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皇族の自由恋愛はすでに普通のこと 小室圭さんを調査する発想がなかったか【皇室のトリビア】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【皇室のトリビア】#19

 皇族の恋愛結婚といえば、なんといっても明仁皇太子と正田美智子さん(現上皇と上皇后)のご成婚だろう。テニスコートの出会いがあり、美智子さんは渦中から身を遠ざけるために世界旅行に旅立ち、帰国した美智子さんに皇太子が熱心に説得してついに結婚を成就したというシンデレラ物語は当時の国民を夢中にさせた。

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 興味深いのは美智子さんが候補になる前に、旧華族の令嬢たちも候補に挙がったが、正式に結婚を申し込まれる前に次々に他家と婚約して逃げたことだ。戦後の自由な生活を味わった華族たちは、皇室が旧態依然とし窮屈なことを知っていたからだろう。

 当時は皇太子が「平民」と結婚することに、皇族から強い抵抗があった。美智子さんの実家は日清製粉のオーナーで資産家という新興財閥だから、とても「平民」とは思えないが、当時の皇族からすればそう映ったのだろう。それでもご自分の意志を貫いた皇太子は、「私は恋を成就した」と学友に語ったという。

 しかし婚約のいきさつを国会で問われた当時の宇佐美毅宮内庁長官は「軽井沢で恋愛が始まったという事実はございません」と、必死に恋愛結婚を否定した。皇族の恋愛結婚を認めない人たちが少なからずいたのだろう。

 秋篠宮さまも恋愛結婚である。お相手の紀子さまは学習院の1年後輩だった。弟宮から4年遅れて婚約内定を発表した徳仁親王(現天皇)も恋愛結婚だった。1986年に来日されたスペイン王女の歓迎レセプションで小和田雅子さんを紹介されたが、その後、昭和天皇の崩御などで交際が途絶えていたのを、92年に徳仁親王から「小和田さんはどうしていらっしゃるだろうか」のひと言で、当時の宮内庁長官らがお2人の出会いの場をつくった。もちろんその前に小和田家のことも調べている。最初の出会いこそ演出されたが、その後の展開は間違いなく恋愛結婚だった。

 近年になると、皇族の恋愛結婚は普通に受け止められるようになり、世間では個人同士の結婚に、結婚相手の身辺調査まですることはまれになっていたから、秋篠宮家でも、小室さんの身辺調査をするという発想がなかったのかもしれない。ただ、紀子さまの父は3LDK職員住宅住まいといっても学習院大学の教授であり、雅子さまの父は外交官で外務事務次官だから素性がはっきりしていた。それに対して、小室さんの場合は素性もよくわからなかったのに、眞子さまの婚約が内定したことに違いがある。

 こうしてみると、皇族の結婚相手が、戦前の華族か皇族から戦後は旧藩主や五摂家へ、そして新興財閥になり、平成になると大学教授や外交官になり、令和に入ると正真正銘の庶民へと広がったといえる。結婚相手がヒエラルキーのトップからどんどん裾野に下りていくのは、裏を返せば、日本からエスタブリッシュメントがいなくなったからだ。今後もこの流れは加速するかもしれない。(つづく)

提供元:Yahooニュース
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