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ルイ・アームストロングにジャズを教えた、妻リル・ハーディンとは?(THE PAGE)

3月3日はひな祭りです。そこで女性ジャズ・ミュージシャンについて考えてみたいと思います。いまでは女性ミュージシャンも当たり前の時代ですが、一昔前は、珍しいというか、特殊な存在でもありました。ジャズ評論家の青木和富さんが解説します。
【連載】青木和富の「今夜はJAZZになれ!」
歴史を辿ると、まずリル・ハーディンのことを書かなければならないだろう。ルイ・アームストロングの2番目の妻で、1920年代のアームストロングが注目を浴びたころのピアニストであり、そして、作曲の才能もあった。彼女は、当時としては珍しくクラシックも学んだというから、音楽的な知識は、むしろ、アームストロングよりもあって、いろいろ教える立場にあったようだ。それだけではなく、田舎臭いアームストロンの服装も彼女によって格段に向上したというから、かなりの意識高めの女性と言えよう。
ルイ・アームストロングの人気が高まると、当然彼女も「ミセス・ルイ・アームストロング」として注目を浴びる。そこで彼女は、彼女自身の女性だけのバンドも結成してしまう。なかなかに行動的な人なのだ。もっとも、このバンドは、その後男性も入り、なかなか女性だけで維持するのは難しい当時の状況も伝えている。その後もピアノ弾き語りのボーカリストとしても活躍し、レコードも出されたし、放送でも活躍した。アームストロングとの結婚は、約10年ほどだが、その後もつながりがあって、ルイ・アームストロングの葬送のときも近親者のように参列しており、そして、ルイの後を追うようにリルも他界している。
ところで、リル・ハーディンの女性だけのバンドは、やはり華やかなショー・バンドのような位置にあったことは間違いないだろう。ハーディンのエンタテインメント感覚は、それなりに鋭かったと思う。このバンドのほかに、当時「インジェニューズ」という女性だけのバンドが人気だったという記録がある。このバンド名は、日本語にすると「純情娘たち」といった感じだろうか。名前からして、そうしたウケを狙っていることは確かだ。このバンドの当時の写真を見ると、弦楽奏者がたくさんいるので、ジャズ・バンドとは言えないかもしれないが、1920~30年代のエンタテインメントは、そうしたものである。
ハーディンのピアノ、そしてシンガーとしての活動は、むしろ、その後の女性ミュージシャンの本道と言っていい。本格的な女性ジャズ・ミュージシャンと言えば、ビリー・ホリデイに始まるシンガーであり、そして、メリー・ルー・ウイリアムスのようなピアニストで、他の楽器はほとんど登場しない。やはり女性らしさというのが、大きな壁を作っていたことは間違いない。逆に言えば、ビッグ・バンドの時代、座付きの女性シンガーが花となって必需品のような存在でもあった。エラ・フィッツジェラルド、アニタ・オデイなどみんなそうして有名になったのだ。
やはり管楽器やベースやドラムは、男の領分なのだろうか。ピアノでさえ、タッチが甘く力強さに欠け、面白くないと酷評されたり、批評家は、女性らしい繊細さ魅力などという逃げのフレーズで誤魔化すような風景が長い間続くことになった。トロンボーンのメルバ・リストンのように作編曲者としても卓越した才能を持った人は、きわめて珍しく、また、ハープ奏者のドロシー・アシュビーは、男性が手を出さない楽器を駆使することで、人気を得るが、これらは例外的と言っていいだろう。こうした時代を振り返ると、1950年代にアメリカに渡った日本の秋吉敏子がいかに奮闘していたかが、あらためて分かる。
提供元:Yahooニュース