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“永遠の一発屋”城みちるが語る活動復帰までのキツい道のり(日刊ゲンダイDIGITAL)

「イルカにのった少年」でデビューし、70年代に人気アイドルだった城みちるさん(60)。一度は芸能界を引退したが、歌手活動復帰までの間に運転手をやりながら、離婚調停が進むキツい時代があったらしく……。
◇ ◇ ◇
オヤジが厳しい人で芸能活動は高校生の3年間だけで、広島に戻ったら家業の電器店を継ぐ約束でした。その通りに家業を継ぎ、25歳の時に結婚したけど、妻は広島のド田舎に馴染めず、生まれたばかりの子供を連れて東京に行っちゃった。それで、妻と子供を東京まで追いかけたけど、結局よりは戻らず。
実家の仕事を放り出してるからオヤジには「もう家に帰ってくるな!」と勘当され、東京にいるしかない。だけど、仕事のアテもなく、お金も住むところもない。アイドル時代のつてで「運転手でいいからやらせて」と頼み込みました。
それからはその方の会社の近くにアパートを借り、仕事の時もゴルフの時も夜の飲み会も毎日送り迎えして、睡眠時間2時間で1年間運転手をやりましたよ。給料はその方のポケットマネーからいただいて、何とか生活できるくらい。その期間、妻との離婚の裁判でお金も多少かかるし、親権の話になるとまだ30前で若いから頭に血が上るし、その時期が一番キツかったなぁ……。結局、僕はひとりになりました。
タレントや業界人との酒席では車中で待つのではなく、同席させてもらえたけど、周りは「なんで城みちるが運転手やってるんだ?」とザワザワする。「芸能界に戻るんですか」と聞かれたり。「何かやってみるか」と誘われても、10年も間が空いてたし、抵抗がありました。
■転機は「風雲!たけし城」出演
ある日、ビートたけしさんとTBSのプロデューサーと一緒に食事する機会があり、たけしさんから「今度新番組やるから出てくれませんか」と誘われました。最初は気乗りしなかったけど、たけしさんがラジオや漫才で「『イルカにのった少年』はどこに行った?」とか、僕をネタにしてたのを聴いていてうれしかったから、出ることにしました(笑い)。
それが「風雲!たけし城」(笑い)。黄色いフンドシして、亜仁丸レスリーとか元相撲取りに交じって一般参加者と相撲を取ったり。参加者は勝つために本気だから、僕はケガばっかりして。左腕は骨折したし。
「城みちるが久々にテレビ出たら、あんなことしてるよ」とさんざん言われたけど、人気番組になって地元広島の局が「復帰したなら番組やりましょう」と声をかけてくれて、広島と東京を往復する芸能生活が始まった。オヤジから「広島にいるなら電話くらいしろ」と数年ぶりに連絡が来て勘当を解いてもらえ、その頃は離婚も成立してたし、ようやく生活が順調になった感じです。
■月に4、5回は老人ホームの慰問
今は広島を拠点に各地のステージを回ったり。老人ホームの慰問には1000カ所以上行っています。これは亡くなったオヤジとの約束でね。今も1カ月に4~5カ所は慰問してます。アイドル時代に付き合ってたサッコ(伊藤咲子)と同じ事務所になり、一緒にステージをやることもある。40年間の親友です。当時の話をネタに、2人でトークをするとお客さんも喜びます(笑い)。
還暦の今、自分のペースで仕事をやれてます。「新曲出しませんか」と言われる時もあるけど、「僕は『イルカにのった少年』で永遠の一発屋をキャッチコピーにしたいから」と冗談で断ってます。サッコのCDではちゃっかりデュエットしてますけど(笑い)。
(聞き手=松野大介)
▽本名・城谷晃太郎 1957年11月広島県出身。73年に「スター誕生!」(日本テレビ系)でチャンピオンになり、「イルカにのった少年」でデビュー。伊藤咲子とのデュエット曲「春風の二人」を収録した「恋する名曲娘」を4月25日に発売(伊藤咲子/カバーアルバム)。
提供元:Yahooニュース