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ドン底で得た持論 ムーディ勝山が語る“一発屋の熟成期間”(日刊ゲンダイDIGITAL)

ちょうど10年前だった。♪チャラチャッチャ、チャラッチャ~♪で始まる「右から来たものを左へ受け流すの歌」が大ヒットした。歌ったのはお笑い芸人のムーディ勝山さん(37)。さて、今どうしているのか?
■一発屋がたどり着く“開き直り”の境地
「3月22日、大阪のなんばグランド花月で『一発屋オールスターズ』というお笑いイベントを予定しています。出演は僕のほかに天津木村、レイザーラモンHG、世界のナベアツ(現・桂三度)、三瓶、とにかく明るい安村、お笑いコンビの『レギュラー』に『ジョイマン』。そしてゲストが藤崎マーケットさん。かつて一世を風靡した“一発屋”の皆さんが、往年のネタに加えて新ネタ、ユニットコントで大爆発しようって趣旨です」
東京・新宿の吉本興業東京本部の会議室。おなじみの口ひげにいつもの上下・白のスーツ姿のムーディ勝山さん、真っ赤な蝶ネクタイを揺らしながらこう続けた。
「これだけのメンバーがそろって、前売り・当日ともに大人2800円。出血大サービスの真剣勝負、決して右から左へ流すようなヤワなステージはお見せしません!」
確かにこの面々、誰もが一時はテレビで見ない日がないくらい大ブレーク。だが、最近は「あの人は今」的な番組で取り上げられるぐらいで、あまり姿を見ることはない。
「その通りです。でも一発屋にしかできない芸があるんですよ」
一発屋には“一定の法則”があるという。
「一発、大当てした後、大半は1年も持たずに売れなくなって、焦りに焦ります。本人は到底それを認められないんですが、現実は厳しい。僕みたいに、嫁に『仕事に行く』と家を出たものの、実は公園でハトと戯れて時間をつぶしたって経験のある一発屋はゴロゴロいます。これを“一発屋の熟成期間”と言います」
そして、これまたほとんどがさらに落ちて、ドン底のドン底を経験する。
「『もう芸人を辞めようか?』と追い詰められた状態です。そこから開き直って、自ら“一発屋”を公言してはばからない再出発のステージ。そこにたどり着いてから真価が問われます。今回出演するのは皆、この境地。本公演を見ずして一発屋を語るなかれ! ですね」
■全盛期の月収はケタ違い、天狗になって……
さて、滋賀県草津市生まれのムーディさんがお笑い界にデビューしたのは2000年。いくつかのコンビやトリオを経て、05年に梶剛さんとコンビ「勝山梶」を組み、06年に作詞・作曲した「右から来たものを左へ受け流すの歌」で大ブレークした。
「あれは、大阪・玉出のオンボロアパートでのこと。部屋の掃除をしながら何げなくアドリブで鼻歌を歌い、右から左へとテレビやテーブルを移動させていたら、突然、歌詞とメロディーがピターッ! とハマったんです」
すぐに携帯電話の録音機能を使い、後輩芸人や行きつけの居酒屋の店員に聞かせたら、ともに大ウケ。さらに芸人仲間の結婚披露宴の余興で歌い、それがお笑い番組のプロデューサーの目に留まったことがきっかけとなって、一気に人気芸人への坂を駆け上がった。
着うたのダウンロード数は210万件を超え、07年末のNHK紅白歌合戦では前川清の「そして神戸」のバックコーラスのひとりに抜擢されたほど。
「東京進出後の全盛期は月収640万円だった」(ムーディさん)というからハンパじゃない。
「でも、天狗になっちゃったんです。相方もないがしろにして、肩で風を切ってましたから。転落するのも早かった」
ハトが友達となり、貯金を崩す日々。マネジャーにスケジュール表の送付を依頼したところ、白紙が1枚FAXされてきたのはこのころだ。
「そんな時代を知りながら、11年に嫁が結婚してくれまして、謙虚さがいかに大切かを学びました」
すると、12年に宮城・東北放送のラジオ番組のレギュラーリポーターが決まり、その後も地方局ながらレギュラーの仕事がポツポツ。
「今は、故郷・滋賀県のe―radio、岡山のテレビせとうちのほか、月イチも含めると5本のレギュラーを持たせてもらっています」というから、再浮上の足掛かりはつかんだようだ。
「目指すは東京でのレギュラー。定期ライブもやってますので、詳細は僕のSNSをご覧ください」
提供元:Yahooニュース