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吉永小百合、優しい夫のおかげで「女優」と「主婦」の二刀流に(夕刊フジ)

【私だけが知っている女優・吉永小百合】結婚は脱出劇
1969年、渡哲也と破局した吉永小百合が傷心旅行でパリに出かける20日ほど前のこと。渡は青学時代の同級生、俊子さんと婚約している。終わった恋とはいえ、小百合に現実は厳しすぎた。
帰国後もボルテージは上がらず、精神的な憔悴からか声が出なくなっていく…。そんな彼女を励まし続けたのが「アップの太郎」ことフジテレビディレクターの岡田太郎氏だった。
2人はフジテレビがあった河田町近辺の寿司店や新宿の和食店でデートを重ね、銀座東急ホテルで逢瀬を重ねたという。「このホテルは地下の駐車場からエレベーターに乗れば1階のフロントを寄らずに部屋に行けた」と、当時の関係者は「お忍び」を述懐する。
2人は73年に結婚した。ひっそりと東京都内の友人宅で、立会人は千秋与四夫氏(フジテレビ音楽ディレクター)・畠山みどり夫妻が務め、それに奈良岡朋子、かの寿司店のご主人だけという小さな宴だったという。
岡田氏は「女優は独身のほうが有利だから、このままでいい」と言ったが、小百合は結婚に積極的だったという。
それから45年。小百合73歳、岡田氏88歳。その間、西武鉄道グループの元オーナー、堤義明氏や、映画「動乱」(80年)で共演した高倉健とのロマンスがささやかれるなど小百合の一挙手一投足は常に話題を集めた。
夫妻は現在、都内のマンションで暮らす。普段の小百合はエプロン姿で台所に立ち、ダシの利いた味噌汁を作り、夫に教わった将棋をさす…。
すでに小百合の両親は他界。芸能界に娘を縛り付けようとした両親との確執はとうとう拭えなかったが、優しい夫のおかげで「女優」と「主婦」の二刀流を成し遂げた。
41年前、新潟へ向かう夜汽車で小百合が漏らした「結婚相手は誰でもよかった」との言葉。雨の車窓をながめながら「両親からの逃避行に必死だったの」と明かした。
しかし結果的に岡田氏は「最良の伴侶」だった。夫婦の約束で子供はもうけなかったが、公開中の映画「北の桜守」の取材でこう語る。
「映画と一緒に自然に年を重ねていけたらいい。映画たちは私の子供です」(おわり、フリーライター・中野信行)
■吉永小百合(よしなが・さゆり) 本名・岡田小百合。1945年3月13日生まれ、渋谷区出身。59年に映画「朝を呼ぶ口笛」でデビューし、公開中の「北の桜守」で映画出演120本目を記録。62年の映画「キューポラのある街」でブルーリボン主演女優賞を最年少(17歳)で受賞。20万枚のヒット曲となった「寒い朝」など歌手としても活躍。73年に15歳年上のフジテレビのディレクター岡田太郎氏(元共同テレビ会長)と結婚。2006年、紫綬褒章を受章。団塊の世代を中心とした熱烈なファンは「サユリスト」と呼称されている。
提供元:Yahooニュース