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モノマネタレント沙羅が激白 母にもうお金ないと泣かれ…(日刊ゲンダイDIGITAL)

綾瀬はるかの顔マネで話題のモノマネタレントの沙羅さん(35)。声優志望の時期は貧乏で、母親からは泣きながら電話で訴えられ、故郷に帰る決意をした途端に、チャンス到来?
◇ ◇ ◇
名古屋出身で、大学を出て、最初は京都で人材採用の会社の営業をやっていました。
月給は23万円くらいでしたが、早朝から深夜まで、とにかく働き過ぎで、人生で一番つらかったかもしれません(笑い)。数年で心身がボロボロになり、仕事を辞めました。
「人を笑顔にできる仕事をしたい」と考えた時、小学生の頃に声優を目指していたのを思い出し、声優オーディションを受け、合格した半年後に上京。でも、そこは声優事務所でもなく、小劇場の舞台で新人の役者として活動していて、声優の仕事は全く頂くことができなくて、6年くらいはずっと“声優志望”のままでした。
バイトは、東京駅にあるチェーン店のカフェ。住まいは、千葉にいる妹が会社勤めだったので、社宅に居候してました。
最初はお互い楽しかったけど、居候が長くなって、たくさんケンカをしたし、「出てってよ!」と言われたことは何度も。結局、2年後に妹がその会社を辞めたので、2人一緒に出ていく羽目に。
■思いでづくりで「笑っていいとも!」に出たのが転機に
その後は吉祥寺に4年間一人暮らし。養成所も移ったけど、養成所に払うお金が月4万円で家賃が6万3000円。舞台に出ると、1カ月半はバイトを休まなきゃいけないから、メチャメチャお金なかったです。スーパーで買った安いうどんばかり食べてました。
お金が足りなくなると母親から借金して。「5万貸して」「10万貸して?」を繰り返してたらある日、母親から「もう31歳だし、結婚もしないで、将来どうするの?」と、泣きながら電話がきて。
3姉妹なんですけど、私は中・高・大学と私立で、米国に留学もさせてもらって、一番お金を使わせてもらってたんです。
「お母さんたちも、もうすぐ年金に頼る暮らしになるし、もうお金ないし、いつまでも生きてないんだよ」と、電話の向こうで泣かれて、“私、なんて親不孝なんだろう……”と思いました。
夢をきっぱり諦めて名古屋に帰ろうと決め、最後に思い出づくりに「笑っていいとも!」(フジテレビ系)の「そっくりさんアワード」コーナーに出たんです。OLの頃から「綾瀬はるかさんに似てる!」と言われてたからです。
そしたら、関根勤さんが「面白いね!」とウケてくれてチャンピオンに! 数カ月後のチャンピオン大会では優勝はできなかったけど、「いいとも」を見てくれてた「モノマネ紅白歌合戦」(同)のスタッフが声をかけてくれて、シロウトコーナーに出ることに。「思い出づくりにもう一回」と出たら、あるプロダクションの方から、「うちに入らないか」と声をかけてもらいました。すごい早い展開。「私、もしかしたらモノマネでいけるのかも?」と(笑い)。それが4年前。
■綾瀬はるかのモノマネは本人公認
モノマネを始めた31歳から、生活は変わりました。モノマネは子供の頃から好きだったし、学生時代にマネてたSPEEDとか、ドラマで人気の篠原涼子さんらのレパートリーを増やすと、仕事も入って生活が安定して、お母さんも「あんた、よかったわね!」と安心してくれた。
最近、移籍したホリプロコムさんは親会社が綾瀬さんが所属されてるプロダクションです。前に一度、テレビ局の廊下でご挨拶した時には「いつも拝見してます」と笑顔で言ってくれたんです! なので公認です(笑い)。
今は綾瀬さんとバラエティーで共演するのが目標です。
(聞き手=松野大介)
提供元:Yahooニュース