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吉永小百合 17歳、真っ白なワンピース姿にお下げ髪… 第一印象は「何とかれん。まるで野菊みたい」(夕刊フジ)


 【私だけが知っている女優・吉永小百合】第一印象は野菊 


 吉永小百合(73)を初めて見たのは東京・調布の日活撮影所だった。在京スポーツ紙の原稿運び(大型二輪)をしていた私は、文化部の映画記者に「浅丘ルリ子のインタビューに行くが、一緒に来るならサインをもらってあげるよ」と誘われ、撮影所に同行した。記者は「失恋した浅丘が元気を取り戻している。そのタイミングでの取材」とインタビューの趣旨を説明してくれた。失恋の相手は「渡り鳥シリーズ」などで共演した小林旭である。


 1962年、落ち込んでいた浅丘を激励した日活のエース、石原裕次郎が「俺と共演していい映画を作ろう」と誘って公開した「銀座の恋の物語」は大ヒット。続くコンビの「憎いあンちくしょう」は浅丘が「生涯で一番好きな映画」と述懐する作品となった。


 インタビューが終わり、浅丘の控室を出ると「銀恋」で使われた銀座のオープンセットがまだあり、その近くで撮影されていたのが「キューポラのある街」だった。見学していると真っ白なワンピース姿、お下げ髪の小百合が現れ、浜田光夫との立ち話のシーンが始まった。


 「何とかれん。まるで野菊みたい」


 小百合を見た第一印象である。このとき小百合は17歳、浅丘は22歳、ついでに私は19歳だった。彼女は59年、「朝を呼ぶ口笛」(松竹)で映画デビューしたが、日活時代は一つ年上の浜田光夫との純愛路線コンビが敷かれた。そして62年の「キューポラのある街」は大ヒット。小百合は同年のブルーリボン主演女優賞を最年少(当時)受賞した。


 レコードデビューとなった「寒い朝」も20万枚のヒット。同年、人気絶頂の橋幸夫とデュエットした「いつでも夢を」は30万枚突破を記録し、日本レコード大賞を獲得する。


 そしてNHK紅白歌合戦では紅組で初出場を果たし、小百合はマヒナスターズと「寒い朝」を共唱。白組の橋は「いつでも夢を」を独唱したのである。


 ビクターが「いつでも夢を」を発売したのはその年の9月20日だったのに、たった3カ月後にはレコ大に輝き、紅白で取り上げられたのだ。どれだけ短期間でレコードが爆発的に売れたかがうかがわれる。この年、第一期小百合ブームが炸裂したのであった。(フリーライター・中野信行)


 ■吉永小百合(よしなが・さゆり) 本名・岡田小百合。1945年3月13日生まれ、渋谷区出身。59年に映画「朝を呼ぶ口笛」でデビューし、公開中の「北の桜守」で映画出演120本目を記録。62年の映画「キューポラのある街」でブルーリボン主演女優賞を最年少(17歳)で受賞。20万枚のヒット曲となった「寒い朝」など歌手としても活躍。73年に15歳年上のフジテレビのディレクター岡田太郎氏(元共同テレビ会長)と結婚。2006年、紫綬褒章を受章。団塊の世代を中心とした熱烈なファンは「サユリスト」と呼称されている。

提供元:Yahooニュース
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