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山川豊さんとボクシングの縁 デビュー曲大ヒット後に伸び悩み「サンドバック叩きまくり」(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【その日その瞬間】
山川豊さん(歌手/64歳)
「函館本線」や「アメリカ橋」のヒットで知られる山川豊さんにとっては特別な存在がある。「函館本線」のヒット後、伸び悩んでいた時期に活路を見いだすきっかけをつくってくれたボクシングだ。
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◇ ◇ ◇
僕は元々ボクサーになりたかった。歌手なんてとんでもない、無理だと思っていました。
田舎では長男は大事にされるけど、次男坊は大きくなったら家を出ていかないといけない(兄は鳥羽一郎)。それで田舎で自動車会社に勤めている頃はボクサーで身を立てようと思ってずっとボクシングをやっていて、日曜日になると鈴鹿から四日市のジムに通っていました。
アマチュアの試合があって、自衛隊員の相手と試合をしたことがあります。彼は小柄だったのにスピードがあった。軽く倒せると思ったら、中に入られ、アッパーをもらって一発KOです。一瞬で記憶が飛びました。あの時は忘れもしませんよ。
それから夢だった歌手になれて、デビュー曲の「函館本線」(1981年)がヒットして、順風満帆な歌手人生が待っていると思っていました。
ところが、次にヒットが出ない。1年遅れで82年に「兄弟船」でデビューした兄貴がドーンと売れて、正直、焦りました。いろんなことをやったけどダメ。 体の調子が悪くなり、夜は眠れないし、10円ハゲもできました。これはいかん、何かを変えたいと思いついたのがかつてやっていたボクシングです。飛び込んだのは当時まだ小さかった、五反田にあるワタナベボクシングジム。会長には「体を鍛えるために来ました」と言って。サンドバッグを叩いて叩いて叩きまくりました。その間も歌手活動は続けていました。でも、新人賞も取ったのに、地方の仕事に一人で行かされ、会社(東芝)の会議ではボロクソです。一人で荷物を持って歩いていてバッタリ会った知り合いに「どこに行くの?」と聞かれた時には、「友達の結婚式」と言うしかなかったですね(笑)。
それで旅から帰ったらジムでスパーリングの繰り返し。ある時、クタクタになって体力が落ちている時に病気になっちゃった。ジムは不衛生だし、免疫力も落ちているから菌を拾っちゃったんだね。病院に行ったら「ふくこうがん」って言うから、がんかなと思ったら、副睾丸炎だという(笑)。確かにパンパンに膨れ上がり、こすれて歩けなかったくらいだったから。
入院は10日間。病名は内緒にしていました。睾丸に熱があるから冷やしていたけど、お見舞いの人が来た時はバレるから、頭を冷やして(笑)。1日だけ仕事があって出かけました。帰ったのは夜中の0時。病院の入り口で守衛さんが「面会時間は終わっている」というので、「患者です。木村春次って言います」と言うと、「病人がなんで0時に帰ってくるんだ」と怒られて大変でした。
でも、練習しているうちに自信がついていくのがわかった。27歳でジムに入って、プロテストを受けることができるのは30歳まで。どうにかプロテストを受けた時の写真がこれです。歌手ですから顔が商売。合格してお披露目の試合を1回だけやらせてもらって、すぐにトレーナーの免許に切り替えました。
僕にとってはこの3年間が分岐点。それからは歌に専念し、その後いただいた「しぐれ川」に懸けてみようと5年間歌い続けました。これをやり切ってダメなら諦めよう、後は兄貴に任せようと決めていましたが、ありがたいことに藤田まさと賞を受賞することができた(91年)。それで92年に「夜桜」で紅白にカムバックしました。あの時、ボクシングという異なる世界を見てよかったと本当に思っています。
提供元:Yahooニュース

