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萬田久子、ワイキキで語った有名作曲家との恋 記者が語る素顔(夕刊フジ)

【女優・萬田久子 愛と性の日々】
ミス・ユニバース日本代表を経て女優、不倫、未婚の母、略奪婚、事実婚、未亡人…と、公私にわたって話題を振りまいてきた萬田久子。今年還暦を迎えたが、華麗な容姿は際立っている。波乱に富んだ彼女の半生を間近で見てきた記者がその素顔を赤裸々に伝える。
短大卒業後に上京、1980年のNHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」で女優デビュー。翌81年には映画「夏の別れ」(井上眞介監督)で大胆なヌードに挑み、話題を集めている。若くして大人の雰囲気を漂わせ、小悪魔的な魅力を発散させていた。
サスペンスものの現代劇に多く出演する中、83年のNHK大河ドラマ「徳川家康」に抜擢されたことで時代劇の仕事も急増。中でも事件の鍵を握る、憂いをもった悪女役は十八番である。
20代半ばに入ると「恋多き女優」というレッテルを貼られ、85年にはヒットメーカーの作曲家、都倉俊一との熱愛がマスコミをにぎわした。ピンク・レディーの「ペッパー警部」、山口百恵の「ひと夏の経験」、山本リンダの「どうにもとまらない」などを手掛けた都倉は、女優の大信田礼子と離婚して独身だった。芸能誌は「萬田と再婚か?」と派手に書きたてたものだ。
86年の元日、私はワイキキの砂浜で偶然、1人で散歩中の萬田と出くわした。何度か取材して顔見知りだったこともあり、真っ白な日傘に真っ赤な麦わら帽子の彼女は、私と目が合うと笑顔で「あら、あけましておめでとうございます」と丁寧に年始のあいさつ。
私は85年の年の瀬からワイキキ入りし、元日の朝に石原裕次郎の「6億円別荘」独占取材に成功。スクープ原稿を日本に送ったばかりで気分は高揚していた。
そこに「都倉俊一の話題の恋人」が近づいてきたのだ。「元日早々から2度目のスクープチャンス」。そんな魂胆を押し殺し、私はダイヤモンドヘッドを一望できるホテルの喫茶室に誘った。
彼女は席に着くなり、「都倉さんのことを聞きたいのでしょ?」と切り出し、くすっと笑った。 そして「彼とはマンションが同じです。ある夜、タクシーで帰宅すると都倉さんがマンションの前に立っていて、豪華な花束をプレゼントしてくれたのです」と出会いから話し出したのだ。(フリーライター・中野信行)
■萬田久子(まんだ・ひさこ) 本名・万田久子。1958年4月13日生まれ、60歳。大阪府出身。帝塚山短期大学在学中の78年、ミス・ユニバース日本代表に選。上京し、80年にNHK「なっちゃんの写真館」でデビュー。容姿端麗で艶やかなキャラクターはサスペンス色の濃い映画・テレビ・ドラマからの引き合いが多い。
私生活では妻子ある大手アパレル会社のオーナーとの間に一児をもうけて「未婚の母」となり、相手が離婚した後も入籍せずに「事実婚」を通してきた。
提供元:Yahooニュース