-
夜遊び夜遊び
-
お水お水
-
ホストホスト
-
風俗風俗
-
ビューティビューティ
-
ファッションファッション
-
悩み相談悩み相談
-
モデルモデル
-
芸能芸能
-
雑談雑談
-
食べ物・グルメグルメ
-
生活生活
-
恋恋
-
インターネット・ゲームネット・ゲーム
-
ギャンブルギャンブル
-
過去ログ倉庫過去ログ倉庫
-
運営運営
「NY、10月11日、男」とポツリ… 萬田久子、バッシング飛び交う成田空港で小声の“リップサービス”(夕刊フジ)

【女優・萬田久子 愛と性の日々】
「プレイガール女優」として浮名を流してきた萬田久子の奔放な人生にピリオドを打ったのが佐々木力氏である。
萬田と1985年暮れから正月にかけて、ハワイで「不倫ハネムーン」を過ごした佐々木氏は大手アパレルメーカーの香港支社長を辞して独立。香港で会社を興し、カフェバーや中国料理店の経営に乗り出している。
3児の父親でもある佐々木氏は、会社のファッションショーのモデルに萬田が出演したのがきっかけで出会い、恋に落ちたという。萬田は85年春に作曲家の都倉俊一氏とのロマンスが話題となったが、その半年後には佐々木氏と熱愛関係になっていたのだ。
萬田の一途で素早い動きに、私は炎のような情念を感じた。身ごもると臨月でニューヨークに飛び、87年10月11日に長男を出産し、88年1月末に帰国。乳児は同行したお手伝いさんに託し、成田空港での萬田は単身だった。その日のことを、私は手帳に「29歳、未婚の母帰国」と記載してあった。
新聞社、雑誌社、テレビクルーが空港到着口通路で待ち受けた。「不倫」「未婚の母」と連日報じられ、彼女への当時の風当たりは強かった。特に女性週刊誌とワイドショーのバッシングはすさまじく、萬田が出てくると「相手の男性の妻子の気持ちを考えたことがありますか」とか「生まれてきた子供の将来を思えば無責任では」といった厳しい質問が飛んだ。
萬田は終始無言だったが、動く廊下の脇を歩いていた私に気づくと「あら? どこかで見たお方ね?」と小声であいさつ。この一瞬に私は「産んだ場所と日付は? 子供は男? 女?」とそっと聞く。すると彼女はさらに小さな声で「NY、10月11日、男」とポツリ。リップサービスだ。
やがて香港から帰国した佐々木氏は東京・目黒に豪邸を購入。萬田の長男を認知すると、94年には妻との離婚を成立させた。しかし元妻の条件は「離婚後は誰とも再婚しないこと」だったため、萬田との再婚は成らず、ここからは事実婚となった。月日がたつと世間のバッシングも弱まり、フジテレビ「妻たちの劇場」(91年)や映画「略奪愛」(同)などの出演が決まり、ようやく萬田に公私にわたる「平和」な日々が訪れた。しかし、それは長くは続かなかった。(フリーライター・中野信行)
■萬田久子(まんだ・ひさこ) 本名・万田久子。1958年4月13日生まれ、60歳。大阪府出身。帝塚山短期大学在学中の78年、ミス・ユニバース日本代表に選。上京し、80年にNHK「なっちゃんの写真館」でデビュー。容姿端麗で艶やかなキャラクターはサスペンス色の濃い映画・テレビ・ドラマからの引き合いが多い。
私生活では妻子ある大手アパレル会社のオーナーとの間に一児をもうけて「未婚の母」となり、相手が離婚した後も入籍せずに「事実婚」を通してきた。
提供元:Yahooニュース