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ベンチャーズのギター奏者、ノーキー・エドワーズさんが日本に残したもの(産経新聞)


 「テケテケサウンド」で1960年代にエレキギターブームを巻き起こし、音楽面でも風俗面でも日本ではビートルズをしのぐ影響を及ぼしたのが米国のロックバンド、ベンチャーズだ。その中心的ギター奏者だったノーキー・エドワーズさんが3月12日、82歳で亡くなった。生前何度も日本を訪れた。親交を結んだ音楽家らが、「ギターの神様」の足跡と素顔を振り返る。


 ■哀愁


 タレントのエド山口さん(69)は、「東京ベンチャーズ」と命名したバンドを率いてギターの腕前を披露している。ベンチャーズ愛の深さを物語る。


 エドさんは、「ノーキーの演奏はしっとりとしていて哀愁を漂わせている。短調の曲に合う音色が、『わび・さび』を愛する日本人の胸に響いた」と日本で彼らが突出して愛される理由を分析する。


 ビートルズ旋風が吹き荒れる依然、ベンチャーズを含めギター演奏を売り物にしたバンドが多数いた。にもかかわらず、ベンチャーズが日本で圧倒的に支持されたのは、その哀愁の音色に秘密があるというわけだ。


 ■自分も弾きたい!


 ベンチャーズ人気が頂点に達したのは、ビートルズが東京・日本武道館に立つ前年の1965(昭和40)年。東京・新宿厚生年金ホールで行われた来日公演と、その模様を録音したライブ盤レコード「ベンチャーズ・イン・ジャパン」によってだ。エドさんもホールに駆けつけた若者の1人。


 「ライブで接した、ノーキーの軽妙な即興演奏に衝撃を受けた。彼らが使った米モズライト社製のベンチャーズモデルのギターが欲しくて、楽器店に見に行きましたよ」


 エドさんだけではなかった。若者がこぞって楽器店に走った。自分でエレキを弾く! 日本人がロックバンド結成に目覚めたのはこのときだったといってよい。テレビではエレキギター演奏の腕前を競う番組「勝ち抜きエレキ合戦」が放送された。コンテストなども盛んに行われた。


 例えば、作家、芦原すなおさん(68)の「青春デンデケデケデケ」(平成3年)は、そんな香川県の高校生たちの姿をみずみずしく描いた小説だ。


 ■大きな別れ


 俳優、加山雄三さん(80)が主演した映画「エレキの若大将」(40年)も当時の若者たちのエレキ熱を描いた。


 加山さんは、ノーキーさん愛用のモズライトのギターを譲り受けるなど、生前親交を結んだ1人だ。


 「この別れは僕にとって、とても大きい別れです。同世代で音楽を牽引(けんいん)してきた仲間ですから」。ノーキーさんの訃報に接した加山さんはコメントを発表した。


 「今では当たり前のように多くのバンドがエレキをかき鳴らし、演奏をしています。あなたの功績は世界の音楽シーンに多大な影響を及ぼしたし、その遺志を僕は継いでいきたい」


 ■また会えると思っていたのに


 ベンチャーズが日本にもたらしたエレキブームは、「寺内タケシとブルージーンズ」など和製のギターバンド登場、さらにはグループサウンズ(GS)ブームへと流れていく。


 「日米エレキ大合戦」などのレコードをノーキーさんとともに制作したギター奏者の寺内さん(79)は、「最初に会ったとき、身体がでかくてびっくりしたことを今でも強烈に覚えている。彼なしにはエレキギターの歴史は語れないし、会うとエレキギターの話が尽きなかったよ。また会えると思っていたのに本当に残念だ」とコメントを寄せた。


 共演といえば、ノーキーさんはエドさんの東京ベンチャーズ公演にも度々参加した。「アドリブを増やすのかな、と探りながら、ノーキーの顔を見るのが楽しかった」とエドさんは振り返る。


 ■都内でふらり


 60年にベンチャーズに参加したノーキーさんだが、68年に脱退してしまう。その後は復帰したり、また脱退したり、絶縁状態が続いたかと思えば、90年代後半に「客演」という形でベンチャーズの来日公演に参加したこともあった。


 記者が、都内の飲食店でノーキーさんと偶然会ったのはその頃だ。ノーキーさんは、1人でふらりと店に入ってきた。今何をしているのかと尋ねると、「米国で自分の作品を録音したり、時にライブをしたり、あと牧場で競走馬を育てたりしている」と話した。


 そこは演奏ができる店で、客に請われたノーキーさんは、店のエレキを抱えると2曲披露した。わずか2メートルほどの場所に立ってギターを弾くノーキーさんの、指の運びの美しさに見ほれた。演奏の心得がある客が「カントリーギターの奏法が基礎にあるから、われわれなんかとは動きがちょっと違うんだ」と解説してくれた。


 ノーキーさんは2016(平成28)年、東京・赤坂のライブハウス「赤坂エルカミーノ」などで来日公演を行った。これが最後の来日となった。オーナーの戸田健治さん(67)は「そのときは座って演奏していました。昔のような若々しさはなかったけれども、心に染みるような円熟した弾き方だったことをよく覚えています」と振り返った。


 7月から来日公演を行うベンチャーズは、ノーキーさんの追悼企画を検討しているという。(文化部 竹中文、石井健)

提供元:Yahooニュース
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