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絶頂期に病に襲われ19年…元グラビア女王・川村ひかるさんは今(日刊ゲンダイDIGITAL)

1990年代後半から2000年代にかけて、グラビアアイドルとして少年誌や青年誌の表紙を飾り、世の男性たちをとりこにした川村ひかるさん(38)。バラエティー番組などにも多数出演し、マルチに活躍していた。およそ15年たった今、どうしているのか。
川村さんに会ったのは、東京・港区にある所属事務所内。アラフォー世代になった今も、グラドル時代のスタイルと美貌は健在だ。
聞けば、現在は芸能活動が落ち着き、仕事の約8割は自身の会社を通したものとのこと。
「健康・美容にまつわるPRのお仕事、商品開発をしています。各企業の宣伝会議に月に1度ほど参加したり、イベントでパワーポイントを使って美容セミナーを開いたり、美容学校で女の子たちに栄養学を教えたりしています」
資格取得にも熱心だ。グラドル時代に「癒やされたくて」、JAAアロマコーディネーターの資格を取得。20代前半に子宮内膜症、30代前半に若年性更年期障害や脳動脈瘤を経験すると、体調管理の大切さに目覚めて健康管理士や野菜ソムリエ、発酵プロフェッショナルを取得した。
2016年に結婚後、不妊治療を受けた経験をもとに妊活マイスターの講師に。「(自分が)妊活した時のデータを取り入れて考えた」という100枚超の資料を手に、熱心に内容を説明してくれた。
「女性には、社会で活躍しながら出産も経験してほしいです。私も両立に日々悩んでいますが、現代の女性は、わらじを何足も履かないといけない。よりパワーが必要だからこそ、栄養のあるものを食べて、体を見つめ直してほしいです」
■雛形あきこの水着ポスターに驚きと嫉妬心
さて、東京出身の川村さん、子供のころは「勝ち気で生意気な女の子」だったという。
「兄の影響で、幼稚園から柔道をやっていました。試合では同年代の対戦相手がいないので、小学3年生と戦わないといけない。負けちゃいけないと思いながら戦っていました。自分を男の子だと思っていたんじゃないですかね」
芸能界を目指したのは中学2年。男友達の家に、当時、人気絶頂だった雛形あきこ(40)の水着ポスターが張ってあるのを目にし、嫉妬心と驚きの気持ちが芽生えた。
「私の写真は、私か親か、一緒に写っている人しか持っていない。でもこの写真は、全国の男の子たちが見てウットリ妄想している。そう思って衝撃を受けました」
以来、コンビニの漫画雑誌や電車内で揺れる中吊り広告を飾るグラドルたちに心揺さぶられ、「私もなる!」と決心。
「スカウトもされてないのに、放課後に毎日、お金がないから外で縄跳びをしたりサウナスーツを着て走ったり、200円くらい払って区民プールで泳いだりしました。けなげでしたね(笑い)」
その後、スカウトされて芸能界入り。下積み時代を経て、深夜番組「ワンダフル」(TBS系)に水着で出演したのが集英社の目に留まり、ヤングジャンプなどで表紙を飾るように。99年には、写真集のグラビア部門の売り上げトップに躍り出た。
しかし、ムリがたたってか、事あるごとに病に襲われてしまう。
「子宮内膜症になったころ、仕事終わりが毎日夜の10時、11時でした。女友達と遊ぶにしても、当時は今のように気軽に連絡が取り合えないから会うしかない。会ったら夜中。お酒も入る。朝6時には仕事の迎えが来る。不規則な生活も拍車をかけてました。仕事が忙しかった10代のころも、ストレスでしゃべれなくなったことがあります」
それでも、脳動脈瘤が発覚した時「親身になって心配してくれた」男性が現在の夫に。病が人生の岐路になった。
「病気は早期発見が大事です。私も人間ドックを毎年受けています。もし病気になったら、進行させないように“パートナー”として付き合っていくしかありません。あと『病気になった』と落ち込むと、ストレスで免疫力が下がってしまいます。だから『何かのメッセージなのかな』と前向きに考えるようにしています」
(取材・文 桜井恒二)
提供元:Yahooニュース