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「ピアノ売ってちょうだ~い」財津一郎さんが生前明かしていた「タケモトピアノへの感謝」と『下剋上球児』出演の「孫・優太郎への思い」(現代ビジネス)

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10月14日、俳優でコメディアンの財津一郎さんが亡くなった。享年89だった。財津さんは晩年、どのような生活を送っていたのか。未公開写真とともに『週刊現代』のインタビューに未収録だった分を加筆した完全版をお届けする。財津さんは、現在『下剋上球児』にも出演中の孫・優太郎への想い、さらにはCMでお馴染みの「タケモトピアノ」への感謝を語っていた。
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【写真】晩年の財津一郎さんの姿、孫・優太郎さんとの貴重なツーショットも

 前編記事『毎朝4時半に起きて掃除…財津一郎さんが語っていた「晩年の日々」…テレビ出演を断り、最愛の妻のために朝食をつくってお風呂にも入れ“老老介護”に捧げていた』から続く。 1960年の春、財津一郎さんとミドリさんは結婚する。しかし、俳優としての財津さんの収入はほぼゼロ。二人の生活は、貧しさを極めた。

 「マトモな家を借りる元手がなく、大阪の田んぼの中にある4畳半の小屋を借りて住んでいました。でも、家賃が払えなくなって追い出された。

 見かねたお坊さんが、お寺の納骨堂の横にあった納屋を無料で貸してくれて、そこでママと息子と3人で、肩を寄せ合って暮らしたこともありました」

 壁の隙間から寒風が吹き込み、畳は腐って反り返っていた。子供が熱を出しても、病院に連れて行くおカネすらない。

 「耐えかねたママが子供を連れて出ていってしまうのではないかと、僕はいつもビクビクしていました。でも、彼女は、グチ一つこぼすことはなかった。

 それどころか、ある日、大金をもって帰ってきたんです。『嫁入り道具の帯と着物を売ってきました。これを生活費に充ててください』と。その気持ちがありがたくて、涙が出そうになった。

 同時に、こんな惨めな思いを二度とさせてなるものか、と。あれ以来、僕はママに頭が上がらないんです」

 その後も、ミドリさんは移動劇団の一員として地方を回り、苦しい家計を支え続けた。 ミドリさんに、なんとか楽をさせたい。吉本新喜劇に加入した財津さんは、死に物狂いで稽古に打ち込み、'65年には座長にまで上り詰める。

 そして同年末からは、『てなもんや三度笠』(朝日放送)への出演が決定する。素っ頓狂な声で「非っ常にキビシ~ッ」「○○してチョウダイ!」などのギャグを連発する姿が受け、またたく間にお茶の間の人気者になった。

 来る仕事は拒まず、俳優として映画やドラマにも幅広く出演した。

 「30年間モーレツに働きました。それで、何度も倒れている。'95年には、脳出血で死にかけた。1ヵ月以上入院したけれど、ママは毎日必ずお見舞いにきてくれました。

 あの頃から、少しずつ『残された時間は、ママと二人で過ごすために使いたい』と思うようになった」

 '11年、77歳で出演した『3年B組金八先生ファイナル』を最後に、財津さんは仕事を一切やめた。

 「それからしばらくは、平穏な日々が続きました。僕はリハビリのために始めたゴルフが趣味なんだけど、ママが元気な頃はいつも一緒にラウンドしました。

 僕のゴルフクラブのカバーは、すべて裁縫好きのママが編んでくれたもの。これ以上ない、大切な宝物です」

 仕事にもおカネにも追われることなく、二人で過ごす時間は、かけがえのないものだった。だからこそ、ミドリさんが少しずつ衰え、介護にかける時間が長くなっても、財津さんは幸せだった。

 しかし2020年の1月、二人の時間は終わりを告げる。血尿が出た財津さんが病院に行くと、膀胱に血の塊が見つかったのだ。そのまま、緊急手術を受けることになった。

提供元:Yahooニュース
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