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実録・平安貴族! NHK「光る君へ」藤原兼家・寧子・道綱、時姫などが勢揃い!(現代ビジネス)

 平安王朝の華々しい貴族たちは、ほんとうは何を思い、どのように生きたのか。勝手気ままにふるまう夫・兼家との愛憎に生きた藤原道綱母(NHK「光る君へ」では藤原寧子)は、『蜻蛉日記』に、自身の生活も心のうちも、赤裸々に暴露した。

[写真]平安女性のイメージ

 紫式部(NHK「光る君へ」では、まひろ)も幼い頃から読みこんだという、道綱、道隆、時姫なども登場する『蜻蛉日記』とはどんな作品か(『新版 蜻蛉日記 全訳注』より一部改編して引用する)。 蜻蛉日記は女流文学の先頭に立つ作品である。もしこれが書かれなかったら、『枕草子』や『源氏物語』などもあるいは生まれなかったかも知れない。

 作者は受領の娘に生まれたが絶世の美貌と歌才をうたわれた才媛で、二十歳ごろ、摂関家の磊落な貴公子兼家(道長の父)と結婚し、道綱という子をもうけたので、道綱母と呼ばれる。兼家はこの麗人と結婚する前、同じく受領の娘である時姫と結婚し、道隆をあげていた。しかし一夫多妻の風習下、多情な兼家は二人の妻だけで満足せず、他の女性をいつも物色し、色好みというレッテルを貼られていた。

 まじめ・誠実で生一本な作者は、兼家に純粋な愛情を持っただけに、相手にも「三十日三十夜はわがもとに」と彼の愛を十分得ることを希った。妻の出産後他の女性をあさる悪癖を持つ兼家は、道綱誕生後、町小路女と関係し、その出産の時は天下に道も多いのに、作者邸前を同車で通り京の話題をさらったので、作者を苦悩のどん底に落し入れた。我の強い作者は町小路女を罵倒し、自分も子の親であるのに、彼女が儲けた男児を失い、かつ兼家の寵を失って零落した時、快哉を叫んでいる。 時姫は道隆はじめ二女三男を恵まれ、長女は冷泉帝に入内した。作者は稲荷、賀茂、初瀬にも子宝を祈願したが、その後子宝は授からなかったので、結局、時姫が子女とともに落成した本邸に迎えられた。

 今まで時姫と対等の北の方であったのに、これ以後、時姫は嫡妻として押しも押されもせぬ存在となったが、作者は兼家が気の向いた時のみ通い、いつ捨てられるかわからない不安定な身となった。

 そこへ逝去した実頼の召人であった近江に通い出し、「三十日三十夜はわがもとに」のキャッチフレーズと逆に三十日四十夜、兼家は訪れなかった。しかも、結婚以来欠かさなかった元日来訪を怠り、かつ「おはしますおはします」と連呼して中門を開き、「殿お通りあれ」とひざまずいている作者宅の従者を尻目に邸前を素通りする兼家! 

 翌夜伊尹邸大饗のときも、夜中、全身を耳にして車の音毎に胸を騒がせたのに寄らなかったので、作者は侍女・従者の手前居たたまれず長精進をはじめ、鳴滝の山寺に参籠してしまう。 このように、蜻蛉日記は天暦八年初夏の兼家求婚から始まり、上巻十五年、中巻三年、下巻三年間の彼女の身の上を書いた日記である。竹のカーテンに閉ざされた上流夫人のありのままの生活の告白だという。万人の女性が、多妻下の男性の横暴をただ諦めて忍従生活を送る時、作者は耐えないで、敢然と自分の生活を開陳して見せたその勇気、自我の強さは驚嘆に値する。

 ただし、これはかげろうのごとき身の上を書いた文学作品・日記文学である。そこには文学的操作や虚構もはいり、作家としての力量のほどもうかがわれる。また、夫の来訪を待つ王朝夫人の心情が多くの歌に結晶していて、読む者の心を打つ。

提供元:Yahooニュース
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