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《通夜で原節子は号泣、映画界を引退》「日本の家族を描き続けた巨匠」小津安二郎が結婚しなかったその理由(現代ビジネス)

 前編『東京物語』が英「史上最高の映画ベストテン・映画監督選出部門」で1位! 小津安二郎の知られざる素顔では、名作『東京物語』が生まれた背景や小津が世に出たいきさつを紹介した。

【写真】敵艦に突入する零戦を捉えた超貴重な1枚…! 小津安二郎は、生涯独身を貫き、年老いた母・あさゑと二人で、北鎌倉の山麓の家に暮らした。小津は結婚しない理由について、こう記している。

 「僕は何も抗って独身生活をしている訳じゃない。何となく続けているだけだ。女の子は好きでもあり嫌いでもある事世間なみ、日本髪も断髪パーマネントも注文はない」(『都新聞』)  

 小津研究の第一人者で、'22(令和4)年に91歳で死去した映画評論家の佐藤忠男氏は、大著『小津安二郎の芸術』で、こう述べている。

 「生涯結婚できなかったのは、周囲の友人たちは、彼があまりに母親を愛しすぎたからであると指摘しているが、もうひとつ、小津が恥ずかしがりでありすぎて、好きな女性にも結婚を申し込むことができなかった、という事情があるように想像されるし、そう指摘する友人もいる」  

 そんな中、マスコミが何度となく「結婚説」を流したのが、女優・原節子だった。小津自身、日記('51年11月17日)に、

 〈このところ原節子との結婚の噂しきりなり〉  と記しているほどだ。  

 小津より17歳若い原は、戦前から日独合作映画『新しき土』でヒロイン役を演じるなど、大スターだった。終戦後の'49(昭和24)年、小津は29歳の原を『晩春』に抜擢し、成功を収める。   原と初対面の時、小津の頬が赤く染まり、「美人だなあ」と漏らした。以後、原節子は父親役の笠智衆と共に、小津映画の常連となっていく。前出の白井氏が語る。 「小津監督は完璧主義者で、カメラを覗き込んで『その机上の皿、もう2cm鎌倉寄りに持ってきて』などと指示した。『受け身の女優』だった原は、細部まで演出する小津好みだったのです」  

 一方、ライバルの黒澤明監督も、原節子を主演に起用して大作『白痴』('51年)を撮った。「動の黒澤、静の小津」と言われ、両大御所が戦後の日本映画を牽引。小津は'58(昭和33)年、紫綬褒章を受章した。  

 '62(昭和37)年2月、最愛の母が86歳で大往生。小津は独り暮らしの寂しさを紛らわすため、さらに深酒に走るようになった。

 「お昼時に撮影所の『小津部屋』にお邪魔すると、黒ビールをジョッキに開けて、卵の黄身を入れて飲んでいました」(白井氏)  

 翌'63(昭和38)年に入ると、首の右側に腫れ物ができる。国立がんセンターに入院し、手術。還暦の誕生日(12月12日)に世を去った。  

 通夜に現れた原節子は号泣し、映画界を引退した。

 「死の直前、近親者に『映画はやはりホームドラマだよ』と漏らしました。そしてきっちり還暦の日に死に、遺言も遺書も残さず、ただ鎌倉の墓に『無』と記すよう求めた。小津監督らしい最期でした」(白井氏)

 「週刊現代」2023年1月14・21日合併号より

提供元:Yahooニュース
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