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バッシングに耐え…田原俊彦が覚悟のスマイルで守ったもの(日刊ゲンダイDIGITAL)


コラム【今週グサッときた名言珍言】


「だって田原俊彦ですから」(田原俊彦/TBS「サワコの朝」6月23日放送)


 田原俊彦(57)といえば、1994年のいわゆる「ビッグ発言」が引き金となり、メディアから“干され”仕事が激減したといわれる。そのことについて、田原は「あの時に僕に力があれば、全然そんなの吹き飛ばせたと思うし、みんなが思うほど干されたっていう気持ちはない」と語る。さらに、仕事がなくなった際、転職を考えたかと尋ねられると、「ない」と即答し、続けて語ったのが今週の言葉だ。


 田原は母子家庭で育ったため、生活は苦しく、自然とアイドルになって成功し、家計を支えたいと思うようになった。そこで、何のツテもないまま、ジャニーズ事務所を訪ねた。そして高校卒業後、「3年B組金八先生」(TBS)で本格デビューを果たし、「たのきんトリオ」で大ブレーク。80年代に入ると、人気は過熱した。


 歌番組全盛の頃。男性アイドルも彼らくらいしかいなく、早朝から写真撮影、昼にはドラマ撮影、夕方にテレビの生放送に出て、その後、レコーディング、最後にラジオ収録といった過密スケジュールが当たり前になっていった。


 さらに田原を悩ませたのは、写真週刊誌やワイドショーからの執拗な取材攻勢だ。これに嫌気が差して、マスコミに対し非協力的になっていった。93年10月に結婚をし、翌年には長女が誕生。子供をマスコミから守るために、田原は会見を開いた。そこで「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕くらいにビッグになっちゃうと、そうはいきませんけどね」という発言が切り取られ、バッシングを受けることになったのだ。


 だが、実際に会見の模様を全編見れば、この発言がいくつも挟み込まれたジョークのひとつであることが分かる。マスコミ陣も何度も爆笑し、いい雰囲気の会見だったのだ。けれど、人気に陰りが見え、その傲慢な態度が問題視され始め、事務所独立問題で後ろ盾もなくなった彼を守るものはいなかった。


 それでも田原は家族を守るため、毎年コンサートを開き続け、やがて爆笑問題とともに番組MCを務めるなど、再び表舞台に舞い戻ってきた。まさに“職業・田原俊彦”だ。ちなみに、彼がマスコミから決死の覚悟で守ろうとした長女は田原の反対を押し切り芸能界デビューしている。


 そのことを爆笑問題の太田光に「散々隠してきた、干されてまで守った娘がデビューしちゃった(笑い)。こんなオチはないよね。こんな間抜けな人生ってないよね」(TBS「爆報!THEフライデー」11年10月21日)とツッコまれると、田原は「楽しいな!」と満面のトシちゃんスマイルを返した。

(てれびのスキマ 戸部田誠/ライタ―)

提供元:Yahooニュース
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