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役者の転換点に…故・津川雅彦さんが語っていた“悪役志願”(日刊ゲンダイDIGITAL)

平成最後の夏に、昭和の名優がまた一人、この世を去った。俳優の津川雅彦(本名・加藤雅彦)さんが今月4日に心不全のため亡くなっていたことが明らかになった。享年78。すでに葬儀は近親者で済ませたという。喪主は長女で女優の真由子さん。津川さんは今年4月27日に芸能界きっての“おしどり夫婦”と呼ばれた愛妻の朝丘雪路さん(享年82)を亡くしたばかり。その後を追うように泉下の人となった。
昭和・平成を駆け抜けた激動の役者人生だった。祖父は「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三監督で、叔父はマキノ雅弘監督。兄は俳優の長門裕之さんという芸能一家の生まれ。16歳の時に、原作小説を書いた石原慎太郎氏の推薦で映画「狂った果実」(56年)で鮮烈デビュー。石原裕次郎の弟役として二枚目スター街道を歩み始めた。しかしながら、その後は役者としてよりも女性関係のスキャンダルが頻発。デヴィ夫人との熱愛など芸能ゴシップの主役を飾ることの方が多くなった。
転機となったのは悪役への転向。日刊ゲンダイのインタビュー「私の秘蔵写真」(2015年11月)では「恋愛スキャンダルでマスコミに叩かれてね。逃げも隠れもしなかったから、あっという間に『嫌いな俳優1位』になって、仕事がなくなった。それで“もうこれだけ嫌われたら、悪役しかない”と悪役に挑戦し、『必殺仕事人』で再ブレークしたんですよ」と役者としての転換点について語っていた。
■拉致問題解決への熱意
その後は伊丹十三監督シリーズの“常連”となり、幅広い役柄で数々の作品に出演。06年公開の映画「寝ずの番」では初監督も務めた。
プライベートでは73年に朝丘雪路さんと結婚後はプレーボーイの顔は封印し、マイホームパパに。また、実業家としての顔も持ち、玩具販売店「グランパパ」を設立、一時は全国展開したがのちに業績が悪化。6億5000万円もの負債を抱えたが、この時は朝丘が自分名義の土地を売却して借金の返済に充て、破産を免れたという。
晩年は討論番組やブログなどで政治問題への歯に衣着せぬ発言で物議を醸すことも。政府が設置した有識者会議「『日本の美』総合プロジェクト懇談会」では座長を務め、北朝鮮による拉致問題では自身も74年に生後5カ月だった長女を誘拐されたつらい経験から啓発ポスターのモデルを務めたこともあった。
来年公開の元SMAP香取慎吾主演映画「凪待ち」にも出演予定だったが、体調不良を理由に出演を見送っていたという津川さん。波瀾万丈の役者人生だった。
提供元:Yahooニュース