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「ドリームキャスト」発売25周年! オンライン機能に特化して夢の世界を広げたゲーム機を振り返る(GAME Watch)

 セガ・エンタープライゼスが発売した家庭用ゲーム機「ドリームキャスト」(以下、ドリキャス)は、本日で2023年11月22日で発売25周年を迎える。

【画像】※画像はセガハード大百科「ドリームキャスト」のページより

 ドリキャスは「セガサターン」(以下、サターン)の後継機として発売されたゲーム機だ。同時期のライバル機種となるプレイステーション 2(2000年3月4日発売)やゲームキューブ(2001年9月14日発売)に先んじて発売された。

 ドリキャスの代表的タイトルは「ソニックアドベンチャー」、「バーチャファイター3tb」、「電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム」、「ファンタシースターオンライン」などが挙げられる。

 ドリキャスが対プレステを意識していたのが明らかなのがドリキャスのテレビCMである。当時のセガの専務である湯川英一氏をCMに起用、「湯川専務」というキャラクターで売り出した。湯川専務がタクシーに乗り込もうとしたところ、「セガなんてダッセーよな!」、「プレステのほうが面白ぇよな!!」と街にいる子ども2人の会話を耳にする。このことを部下たちに「そうなのか?」と尋ねると社員全てが目をそらした。湯川専務は憂さ晴らしにバッティングセンターへ向かい、その後飲み歩いていると強面の男とトラブルになり、青痣を作って帰宅した専務を奥様が驚いて介抱する……という自虐的ネタが強いものだった。この後もドリキャスのCMは基本的に自虐ネタを多く含む内容であり、家庭用ゲーム機のCMとしてはとてもインパクトの強いものだった。今思えばゲーム機より湯川専務のほうが有名になってしまったような気がしないでもないが。

 そんな「対プレステ」を強く打ち出したセガ最後のゲーム機が本日25年目の誕生日を迎える。打倒プレステの夢を掲げたゲーム機の思い出を本日は語りたいと思う。

■ 激化する家庭用ゲーム機戦争。マニアックなゲーム機からメジャーなゲーム機へ

 現在は鎮火しているように感じるが、当時の家庭用ゲーム機の販売競争は非常に凄まじいものであった。当時は様々な企業がゲーム機をリリースしており、多数のゲーム機がおもちゃ屋さんには並んでいた。過酷な生存競争が行われ、生き残っていたのが任天堂とセガ。そこに新たな勢力としてプレステを引っ提げてやって来たのがソニー・コンピュータエンタテインメント(現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント)という構図だった。

 サターン、NINTENDO64、プレステの三国志のような状態だろうか。子どもながらに筆者が感じていたのが「一般的な家庭で持つのがプレステとNINTENDO64、マニアックな人間が買うのがサターン」というものだった。この考えはあながち間違いではなかったと思う。セガはマイノリティ側に立っていたのだ。

 なのでまずは家庭に「セガ」を馴染ませる必要があったのだろう。その結果が前述の自虐ネタを使ったCM戦術だと筆者は考える。実際、当時在籍していた学校でセガハードを持っているクラスメートはほとんどいなかった。が、湯川専務のCMはみんな大好きだった。そういう意味ではセガを浸透させるという戦術は成功していたのだろう。

 そしてドリームキャスト本体の最初期のパッケージには、その湯川専務のCMの名シーンが印刷されていた。それだけの宣伝効果があったのだ。

■ 「アーケードの移植といえばセガ」は健在!NAOMI基板との互換性を持つゲーム機

 このように一般家庭にセガを浸透させようとしたドリームキャストだが、アーケードゲームの移植も盛んだった。ドリームキャストもセガサターンと同様にアーケードゲームで使われる媒体と互換性を持たせていた。

 セガのアーケード基板「NAOMI」とドリームキャストは互換性を持っていたため、アーケードと遜色のない移植が行われた。1998年~2000年代初期のセガのアーケードゲームが遊びたかったら、とりあえずこのハードを持っていれば良かったのだ。ゾンビを倒すゲームが流行りだしたこの当時、ガンシューティングゲームの「ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド2」の迫力たっぷりのクリーチャーを家でも体感できるのは大きな満足感を得られた。

 NAOMI基板はセガ以外のメーカーでも使われていたため、セガのみならず、アーケードの「今」をプレイするならばこれほど条件が合うゲーム機もなかったはずだ。

■ 家庭にドリキャスを馴染ませようとしたが、そこはやはりセガだった怪作「シーマン」

 ドリームキャストでは、普段ゲームをプレイしないような層でも遊べるようなゲームも数多く発売された。

 そこで名前を挙げるのが「シーマン」というゲームだ。顔だけ人間の魚、人面魚?とでもいう謎の生物シーマンにコントローラーに接続したマイクデバイスを使用してコミュニケーションを取る、というゲームである。

 そもそもシーマンの発売前には当時マスコットキャラクターとしても飛ぶ鳥を落とす勢いだった任天堂のポケモン、ピカチュウを主役にしたゲーム「ピカチュウげんきでちゅう」が発売されていた。こちらもシーマンと同様、コントローラーに接続したマイクで話しかけることでコミュニケーションを取るため、シーマンと酷似している。

 筆者はこのゲームはプレイしていなかったのだが、ゲーム性は理解していた。当時所属していた美術部の先輩がこのゲームにどっぷりハマってしまったため、ゲームの話が出来る筆者の元へ話しかけてくるのだった。

 美術部の部活が始まると、大抵の女性陣は今週の週刊漫画の内容で盛り上がっている。それが終わると絵を描き始めるといった感じだった。男性部員も少しは居たので、そっちはそっちでゲームの話などをする。それが終わるととある先輩が筆者の元へやってきて、「昨日うちのシーマンがね……」とシーマンとの会話のやりとりを語りだすのであった。今思えばペットの育成日誌のようなものを語っていたのだろう。ゲームの中の生き物が、実際のペットのように扱われる。そういう意味では、家庭にドリキャスは浸透していたのだろう。

■ オンライン対戦にネトゲ婚など。時代や文化を先取りしすぎた機能の数々

 実はサターンの頃から、オンライン対応のハードをセガは作っていた。そしてその流れはドリキャスにも継承されているが、サターンより遊びやすいタイトルがあり、人気を博していた。それが「あつまれ!ぐるぐる温泉」である。

 これはオフラインのみならず、オンラインでテーブルゲームを遊べる機能があり、全国の人々と麻雀、将棋、トランプで遊ぶことが出来た。人気シリーズとなり、「3」までドリキャスでリリースされた。オンラインロビーもあり、そこで交流をすることも出来た。

 今や日本が誇るオンラインゲームとして有名な「ファンタシースターオンライン」(以下、PSO)も、ドリキャスがその原点である。オンラインでパーティーを組み、いろんなMAPを周りつつレアアイテムを探し続ける・・・という遊びはこの頃から確立されていた。驚くべきはこの当時から「ネトゲ婚」なるものが存在していたことだ。当時出版されていたゲーム雑誌の読者投稿コーナーには「PSO」に特化したページが用意されていた。その中では、「PSO」での出会いをきっかけに交際し、見事ゴールインしたといった内容の投稿も度々見受けられた。当時はそんな方法で結婚まで!? このような出会い方でうまく生活できるのか!? と驚いたが、約10年後、筆者の親友もネトゲ婚を行って今も仲睦まじい。まさかここまでメジャーな出会い方になるとは当時の筆者は想像すらしなかった。

 また、家庭用とアーケードのゲームデータ連動も行なっていた。この機能自体はネオジオ、プレイステーションなどでもあったため、決してセガが先んじていたわけではない。

 具体的に言えば、カプコンのアーケードゲームでは、ドリームキャストのセーブ媒体であるビジュアルメモリを差し込む筐体があり、家庭用で作成したデータを用いて対戦ができるようになっていた。これによってプレイポイントが溜まり、隠しキャラクターを解禁することが出来たゲームもある。特に「MARVEL VS. CAPCOM 2」では隠しキャラが大量に存在していたため、キャラクターの解禁のためにアーケードとの連動や、オンライン対戦を大量にこなす必要があった。

 また、アーケード筐体にドリームキャストのコントローラーを接続してプレイできるというのは、当時唯一無二の機能であったと思う。

提供元:Yahooニュース
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