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ホストデビューが話題、羽賀研二の「忘れられない言葉」とは―― いいとも青年隊、熱愛、逮捕、現在まで激白90分 (ねとらぼ)

 人生100年時代といわれる現代、「何歳からでも新しいステージに踏み出すのは遅くない」という考え方が広がっています。著名人も例外ではなく、ある分野で成功を収めた人が転機を経験し、別のフィールドで奮闘する姿は多くの人に勇気を与え、モチベーションやインスピレーションを与えています。

【画像】ホストデビューした姿など全20枚超

 1981年にミュージカル「ザ・ファンタスティックス」でデビューした羽賀研二さん。1982年には「森田一義アワー 笑っていいとも!」の初代いいとも青年隊に起用され、その人気は全国区に。

 マルチタレントとしての活動の傍ら、ジュエリーデザイナーとしても成功を収めるなど、順風満帆に見えた日々は突然の逮捕で全て崩れ去ります。今回は「壮絶ないじめ」「芸能界デビュー」「いいとも青年隊」「有名モデルとの熱愛」「実業家としての成功」「突然の逮捕」「ホストデビュー」と、羽賀さんの人生が動いた7つの瞬間についてお話を聞きました。羽賀研二(以下、羽賀):すべての始まりは、僕が混血児として生まれたことだと思います。ここが僕の人生が動いた1つ目の瞬間ですね。

――羽賀さんは、沖縄県出身ですよね。

羽賀:はい、沖縄県コザ市(現在の沖縄市)のゲート通りで生まれました。父はアメリカ兵だったのですが、母が僕を妊娠中に別の駐留地へ行ってしまったので、女手一つで育てられました。

――どんな幼少期でしたか。

羽賀:生活は非常に貧しく、小学生から新聞配達をしながら学校に通う日々でした。ただ僕らの年代の混血児、いわゆるハーフは、ものすごくいじめられたんです。歩いているだけで石を投げられたり、仲間外れにされたり、授業中もずっと丸めた紙を投げつけられたり、4~5人に囲まれての袋叩きも日常茶飯事。そんな生活が中学1年生ごろまで続きました。のちに番組の企画で再会を果たす父に対して当時は“僕と母を捨てたこと”を恨んでいましたね。

――不登校にはならなかったんですか。

羽賀:意地でも学校には行っていました。ただ授業中も先ほどお話したような状態で勉強も落ち着いてさせてもらえなかったので、「見返す方法はスポーツで有名になるしかない」と運動を頑張っていました。

――高校ではバスケットでインターハイにも出場したんですよね。

羽賀:小学生から空手、柔道、剣道とスポーツばかりやっていましたが、背が高かったのでバレーボール部とバスケットボール部の監督から誘いを受けました。バスケットボールを選ぶと高校ではすぐにレギュラーになることができて、インターハイにも出場。スポーツ推薦で福岡大学への進学も決まっていました。

提供元:Yahooニュース
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