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OL兼漫画家・白戸ミフル、恋人にフラれ思い出した“夢” 合コンの女王だった私が漫画家になった話(夕刊フジ)

■結婚もしないまま 死ねるか絶対に!!
2500回超えを誇る合コンの女王だ。
10代、20代でタレント活動のかたわらレースクイーンでならし、40代を迎えた今は会社員と漫画家の顔を持つ。
で、いまだ合コン回数を重ね、さらに女子会、アルコール、カラオケ三昧というのだから、人の倍以上のスタミナとスピード感の持ち主。生まれつき“生体エネルギー”が高い性質(たち)なのだろう。
「ええ、昔から2つのことを同時並行していないと不安になっちゃう。今日もランチ食べながらスマホでメルカリにエコバッグを出品しましたよ」とクスリ。
心身ともに健康と自負していたが、突然、その自信が砕かれた。5年前のことだ。
シャワーの最中、右胸と脇にしこりを発見。恐る恐る診てもらった医師にステージ4(末期)の乳がんと診断された。“死”の文字が脳裏をよぎる。
「いやだ、この世から私が消えてなくなるなんて許せない。結婚もしないまま死ねるか絶対に。あかん! と思いました」
迷わずがん治療を開始。乳房の温存治療を選択したものの、右胸上部の腫瘤の摘出手術で右の乳房はいくらか小さくなった。そして抗がん剤治療、骨転移もあったため、放射線治療や注射によるホルモン治療がこれでもかと続いた。
「苦しかったこと? 摘出手術の後、しばらくは右胸をえぐられるような痛みが続いたし、ホルモン治療の副作用で頭痛やめまいなど更年期障害みたいな症状が出たこと、髪の毛や眉毛までがどんどん抜けていったことも」
堪え難かったのは、友人にさえ言えなかった、がんを告白した彼との関係だ。
「私が辛さのあまり、甘えて当たってしまい、応援してくれてたのに『いつも君は不機嫌、もう限界』と振られてしまったこと。次に好きになった人は、今度は私が嫌われるのが怖くて乳がんを言い出せず、好きなのにいざというとき、あいまいな態度を取り続けて去られてしまったこと」
◆好きな人にフラれ 「夢の実現」明確に
そんなとき、氷が水に変化するように、性格の“相転移”が起きる。これまで結婚してからゆっくりやろうと思ってきた「夢の実現」を真剣に考え始めたのだ。
遊び回り、はしゃぎまくってきた膨大な時間に埋もれてしまった“何か”。思いを巡らせるなか、ムクリと立ち上がる明確な意識があった。
小学生のときの憧れ。
「漫画家こそ私の、夢…」
基礎的な勉強を終え、コテコテの恋愛漫画でスタートを切った。髪を振り乱そうにも、その頃髪の毛は抜け落ちカツラ姿。しかし、「長年の合コンで培った自他の恋愛体験は誰にも負けないよ。ネタには困らないからね」と強気の生体エネルギーが爆発する。
出版社に作品を持ち込むこと4回。が、どこでも「人が描けてない」と断られた。やっと「電子書籍なら」との返事をもらってから運が向き、悲願の単行本化が実現した。
「紙媒体デビューのきっかけは、電子書籍『合コン・アンド・ザ・シティ』の担当編集者の紹介で、紙媒体の編集さんと知りあったこと。のちにお互いが幹事となって合コンを仕切った縁で、今作(『乳がんステージ4だった私が、それでも合コンに行きまくって救われた話』)の話が進み、登場人物のキャラや線をガラリ変え、描き続けました」
救いの神はやっぱり合コンだった。
「次は友人と2人、世界一周合婚活の旅をしたいな。セブ島に3カ月間留学し語学力をつけ、冬は南半球へ、夏はヨーロッパを中心に合コンして、すてきなパートナーを見つけるんです」
今、がんは治(おさ)まり、3カ月に1回のホルモン注射を続けながらの経過観察中。パソコン1台を携え、世界を駆け巡る日は案外近いかもしれない。(ペン・冨安京子 カメラ・桐原正道)
■白戸ミフル(しらと・みふる) OL兼漫画家、作家。1978年7月22日生まれ、40歳。神奈川県出身。武蔵野美術大学卒。レースクイーンやグラビア活動ののち、出版・広告系の仕事を経て現在、化粧品会社勤務。著書に、乳がん治療の一部始終と私生活を赤裸々に描いた『乳がんステージ4だった私が、それでも合コンに行きまくって救われた話』(キノブックス)がある。
提供元:Yahooニュース