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禁断のネタに挑戦!『止められるか、俺たちを』白石和彌監督に単独インタビュー(dmenu映画)

2012年10月17日に若松孝二監督が逝去してから早6年が経つ。若松監督は、『壁の中の秘事』(1965年)、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007年)、『キャタピラー』(2010年)など、映画を武器に戦い、国際的に高く評価された鬼才だ。
このたび、若松監督の死によって活動を止めていた若松プロダクション(以下、若松プロ)が映画製作を再始動させた。記念すべき第一弾を飾るのが、『止められるか、俺たちを』だ。1969年から1971年にかけての若松プロを、実在した助監督・吉積めぐみの目を通して描いた青春群像劇である。
企画・監督を手掛けたのは、若松プロ出身の白石和彌(しらいし・かずや)。『凶悪』で第37回日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞後、『彼女がその名を知らない鳥たち』『孤狼の血』など、話題作を次々と発表。いまや日本映画界を牽引する俊英だ。白石監督にお話を伺った。
Q:2016年、白石監督が若松監督生誕80周年を記念する特別上映会に参加した後、吉積めぐみさんの写真集を手にしたことが、この映画の企画を思い付いたきっかけだそうですね。しかもその写真集は、若松監督の誕生日である4月1日に送られてきたとか。運命的なものを感じます。
この仕事をしていると、なかなか衝動で映画を撮れるということがなくて。『止められるか、俺たちを』は久しぶりに居ても立ってもいられない題材に出会えたという気持ちでした。ただ、企画を思い付いたときは、若干禁断のネタだなと。自分の師匠をネタにするわけで、しかも若松さんは自分を描くという発想のなかった方でしたから。
そんな気持ちを抱きながら、めぐみさんの写真集についている年表を見ていたら、どれも傑作揃いで。若松監督が動き出す姿が自然にイメージ出来たんです。青春時代の若松監督を見てみたいという衝動で突っ走りました。
Q:若松プロのオフィスにはめぐみさんのお写真が飾られていたとか。若松監督や若松プロのレジェンドOBの方々にとって、彼女はどのような存在だったのでしょう。
若松監督にとって、めぐみさんは娘にしては年が近いけれど、親代わりのような気持ちでかわいがっていたと思います。ただ、若松監督は僕らに彼女のことを多くは語りませんでした。
Q:この映画には若松プロのレジェンドOBの方々が実名で登場しています。劇中、めぐみさんと恋に落ちる役どころの高間さんは『止められるか、俺たちを』をご覧になって、「フィクションが混ざっている」とおっしゃっていたそうですが……。
めぐみさんと高間さんの関係は、本当の話です。『止められるか、俺たちを』は基本的に実際に起こったことやレジェンドOBの方々のインタビューをもとにして作っています。ただ、当時はフリーセックスな時代ですから、お付き合いしていた、彼女だった、という言葉は当てはまらないのかもしれません。
Q:映画で描かれた、めぐみさんの悲しい運命は、本当の話だったのですね。
当時、若松プロを育ちの場として監督になったり、違う分野で成功したりする方がたくさんいました。高間さんも日本有数のカメラマンです。そういった状況下で、めぐみさんは何者にもなれなかった。それは若松プロにいた僕らも同じこと。僕はたまたま監督をやれていますが、一歩間違えばそうはならなかった。『止められるか、俺たちを』を作ることで、僕の大先輩であり、仲間であるめぐみさんの足跡を残せてよかったと思っています。
Q:何の目的もなく生きている人たちがこの映画を観たら、「何かやらなければ!」と目が覚めると思います。
『止められるか、俺たちを』はニッチな世界のように見えて、何かやってみたいと思っている人たちみんなが共感出来る内容になっていると思います。この映画を観て、自分も映画を作りたいと思う人がいるかもしれない。映画はいろんな影響を与えながら、生き続けていくもの。だからこそ、彼女や若松プロの人たちが寝る間を惜しんで打ち込んでいる姿は美しい。その瞬間の輝きを写し取りたい、と思いながら撮りました。
提供元:Yahooニュース