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吉永小百合、恋多き女優の悲恋 両親の猛反対で渡哲也との結婚あきらめ…(夕刊フジ)


 【私だけが知っている女優・吉永小百合】恋多き女優の悲恋


 楚々とした振る舞い、気品のある和風フェース…。そんな大女優ではあるが、吉永小百合(73)は「恋多き女優」だと信じている。父親の破綻で一家の大黒柱に据えられ、少女時代からラジオドラマに出演し、映画界で120本の作品と向かい合ってきた。そして、熱い恋もしている。


 10代のころは石坂浩二に憧れたが「妹扱いで終わった」と伝えられている。プロスポーツ選手にも明るく、古くは巨人の渋い坂崎一彦外野手(1976年没)や、西武時代の清原和博を名指しで「好みの選手」と漏らしている。


 石原プロモーションの番頭として石原裕次郎さんの信頼が厚かった小林正彦専務(2016年没)を、日活撮影所時代に小百合は密かに「憧れの男」として、熱視線を送っていたという。


 「コマサ」と呼ばれた小林さんは豪快で、東京・有楽町にあった日活ホテルで酔って暴れていた外国人プロレスラーをホウキの柄でたたき出したという武勇伝のある人物。おしなべて、小百合は「骨太で男気」のある男性が好みである。


 決定的な恋は渡哲也との出会い。それは偶然の出会いであり、身を切るような悲恋に終わっている。小百合と浜田光夫のコンビでヒットした映画「愛と死をみつめて」の第2弾として、1966年に「愛と死の記録」が用意されたが、浜田が目を負傷したため急遽、渡哲也がピンチヒッターに選ばれたのだ。


 青山学院大出身の渡は空手は黒帯有段者、映画では芯の強いタフガイのイメージで人気があった。そして二枚目、今でいうイケメンである。


 出会いから意気投合した2人は「青春の海」(67年)で恋におち、「嵐の勇者たち」(69年)で共演したころは結婚を真剣に考えている。


 渡は吉永家に出入りするようになり、実家に彼女を招いて両親を紹介している。渡瀬家(本名)では「結婚後は小百合の引退を望んだようだ」と伝えられている。


 しかし、一家の大黒柱である小百合のマネジャーの父親は「交際はいいが結婚はダメ」、そして母親は「結婚したら相手を絶対に許さない」と猛反対。


 69年の暮れ、小百合は結婚をあきらめるため、パリへと傷心旅行に出発したのであった。(フリーライター・中野信行)


 ■吉永小百合(よしなが・さゆり) 本名・岡田小百合。1945年3月13日生まれ、渋谷区出身。59年に映画「朝を呼ぶ口笛」でデビューし、公開中の「北の桜守」で映画出演120本目を記録。62年の映画「キューポラのある街」でブルーリボン主演女優賞を最年少(17歳)で受賞。20万枚のヒット曲となった「寒い朝」など歌手としても活躍。73年に15歳年上のフジテレビのディレクター岡田太郎氏(元共同テレビ会長)と結婚。2006年、紫綬褒章を受章。団塊の世代を中心とした熱烈なファンは「サユリスト」と呼称されている。

提供元:Yahooニュース
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