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元「幕末塾」沢井小次郎さん ハリウッドメジャー映画プロジェクト代表に転身していた【あの人は今】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【あの人は今こうしている】

 沢井小次郎さん
 (元「幕末塾」/56歳)

 80年代、哀川翔や柳葉敏郎を輩出した男性グループ「一世風靡セピア」。その弟分のような男性10人組アイドルグループ「幕末塾」が89年にデビューし、人気を得た。彦摩呂や榊原利彦が「幕末塾」出身だが、沢井小次郎さんもそのひとりだった。小次郎さん、今、どうしているのか。

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  ◇  ◇  ◇

 小次郎さんに会ったのは、横浜高速鉄道・みなとみらい駅そばの所属事務所。

「今は俳優、作家、画家、ハリウッドメジャー映画プロジェクト代表などとして活動しています」

 小次郎さん、4枚の名刺を差し出しながら、まずはこう言った。「俳優」とのことだが、名刺には「CEO/代表取締役社長」とある。

「俳優兼事務所の社長として、所属タレントのマネジメントもしています。テレビやラジオ番組の制作会社も経営し、企画・制作や人材育成も手がけています。ええ、ちゃんと自ら芝居や殺陣を指導していますよ。大河ドラマ『どうする家康』に出演している俳優もいます」

 画家というのは若い頃からの夢のひとつで、さまざまな素材や技法でアート作品を制作しているのだという。作家は、映像作品の原作・脚本執筆。幅広く活動しているのだ。ハリウッドメジャー映画プロジェクト代表とは?

「私が企画・脚本を手がけたファンタジー映画『Running Fish』が、9年前、『ゴッドファーザー』などを手がけたハリウッドの大物映画プロデューサー、ロバート・エバンスに認められ、製作や配給などすべての権利を私が持つかたちで契約したんです。今、プロジェクトの土台を固めているところです」

 話が壮大すぎて、頭がついていかないぞ。そもそも、なぜハリウッドを目指し、しかも俳優ではなく製作なのか。

「『幕末塾』で活動していたときから、日本の芸能界は大きな事務所に忖度したり、大手広告会社や事務所が出来レースを仕組んだりして、才能のある人間が平等な競争の下で活躍できない構図になっている、と思っていました。そうではない環境をつくり、俳優もスタッフも安心して作品作りができるようにしたい。目指すはハリウッドのシステムだな、と思ったのです。もちろん、私が製作する作品には、出演もするつもりですよ(笑)」

 何かきっかけが?

「実は、私は『幕末塾』に入る前に、スリランカで宝石を掘り当て大金を手にしていたので、高級マンションに暮らし経済的に豊かな生活を送っていました。ところが、『幕末塾』の活動からソロに重心が移った頃、バブルがはじけ、一転、窓からすきま風が入るような借家の2階住まいに。死にたくなるほど落ち込んだとき、ローマの政治家・歴史家のタキトゥスの『勇気あるところに希望あり』などの偉人の言葉を学び、金や名声ばかりを追ってきたから何も残っていないのだと気がつきました。人のため、周囲のため、という視点が欠けていた。それから、エンターテイナーとして人のため、周囲のためにできることは何か、と考えるようになりました。ハリウッドにはコネも何もなかったので体当たりで人脈をつくり、人に教えを請い、詐欺にも遭いました。そうしてハリウッドのシステムを学び、どうすれば日本でも同じような作品作りができるか、を考え今に至ります。『Running Fish』以外の企画も進行中ですよ」

■2年前に妻の腎臓を移植手術

 PCやプロジェクターを駆使し、熱く力説する姿は堂に入っている。このパワーは、これまで3度、生死をさまよう経験をしたことも、影響しているようだ。直近では2年前、腎不全で倒れ、腎臓移植をしたという。

「透析か移植か、の選択を迫られました。透析だとやりたいことができなくなり、生きている甲斐がない、と悩んでいたところ、8歳年下の嫁ハンが『私の腎臓をあげる』と。嫁ハンは私が30代でC型肝炎で倒れインターフェロン治療を受けていたとき、献身的に看病してくれたある政治家の秘書。20年前に結婚しました。自分は結婚に向かないタイプだと思っていたので、結婚して自分でもビックリです(笑)。腎臓までくれて感謝しています」

 夫人は、現在は小次郎さんの製作会社副社長を務める。

 さて、原子力機関に勤める父と、草月流師範の母の間に東京で生まれた小次郎(本名:小澤伸次)さんは、高校中退後、水戸から上京。

 88年、「幕末塾」に参加し、フジテレビ主催の「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」で準グランプリに。

 翌89年、秋元康プロデュースでTMネットワークのカバー曲「Come on Let's Dance」(NECアベニュー)で歌手デビュー。ドラマや舞台でも活躍した。

「去年1月、テレビ朝日のバラエティー番組『あいつ今何してる?』で、久々に10人中8人が集まりました。復活の話も出ましたが、私は難しいですね。放送後、私がこれまでハリウッドメジャー映画プロジェクトについてプレゼンテーションしてきた方たちから連絡がきて、スポンサーになってくれたんですよ」

 横浜市内で、夫人と2人暮らし。

(取材・文=中野裕子)

提供元:Yahooニュース
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