頑張ってるよ。これからも一緒に頑張ろうな!」
「はいっ!!頑張ります!!」
那智へのプレゼントは、シルバーのブレスだ。
那智は包みを解いて、中身を出すと、掲げるようにして見入っていた。
「・・ほんと・・ほんとありがとうございます!
今日から俺ずっと着けさせてもらいます!」
堪え切れずに那智は泣き出した。2006-06-13 22:54:00 -
84:
「おいおい、泣くのはまだ早いだろ!」
「す・・・すいません!俺、嬉しくて・・・。」
「そんなに喜んでもらえて、俺も嬉しいよ。さっ!今日も頑張ろうぜ!」
「はい!!」
あ・・そうだ。この事も伝えておかなきゃな・・・。
「あ!那智、今日ナツキさん来るよ。」2006-06-13 22:58:00 -
85:
「マジっスか!?」
「うん。オープンから来るって言ってた。」
「俺、会いたかったんですよ!俺すげぇハッピーバースデーっスね!」
スキップしかねない足取りで那智はバックヤードに向かって行った。2006-06-13 23:40:00 -
86:
入店3ヶ月目の那智はこの所何かが落ちたように、みるみる成長している。
テーブルマナーはしっかりしていたし、場の空気も読めない訳でもない。
「あいつは出来るはずだと思うんだけどなあ〜。」
閉店後に食事に行った時の事だ。上司の一真さんが那智の事を話してきた。
「俺もそう思いますよ。」2006-06-14 12:03:00 -
87:
「何でだろうな?この前も俺の卓で、黙って酒だけ作ってたよ。」
「顔は笑ってるんですけどね。」
一真さんは箸を振って、
「それ!暗いとか、そういうんじゃないんだけどな。
卓に俺がいるときは、まあいいんだけどな、他の卓に行ってて
客と二人になった時に困るんだよなあ。」2006-06-14 12:11:00 -
88:
僕は口の中の肉を飲み込むと、タバコに火をつけて考えた。
「・・・あいつね、何を話していいか分からないって言ってましたよ。」
一真さんはグラスにビールを注ぎながら苦笑いしている。
「・・・うん、まあ新人にはよくある悩みだな。そんな事言ってちゃホストは務まらないんだけどな。」
僕は注がれたビールを飲み干した。2006-06-14 12:20:00 -
89:
「一応ね、色々教えてみたんですよ。本読め、映画観ろ、
外に出掛けて色んな事を吸収して来いってね。」
一真さんは黙って頷いている。
「自分自身のカテゴリーを増やせば、客との共通項は見つかる。
話題に困る事もないと思うんですよ。」2006-06-14 12:29:00 -
90:
「あいつはそれを実践しているのか?」
「はい。あいつ素直ですからね。今まで食わず嫌いだったものにも挑戦してみますって。」
「それから何か変化はあったのか?」
一真さんはビールを追加した。2006-06-14 12:38:00 -
92:
「何かね、楽しそうに話してくるんですよ。この間こんな店見つけましたよとか、
あの映画のファッションはすげえ格好いい、どこのブランドなんですかね?とかね。」
「ほぉ・・・。」
「好奇心があれば、ひとつの根っこから幹が伸びて、どんどん枝が広がっていく。
あいつはほんと素直だから吸収も早いとおもうんですよね。」2006-06-14 14:21:00 -
93:
一真さんは間なしにビールをあおる。彼はめっぽう酒が強い。
「あいつに言ったんです。何でそんな風に俺に話すみたいに、客にも話せないんだ?って。」
「・・余計な感情が邪魔するんだろうな。」
「そうですね。結局のところそこだと思うんですよ。」
「根っこは出来てんだ。あとはそれを取っ払らえりゃいいんだ。
誰もが通る道だ。俺にもあったよ。その時は必死なんだけどさ、空回りするんだよな。
今考えてみりゃ、意外と難しい事でもないんだけどな。」
僕達は何かを思い出したように、顔を見合わせて笑いあった。2006-06-14 15:52:00 -
94:
横断歩道の向こう側にナツキさんが立っているのが見えた。
僕は歩を緩め信号が変わるのを待った。
僕に気づいてナツキさんは手を振った。
信号が青になると、彼女は嬉しそうに僕の方に走ってきた。2006-06-14 16:12:00 -
95:
「お久しぶりです。今日はありがとうございます!」
ナツキさんに会うのは3週間ぶりだ。
「ほんと久しぶりだね。いつもメールありがとうね。」
「いえいえ!またお会いできて本当に嬉しいです!」
僕らは並んで店に向かった。
「那智も楽しみにしてますよ。そうそう、今日は那智の誕生日なんですよ。」2006-06-14 17:23:00 -
96:
ナツキさんは目をまん丸にした。
「うそ!バースデーあるって、那智君のだったんだ!」
「そうなんですよ。」
「教えてくれてたら、何か準備したのに・・・。」
「お気持ちだけで那智は喜びますよ!ありがとうございます。」
「でも・・・せっかくの誕生日なのに・・・。」2006-06-14 17:27:00 -
97:
「ほんと気を使わないで下さい。それにうちはプレゼントはお断りしてるんですよ。」
「そうなの?」
「はい。来ていただけるだけで、もう感謝です。
那智はナツキさんが来るって言ったら、めちゃくちゃ喜んでましたよ。」
彼女は首を傾げて僕を見上げた。
「もうスキップせんばかりの喜び方でした。」
「ほんと?それすごく嬉しい。」2006-06-14 17:32:00 -
98:
ナツキさんの笑顔は子供みたいだ。ものすごく無邪気に笑う。
・・・そういえば、彼女は一体いくつなんだろう?
僕らにとってタブーとされる質問だから、尋ねることはできないな・・・。
「那智君は何歳になるの?」
「21ですね。」
「やっぱり若いね。ナツロウさんは?」
「僕は24です。」2006-06-14 20:50:00 -
99:
ナツキさんは、少し寂しそうに笑った。
「やっぱりみんな若いね。」
彼女の言葉は年齢を想像させるのに十分の重みがあった。
「今日は飲もうね!お祝いしなくちゃ!」
「はい!」
さっきの寂寥感を打ち消すくらいにいい顔で彼女は笑った。2006-06-14 21:17:00 -
100:
「那智君おめでとう!」
「ナツキさん!ありがとうございます!」
ナツキさんは那智のために、シャンパンを一本卸してくれた。
シャンパンを卸す前に、ナツキさんは僕にそっと耳打ちした。
「ねえねえ。今日那智君のお祝いにシャンパン頼みたいの。いいかな?」
「もちろんですよ!ありがとうございます!」2006-06-16 22:01:00 -
101:
一真さんがマイクを握る。
「今日は何と!那智のバースデーですっ!
そんな那智の為に!ナツロウ担当の姫様からっ!
ドンペリいただきましたっっ!!ありやっす!!」
「ありや〜っっす!!」
一真さんの軽快なコール。マイクが抜栓の音を拾う。
2006-06-17 20:13:00 -
102:
「那智ぃっっ!ハッピーバースデー!!」
グラスを手に那智は感無量といった表情だ。
「ほんと・・・ナツキさん、ありがとうございますっ!!」
ナツキさんは黙って微笑んでいる。
「ナツロウさんも、ありがとうございますっっ!」
那智の幸せそうな顔を見て、今日はいい日だなと素直に思えた。
コールに集まったスタッフが散ったのを見計らったように、
マネージャーが耳打ちしてきた。2006-06-17 20:25:00 -
103:
「ナツロウ、5番で律子さん待ってる。」
「・・・はい。」
僕は少し煩わしいものを感じた。
「いらっしゃいませ!すいません、お待たせしました。」
「何?那智誕生日なの?」
律子さんは鼻の先を見下ろす様に僕を見た。
どうもおかんむりの様子だ。
2006-06-17 20:36:00 -
104:
「今日であいつも21だよ。」
「ふ〜ん・・・。そうだったんだ。」
「少し早く来たんだね。連絡くれたら、迎えに行ったのに。」
「仕事がいつもより早く終わったのよ。電話した方がよかった?」
どうも空気がおかしい。
「いや、別によかったんだけど、お待たせするの悪いから。」2006-06-17 20:47:00 -
105:
律子さんは鼻で笑う。
「あんたがオープンからいるとは思わなかったわよ。」
「いや、那智のバースデーだから、早く来た・・・」
彼女は僕の言葉を遮る。
「ほんとにそれだけかしら?まあいいわ。
じゃあ私もドンペリ卸すわ。3本ね。」2006-06-17 20:53:00 -
106:
「律子さん?」
「私がドンペリ卸ちゃいけないの?誕生日なんでしょ?那智の。」
「どうしたの?律子さん。」
律子さんは少し声を荒げると続けた。
「いいから、持ってきてよ!コールいるからね!」2006-06-17 20:56:00 -
107:
律子さんの卓のコールは長いものになった。
彼女はすぐに追加し、ドンペリは8本開いた。
「ねえ、ナツロウはいつまでホスト続けるの?」
「まだ続けるよ。いつまでとかそんな風には考えてない。」
「ずっと続けられる仕事じゃないでしょ?」
「そりゃあ、いつかは辞めるよ。でもしばらくはここでお世話になるつもり。」2006-06-17 21:05:00 -
108:
律子さんはぼんやりタバコの煙を吐きながら、呟くように言った。
「じゃあ、いつかはお別れになっちゃうんだ・・・。」
3日前の事だった。
彼女はあの意味深な言葉を残した日から、
頻繁に店にやって来るようになった。2006-06-17 21:14:00 -
109:
「そんな風に言わないでよ。律子さんどうしちゃったの?元気ないよ?」
「何かね、あんたがここから居なくなっちゃう事考えたらね、寂しくなってね。」
僕は笑いながら答えた。
「律子さんさあ、僕辞めるなんて今一言も言ってないよ?
僕と律子さんは、今こうやって一緒にいるよね?
これは何の疑いもない事実だよね?」
彼女は黙って僕を見ていた。2006-06-17 23:19:00 -
110:
「いつか別れが来るかもしれない、なんて先の事想像するよりも、
僕にとっては、今、一緒に居る本当、の方が大切なんだよ。
律子さんは大切な時間を僕に分けてくれていると、僕は思ってる。
だからこそ律子さんに、楽しんでいてもらいたい。」
僕の顔からは笑いが消えていたと思う。2006-06-17 23:39:00 -
111:
あの時の言葉は決して嘘なんかじゃない。
彼女がその言葉をどんな風に受け取ったか、正直言ってそんな事は関係がなかった。
僕の悪い予感は、律子さんの言葉、視線、溜息を吸い込んで
日に日に膨れ上がっている。2006-06-18 20:31:00 -
112:
ナツロウさんはなかなか戻ってこなかった。
那智君が向かいに座って、ずっと話してくれていた。
「すいません。ナツロウさん、今日忙しいみたいで・・・。」
「ううん。那智君が謝る事じゃないよ。それに今日は急に来ちゃったからね。」
那智君はお酒をグラスに注いでいる。
「そうだったんですか!でもタイミング良くって、僕もすごく嬉しかったです!」
彼はソーダーのビンを持つと、一旦動きを止めた。2006-06-18 20:41:00 -
113:
「あの・・・ナツキさん、ミント好きですか?」
「ミント?好きだよ?」
那智君は目を輝かせた。
「あの、もし良かったら、僕のおススメの飲み方で飲んでもらえませんか?」
「おススメ?いいね、是非飲みたい。」
「ちょっと待ってて下さいね。」
彼はすぐに戻ってきた。手にはミントを一枝持っている。2006-06-18 20:48:00 -
114:
グラスにミントの葉をちぎって入れ、マドラーで葉を軽く押しつぶす。
そこへ氷とソーダーを加えてステア。
そっと差し出されたグラスはまるで澄んだ海の様だった。
「どうですか?」
「・・・おいしい・・・。」
「ほんとっスか?良かった〜!!」2006-06-18 20:59:00 -
115:
彼の表情はとても輝いていた。
「それ、ミントジュレップっていうんです。本当は砂糖を少し入れるんですけど・・。」
「ミントジュレップ・・・。」
私はグラスを照明に透かした。
「きれいだね・・・。」
「きれいでしょ?それね僕のデビューカクテルなんです。」
「デビュー?」
「はい。バーテンダーになって、初めてお客様にお作りしたカクテルが
その、ミントジュレップだったんです。」2006-06-18 21:19:00 -
116:
「すごくおいしい。」
「ありがとうございます。・・・僕ねいつか自分の店を開きたいんです。
自分のバー、それが僕の夢なんです。」
私は彼の生き生きした顔がとても眩しかった。
「その為にここで頑張ろうって思ってます・・・って僕語り過ぎっスね!」
那智君は照れ笑いを浮かべていた。2006-06-18 21:30:00 -
117:
「ナツキさん、ごめんね!」
ナツロウさんが戻ってきた。
「お帰り。忙しそうだね。」
「うん。今日は何かね・・・。あれ?それ何飲んでるの?」
「ミントジュレップ。おいしいよ。」
「へえ・・・。きれいだね。」2006-06-19 10:40:00 -
118:
那智君はナツロウさんの様子を伺いながら切り出した。
「あの・・・すいません!僕が勝手に作らしてもらったんです。」
「お前が作ったのか?へえ・・・ちょっと飲んでいい?」
私はグラスをナツロウさんに手渡した。
ナツロウさんは香りを嗅いでから、そっと口に含んだ。
「・・うまいなあ・・・。那智、お前すごいじゃん。」
「私もね、初めて飲んだんだけど、すごく好きになった。」
「ありがとうございます。でも、すいません。でしゃばった事しちゃって。」
2006-06-19 10:53:00 -
119:
ナツロウさんは笑って那智君の肩を叩いた。
「そんな事気にするなよ。お前はナツキさんに喜んで貰いたくて作ったんだろ?」
「あ・・・はい。何かの形でお礼がしたかったんです。」
「お礼?どうして?」
私は那智君の顔を覗き込んだ。
「僕ほんとに誕生日祝ってもらえて嬉しかったんです。
それで、今僕に出来ることで何かないかなって。」
私も那智君の肩に手を置いた。2006-06-19 11:01:00 -
120:
「ありがとね。すごく嬉しかった。」
那智君は目を潤ませていた。
「お前、また泣きそうじゃん!」
「す、すいません!」
彼らはまるで兄弟の様だ。お互いに信頼しあっているのだろう。
「二人はいい関係だね。前からそう思ってた。」2006-06-19 13:19:00 -
121:
「僕あいつ好きなんだよね。不器用だけど、素直で、頑張ってて。
何か応援したくなるんだよね。」
ナツロウさんはとても優しい目をしている。
「兄弟は?いる?」
「僕はアニキが二人。末っ子。ナツキさんは?」
「私はお兄ちゃんが一人。二人兄弟なの。」
「仲いい?」
「うん。すごく兄弟仲はいいよ。ナツロウさんは?」
ナツロウさんは、少し首を傾げて、苦笑いした。2006-06-19 21:04:00 -
122:
「どうかな?悪くはないと思うよ。」
「悪くない?」
「うん。悪くはないけど、お互い干渉しないって言うか、
関心がないって言うか・・。タイプがね全然違うから。
う〜ん、例えばナツキさんはお兄さんといろんな事は話したり、
一緒に出掛けたりとかする?」
ナツロウさんはグラスをテーブルに置いた。2006-06-19 21:12:00 -
123:
「そうだね、結構話す方かな?出掛けたりとかは、今は一緒に住んでないから
ないんだけど、電話とかメールしたりするかな?」
「そうかあ、いいね、そうゆう関係。
僕らはたまに実家帰って会ったりしても、ほとんど話さない。
僕がこの仕事してる事も知らないんじゃないかな?
話したところで、アニキ達には理解し難いと思うからね。」
「そうかな・・・?」
「多分ね。二人はいい会社に勤めてて、結婚して子供がいたりもする。
想像できない世界だと思うんだよね。軟派だって思われちゃうかもね。」
私は彼をじっと見て、次の言葉を待った。2006-06-19 21:28:00 -
124:
「でもね、俺は二人をすごいって思ってる。自分の家族を築いて、
大切にしてる。それってものすごい事だよね。」
私は黙って頷いた。
「アニキ達はアニキ達で元気で頑張ってる。僕は僕で頑張ってる。
僕にとってはそれが分かってれば十分なんだ。
僕ら兄弟の関係はそんな感じかな?」2006-06-19 21:46:00 -
125:
「きっとお兄さん達も、ナツロウさんの事頑張ってるって思ってるよ。」
ナツロウさんはタバコに火をつけると、少し笑った。
「そうかな?」
「うん、多分きっとね。ナツロウさんがお兄さん達に言葉に出さないのと一緒で
心の中では、きっとあいつも頑張ってるなって思ってるよ。」
「・・・ありがとう。」2006-06-19 21:55:00 -
126:
「ナツロウさんは兄弟がいっぱいだね!那智君っていう弟もいるしね!」
何だか照れくさくなって私は彼の肩を叩いた。
「そうだよ!僕弟もいるんだよな!ほんっと世話が焼ける!」
ナツロウさんはテーブルに戻って来た那智君に聞こえるように言った。
「な、何ですか?弟!?」
「まあ、いいよ!那智!早く座れ〜。」
那智君は真面目な顔でナツロウさんの耳元に口を近づけた。
「・・・分かった。すぐ行く。」2006-06-19 22:04:00 -
127:
その様子を見て、私は店を出る事にした。
その事をナツロウさんに伝えると、彼は申し訳なさそうに、
那智君に伝票を持ってくるように指示した。
「ほんと慌しくしてごめんね!」
「いいよ。楽しかった。・・・あ、今日は見送ってくれなくていいよ。」
そんな訳にはいかないと言う彼と、少しの押し問答があった末に
私は店の出口まで送ってもらい、すぐにタクシーに乗り込んだ。
携帯を店の中に落としているとも知らずに。
家に着いてようやく気が付き、店に電話を掛けると、預かっておくとの事で
私は店に取りに帰ることにした。2006-06-19 22:19:00 -
128:
ただの偶然だったのだろうか?
それとも、こんな小さな出来事も、約束されて起こったのだろうか?
この日を境に、私の毎日は少しずつ、しかしはっきりと変わっていくことになる。
2006-06-19 22:26:00 -
129:
ナツキサンを見送ると、僕は急いで律子さんの卓に戻った。
「律子さんそうとう機嫌悪くなってますよ。」
「・・・分かった。すぐ行く。」
那智とのやり取りを思い出して、少し気が滅入る。
「すいません!お待たせ・・・」
「あんたいつまで待たせんのよ!」
問答無用と言った感じで、彼女は怒鳴った。
「すいません。」
「私、今日いくら使ってると思ってんのよ!放置なんてありえないわ!」
律子さんはしたたか酔っている様だ。2006-06-19 22:46:00 -
130:
最近の彼女はいつもこうだ。少しでも卓を離れると機嫌を損ねる。
彼女の言う事はもっともなのかも知れない。
あんたに会うために、時間と金を費やしているのだから、満足させろ。
本当にありがたいと思っている。
でも、僕にとっては、どのお客も大切だ。2006-06-19 22:52:00 -
131:
「律子さん機嫌直してよ。カリカリしてると美人が台無しだよ。」
コレは決してお世辞なんかではない。彼女は本当に綺麗な人だ。
綺麗な人が、怒りに顔を歪ませるのは、あまり見たくはない。
「・・・だって、あんたが傍にいないと、ここに来てる意味がないもの。」
律子さんの口調が和らいだ。OK。何とか機嫌は直してもらえそうだ。2006-06-20 00:15:00 -
132:
律子さんは僕にぴったりと寄り添って来た。
「ねえ、この前も言ったんだけどさ、あんたまだホスト上がる気ないの?」
「それは前にも言ったでしょ?まだここでお世話になるって。」
彼女はタバコを加えた。細長いメンソール。僕はその先に日を点した。
声を少し落として彼女は続ける。
「あんた今何処に住んでるの?家賃いくら?」2006-06-20 00:32:00 -
133:
僕はグラスの水滴を拭いながら答える。
「今はここからそんなに遠くない。家賃は10万かな。」
「そうなんだ・・・。意外と普通の部屋に住んでるのね。」
「部屋にそんなにお金掛ける気はないからね。十分満足してるし。」
律子さんはタバコの火を消しながら、呟くように言った。2006-06-20 00:41:00 -
134:
「ねえ、引っ越さない?」
僕は動揺を必死に隠して、顔を上げた。
「引越し?どうして?」
「酔っ払って、冗談言ってるなんて思わないでね。
私がマンション一部屋買うから、そこに引っ越さない?」
「律子さん、何言ってるの?」2006-06-20 00:57:00 -
135:
「本気で言ってるの。私あんたに投資する。
あんた言ってたわよね?やりたい事あるんでしょ?
それが何かは知らないけど、その援助もする。だから・・・。」
律子さんの目は真剣だった。
「だから、ここ辞めて・・・。」
僕は彼女の言葉を遮った。
「律子さん、今日はおかしいよ。かなり酔ってるみたいだし、今日はもう帰ったほうがいいよ?」
「酔ってなんかない!」
「とりあえず、外に行こう。ここでそんな話できないよ。」
僕は彼女の荷物を持って、外に出るように促した。
彼女の腕を取り、出口に連れて行った。2006-06-20 01:09:00 -
136:
一真さんに今日の会計は未収にして貰うようにお願いして、僕も外に出た。
今日の売り上げがどうなろうとかまわない。
「ここ辞めて、私の専属になって。」
「・・・どういう事?」
「いくら欲しい?出来る限りの事はするわ。
・・・お願い、ずっと私の傍にいて。」2006-06-20 01:19:00 -
137:
もうはっきりと答えるしかない。
僕の答えは決まっている。律子さんはもう以前の律子さんじゃない。
「それはできません。」
彼女は呆然と僕の顔を見ている。
「だめ?どうして?お金払うって言ってるじゃない。
ここでする事と何が違うって言うの?」2006-06-20 01:37:00 -
138:
「確かに僕は目標があってここで働いています。お金が欲しいのも本当です。
でも、律子さんの言ってる事は僕にはただのエゴにしか思えない。」
彼女は目を見開いて、言葉を無くしている。
「僕はこの店に居る時だけがホストのナツロウなんです。
この店を出た瞬間から、僕はナツロウじゃなくなる。
律子さんの知っている僕はホストのナツロウ、
律子さんの欲している僕もホストのナツロウでしょ?」2006-06-20 01:50:00 -
139:
「あ・・・」
律子さんは何か言いかけたが、僕はそれには構わず続けた。
「もちろんナツロウは僕自身です。でもナツロウはこのCLUB HILLが
あるから成り立っているんです。ここを離れれば、僕はただの男でしかない。」
「・・・傍に居てくれるだけでいいの・・・。」
僕は首を振った。
「律子さん、唯の男が女性の傍に居るだけで、お金を取るなんて、普通じゃないでしょ?」2006-06-20 02:44:00 -
140:
「そうゆう事が出来る男もいるのかも知れない。
でも僕はそんな事は出来ない、そして律子さんにもそんな事して欲しくない。」
律子さんは僕にカバンを投げつけてきた。
「綺麗事言わないでよ!誰だってお金があれば同じような事したいに決まってるゃない!
実際にしてる奴だっているわ!何で私がしちゃいけないのよ!
・・・ねえ、あんただってお金欲しいんでしょ?」
僕は散らばった財布や携帯をカバンに収め、律子さんにカバンを渡した。2006-06-20 03:08:00 -
141:
「ねえ、何とか言ってよ。」
「・・・僕は確かにここの商品です。でも僕は物じゃない。」
彼女の顔は凍りついていた。
「律子さん僕は人間です。感情だってもちろんある。嫌なものは嫌。
お金だけで動いている訳じゃないんですよ。」
彼女は口をつぐんだまま、僕から目を逸らした。
「もっと上手くかわせば良かったかも知れない。
でも僕は適当な返事の仕方はしたくなかったんです。」2006-06-20 03:31:00 -
142:
「僕はこの店の中だけでは、律子さんを楽しませる事が出来なかったみたいですね。
申し訳ありません。その上こんな事になってしまった。
僕はホスト失格なのかも知れません。」
僕はタクシーを止めた。ドアが開く。
「どうぞ今日は帰られて、ゆっくり休んで下さい。きっとお疲れなんですよ。」
律子さんはカバンから札束を出すと乱暴にジャケットのポケットにねじ込んだ。
「足りるわよね?」
僕は静かに彼女の手にそれを戻し、タクシーに彼女を乗せた。2006-06-20 03:46:00 -
143:
「今日のお会計は次回で結構です。落ち着かれたらご連絡下さい。」
ドアが閉まり程なくして、タクシーは静かに走り出した。
僕は座り込み溜息をつくと、タバコを取り出し火をつけた。
煙を吐いて顔を上げると、そこにはナツキさんが立っていた。2006-06-20 03:57:00 -
144:
「ナツキさん・・・。」
ナツキさんは僕の正面にしゃがみ込んだ。
「今あった事、見られちゃったのかな・・・。」
彼女は黙って首を横に振った。そして僕の髪をそっと撫でた。
「何があったのかは知らないよ。でもあなたとても悲しそうに見えたから。」
彼女はそれ以上は何も言わず、ただ僕の髪を撫でてていた。2006-06-20 14:00:00 -
145:
僕の中で必死に抑えていたものが決壊した。
僕は彼女の腕にすがって、泣き出した。
自分でも情けないくらい、言葉にならない声を絞り出して泣いていた。
彼女は僕の背中をさすり続けていた。
ビルとビルの間に、明るい日差しが差し込み、僕達を包んでくれた。2006-06-20 14:20:00 -
146:
「おっ!久しぶり!」
待ち合わせの場所に着くと、未来は手を挙げて笑った。
「ごめんね。待たせちゃったね。」
「少し早く着いたのよ。気にすんな!」
「ねえ、何食べようか?おなか空いちゃった。」
「あっちにおいしいとこあんのよ。行こうか!」
未来の案内で入ったタイ料理屋さん。二人はとりあえずビール。2006-06-20 14:44:00 -
147:
夕方の6時。日は傾き、窓から見える行きかう人たちの頬はオレンジ色に染まる。
通りには長い影が映っている。
「昨日ね、会社の近くでかわいい靴屋さん見つけてね、このミュール買ったの。」
未来はテーブルの下を覗き込んだ。
「へえ、かわいいじゃない。最近あの辺りも店が増えてるもんね。」
「そうなんだよね。久しぶりにゆっくり歩いてみたらね、いろいろ発見しちゃうね。」
「今度連れてっててよ。」
「うん!」2006-06-20 14:55:00 -
148:
料理が運ばれてきた。パパイヤのサラダ、生春巻き、空芯菜の炒め物。
刺激的な辛さに、私は涙目になりながら食べ続けた。
未来はそんな私を笑いながら、涼しい顔で箸を口に運ぶ。
「あんた、ほんと新陳代謝活発だよね。」
「うん。でも辛いのは大好きなんだけどね。」
口を癒そうと、私はビールをひっきりなしに飲んだ。2006-06-20 15:01:00 -
149:
私は料理の写真をいつも撮る。家で自分で作った新しい料理も画像にして残している。
ノートに店の名前や、料理の名前、日付、誰と食べたか、
そんな簡単なメモを記して、写真を貼る。日記帳の様な物だ。
今日も例に漏れず、携帯で写真を撮った。
「相変わらずだね。もう結構な数になったんじゃない?」
そんな私の様子を見て、未来は楽しそうに言った。
「うん、数えてないけどね、たくさんノートが出来たよ。」
「あんたの部屋の押入れ、ノートで一杯だもんね。」2006-06-20 17:07:00 -
150:
「何かね、習慣になってるんだよね。・・あ、これこの間作ったの。」
私はデーターを呼び出し、未来に携帯の画面を差し出した。
「おいしいそう。あんた本当に料理好きだよね。」
「うん。料理って楽しいからね。」
未来は顔を上げると、遠慮がちに口を開いた。
「・・・ねえ、もういいの?」2006-06-20 17:15:00