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『大豆田とわ子』、「自分は大人になり切れない」と思うすべての人が見るべき理由(現代ビジネス)

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※本稿はドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』のネタバレを含みます。
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【写真】『大豆田とわ子と三人の元夫』が「3」という数字に満ちている理由 5月18日放送の第6話で「第一部」が完結したテレビドラマ、『大豆田とわ子と三人の元夫』(関西テレビ)。1月公開の映画『花束みたいな恋をした』のヒットも記憶に新しい脚本家・坂元裕二が、2018年の『anone』(日本テレビ)以来久々に連続テレビドラマ脚本を手掛けた本作は、放送毎に毎回様々なゲストラッパーを迎える主題歌「Presence」(STUTS & 松たか子 with 3exes)も含め、話題を呼んでいる。
劇中では、三度の離婚歴を持つ主人公・大豆田とわ子(松たか子)とその三人の元夫、そして彼らを取り巻く様々な人々の人生が、伊藤沙莉によるナレーションと共にコミカルに展開される。
しかし前述の第6話にてとわ子の親友である綿来かごめ(市川実日子)の不意の死が描かれたことからもわかるように、坂元の近作と比較してもよりユーモラスかつポップな本作の世界観の裏側には、とても重く苦い味わいがある。そしてその重さ・苦さは、このドラマの登場人物たちが皆「大人になれない人・大人になり切れない人」として、シリアスに悪戦苦闘していることに由来するものだと言えるだろう。
かごめはとわ子に対して、自分は「大人になるまでまだたぶん100年ぐらいかかる」と語る。彼女は「じゃんけんで、一番弱いのが何か知ってる? じゃんけんで一番弱いのは、じゃんけんのルールが分からない人。私には、ルールがわからないの。会社員も出来ない。要領が悪いっていってバイトも首になる。みんなが当たり前にできてることができない」とも語っており、年齢を重ねても世のなかの「ルール」がわからないかごめは、そのことによって自分自身をいまだ「大人になれない人」として捉えていると言える。
そのうえで「上手くいこうがいくまいが、やりたいことをやる。ひとりでやる」と決意し、小学生のころにとわ子と共に夢見た漫画家への道を再度、今度はひとりで目指す。大人になれなくとも、「ルール」のなかに安住できなくとも、それでも個人として生き抜こうとする意志を、ここでのかごめの決意に見てとることができる。
一方とわ子は、かごめが彼女のことを「じゃんけんできてるじゃない」と語るように、「ルール」を理解することができる人間である。彼女は建設会社「しろくまハウジング」社長として、そして一児の母として、社会の「ルール」のなかで大人として生きているように見える。「(社長に)向いてないんだよ…ハァ」とエレベーターでひとりため息をつきつつ、それでも逃げずに毎日「ルール」のなかで踏ん張っている。
しかし、かごめを侮辱する彼女の親戚からの電話を「バーカバカバカバーカ」と叫んで突然切ってしまったとわ子を見て、彼女の娘である唄(豊嶋花)は「小学生か」と苦笑する。社会の「ルール」を守る大人は、普通そんな風に電話を切らない。いざというとき、世間体なんかを気にするよりも、かごめというひとりの人間の尊厳を護ることこそを優先してバランスを崩してしまう「大人になり切れない人」として、とわ子は描かれるのだ。
大人として生きようと踏ん張るとわ子と、あと100年は大人になれないと自認するかごめは、一見正反対のふたりであるように見える。しかし彼女たちは、片や「ルール」の内側で、片や「ルール」の外側で、個人としての人間の尊厳を大切にして生きているという点で、とてもよく似ている。ドラマを観ていればわかるように、彼女たちの間には、互いがひとりの人間であることへの尊敬の念が見てとれる。
「大人になり切れない人」であるとわ子と、「大人になれない人」であるかごめは、互いに支え合い、手を取り合って生きているのだ。とわ子が幼いころ母に語った「ひとりでも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい」という関係性が、彼女とかごめとの間には結ばれている。
ただ、「女と男の関係がめんどくさいの。わたしの人生にはいらないの」という考えを持つかごめに対して、とわ子が異性とのデートを意気揚々と勧めてしまったように(ちなみに、かごめの「女と男の~」の発言は「そういう考えがね、さびしいことは知ってるよ?」と続くのだが、私はこの台詞を彼女に喋らせたことには疑問がある。恋愛関係はいらないという考えははたして「さびしい」ものなのか? )、間違った押し付けを相手にしてしまうこともときにはあっただろう。
その都度、二人はケンカしたり、語り合ったり、言葉少なに相手の言葉に耳を傾けたりして、互いを見つめ尊重する努力をしながら、これまでの時間を共に過ごしてきたのだと思う。
提供元:Yahooニュース

