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ライフステージとは社会的なものか個人的なものか?人生の段階がフィルモグラフィーになるアニメ監督・細田守(IGN JAPAN)

人生には段階が存在する。だけど個人の主観からは、それらの段階は曖昧ではっきりとしない。しかし外部からはその区切りをはっきりとつけられている。社会的に設定されている区切りとして進学と就職、結婚や出産。これらの出来事は、一般的にライフステージと呼ばれている。
他人を判断するとき、社会的な価値に根差したライフステージはわかりやすい。各ライフステージを題材にする映画や小説はとても共感しやすく見える。しかし一方でこうも考える。俗に言えば個人の感性を軸とするクリエイターという職種を選択し、作家性を発揮しようとする人間が、社会が設定したに過ぎない人生の段階を素直に受け取れるものだろうか? そうではないだろう。どこかで社会的な価値からこぼれるものを描くことが多いはずだ。
「未来のミライ」画像・動画ギャラリー
家族を題材にしながら、どこかそのシステムを冷めた目で観ているところがある。
その意味で細田監督は日本のアニメのなかでも、社会的なライフステージをそのまま夏のアニメ大作の題材としている作家だ。『未来のミライ』では「私の息子に妹が生まれたとき、彼のリアクションを見て、これは面白いと思いました」(パンフレットより)と第ニ子誕生がきっかけだと語っている。一見、わかりやすいライフステージの変化を取り上げた作品に見えるが、筆者のレビューでも書いたが社会的な意味での家族と、個人が押しつぶされる部分がある作品だ。
作品の出来がいつもどこか歪であるゆえに、人生の段階というものが個人的なものか社会的なものかを見つめ直させるとも言える。彼の作品は家族を題材にしながら、どこかそのシステムを冷めた目で観ているところがある。あらためて細田守の(おそらく意図していない)作家性とは何かを問うならば、漠然と信じられている社会的な意味での家族とのズレを描くことだと言える。
『サマーウォーズ』から以降の細田監督のフィルモグラフィーはそのまま監督自身のライフステージの変化に呼応している。結婚(『サマーウォーズ』)、その後の生活(『おおかみこどもの雨と雪』)、第一子の誕生(『バケモノの子』)、第ニ子の誕生(『未来のミライ』)がそのまま題材になっている。にもかかわらず、細田監督作品が家族賛美に振り切っていないのは、彼がもともと社会一般で価値があるとされるライフステージから遠ざかっていた立場だったことがあるだろう。かつて橋本カツヨの名義で絵コンテを担当して活躍していた時代には、そうした部分から距離があったと思う。
『サマーウォーズ』以前、橋本カツヨ名義で『少女革命ウテナ』などに絵コンテとして関わっていたころや『デジモンアドベンチャー』などに関わっていたころとはスタンスは別物になっている。橋本カツヨはいまだに細田監督が最高のクリエイティビティを発揮していた時代として語られていて、その頃は結婚など社会一般の価値から離れていた時代だったと言える。
でも本当に最も演出が切れていた時期の、クリエイターらしいと呼ばれた時代の彼は本当にいなくなったのか。ある意味ではその演出力は、社会的な価値を冷たく切り取る瞬間に発揮されている。発言を振り返っていこう。
「僕に息子が生まれたことが、やはり一番大きなキッカケかもしれません」
『サマーウォーズ』の時、「実は、それまで結婚のイメージって『面倒くさそう』とか『契約に縛られる』というあまり良くないものだったんです。でも、先方のご家族に挨拶に行ったときに、それまで会ったこともない人と次の瞬間には家族になる、ということが、とても不思議で面白かったんですね」と過去のインタビューで語っている。この時点で感じられるのは、やはり一般のライフステージから遠いクリエイターの姿だ。
結婚後の『おおかみこどもの雨と雪』ではこうだ。「いままで僕は子育てにまったく興味がなかったんです。心のどこかで、『これだけ人口がいるんだから、子どもが生まれるなんて簡単な話なんじゃないかな』と思っていた」、「結婚しただけじゃ子どもってできないんだなって。“結婚しただけじゃ”って変ですけど」と語る 。
提供元:Yahooニュース