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【黒柳徹子】昭和を代表する歌手・美空ひばりさんについて感じた「スターの宿命」(VOCE)

黒柳徹子さんが昭和を代表する歌手、美空ひばりさんを語ります。

〈画像〉昭和を代表する歌手・美空ひばりさん皆さんは、音楽に救われたことってありますか? 「救われた」まではいかなくても、音楽に癒やされたり、元気をもらったり。今の世の中にはいろんな娯楽があるけれど、音楽ほど多種多様で、歴史もあるのにどんどん新しいものも生まれていって、誰もが手軽に楽しめるものって他にないんじゃないかしら。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私は1978年から1989年までの約12年間「ザ・ベストテン」という歌番組の司会をしていました。番組初期のヒットチャートはいわゆる“歌謡曲”と呼ばれるジャンルの曲が全盛でしたが、サザンオールスターズが、「勝手にシンドバッド」で初登場したときは、大袈裟ではなく新しい時代の風を感じました。

なんて、前置きが長くなってしまったけれど、今回お話しする「美しい人」は、昭和を代表する歌手・美空ひばりさんです。「ザ・ベストテン」が始まった頃は、歌謡曲や演歌が大ヒットする時代ではもうなくなっていたので、番組に出演なさることはなかったけれど、当時から「歌謡界の女王」といえば、誰もが口を揃えて、「美空ひばり!」と答えるような存在でした。

ただ正直言うと、私は、ひばりさんの歌をそんなにちゃんと聴いたことがありません。母の音楽学校時代の先輩だったシャンソン歌手の淡谷のり子さんは、芸能界の御意見番みたいな感じでテレビに出ることもよくありましたが、演歌が苦手だったようで、「だって、暗いじゃない?」なんておっしゃっていました。私も、普段聴く音楽はクラシックが主。美空ひばりさんの歌が戦後の日本人の心にどうしてそんなに響いたのか。これは推測でしかないのですが、少女時代から活動していたことも大きかったのではないかと思うのです。

テレビ放送が始まる前、娯楽の中心はラジオと映画でした。1953年にテレビ放送が始まったときでさえ、テレビは全国に866台しかなかったんです。その頃、まだ10代半ばだったひばりさんは、「天才子役」として何本もの映画に出演して、「リンゴ追分」という歌が、当時としては異例の大ヒットを記録したみたい。戦後の復興の最中に才能ある子どもが成長していく様は、多くの大人にとっての“希望の光”になっていたと思うんです。それに歌なら、ラジオからでも十分に楽しめるでしょう?

昭和の時代ですから、今の時代とは全然違う波乱に巻き込まれることもあったと思います。熱狂的なファンから顔に塩酸をかけられた話は有名ですし、暴力団の人たちとの繋がりがスキャンダルになったり、結婚がうまくいかなかったり。でも、どんな逆境に立たされても、不死鳥のように蘇り、笑顔で歌い続けた。光と影のコントラストが強いのは、スターの宿命なのかもしれません。歌手
1937年生まれ。横浜市出身。9歳で巡業歌手としてデビュー。49年に映画初出演、レコードデビューを果たし、主演映画『悲しき口笛』の大ヒット以降、天才少女歌手と謳われる。映画の代表作に『東京キッド』(50年)、嵐寛寿郎主演の『鞍馬天狗 角兵衛獅子』シリーズ(51年〜)など。代表曲に、「リンゴ追分」「柔」「悲しい酒」「真赤な太陽」「川の流れのように」などがある。1988年4月、オープンしたばかりの東京ドームでソロコンサートを開催。1989年6月24日逝去。没後の同年7月6日に国民栄誉賞を受賞。

取材・文/菊地陽子 写真提供/時事通信フォト
Edited by 新井 美穂子

提供元:Yahooニュース
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