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桑田佳祐、「真夏の果実」「希望の轍」生み出した音楽映画『稲村ジェーン』 ポップミュージックの原点とも言える時代の“熱気”(リアルサウンド)

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“監督・桑田佳祐”による映画『稲村ジェーン』。1990年に公開され、観客動員約350万人を記録した伝説の音楽映画が30年の時を経て、ついにBlu-ray&DVD化される。
1991年にレーザーディスク、VHSとして発売されて以降、パッケージ化されてこなかった本作。長く入手困難な状態が続いていたこともあり、ファンにとってはまさに待望のリリースとなる。発売日は、サザンオールスターズのデビュー日にあたる2021年6月25日。本稿では「真夏の果実」「希望の轍」などの名曲を生み出した本作の“音楽映画”としての魅力を紐解いてみたい。
まずは映画『稲村ジェーン』の概要について。映画の舞台は、最初の東京五輪翌年の1965年、神奈川県鎌倉市稲村ヶ崎。戦後日本の一大イベントだったオリンピックが終わり、経済、文化、生活のすべてにおいて新しい波が押し寄せる時代を背景にした、ひと夏の青春群像劇だ。物語の核となる役者は、加勢大周、金山一彦、的場浩司、清水美砂。さらに尾美としのり、伊武雅刀、伊佐山ひろ子、伊東四朗、草刈正雄といった個性溢れる面々が脇を固め、原由子、泉谷しげるなども出演している。
1990年の公開当時は映画について様々な評価があったが、今観るとかなり印象が違う。“伝説のビッグウェーブ”を待ち焦がれるサーファーたちの心情、将来に対する不安と期待が混ざり合いながら展開するストーリー、そして、1960年代半ばの風俗を的確に描いた映像を含め、(公開当時は30代前半だった)桑田佳祐の“古き良き青春映画への憧憬”が全面に押し出された魅力的な作品だと思う。
この時期の桑田の音楽活動を記しておくことも、『稲村ジェーン』を理解するための補助線になるだろう。1985年に発表されたアルバム『KAMAKURA』の後、サザンオールスターズは活動休止。翌年にKUWATA BANDを立ち上げ、「BAN BAN BAN」「スキップ・ビート (SKIPPED BEAT)」などのヒット曲を生み出した。KUWATA BANDは1987年に解散。翌1988年6月にリリースされたシングル『みんなのうた』で3年ぶりにサザンの活動を再開させた桑田は、同年秋に『稲村ジェーン』の制作に入った。映画のための音楽制作は、サザンオールスターズのセルフタイトルアルバム『Southern All Stars』(1990年1月)と同時進行だったと思われる。つまりこの映画は、サザンオールスターズの再始動のタイミングと完全に重なっていたのだ。
1978年に『勝手にシンドバッド』でデビューしたサザンは、「いとしのエリー」(1979年)、「チャコの海岸物語」(1982年)、「ミス・ブランニュー・デイ(MISS BRAND-NEW DAY)」(1984年)などのヒットを飛ばし、音楽シーンのトップに立った。1986年の活動休止が、巨大なプロジェクトとなったサザンと距離を置き、一人のミュージシャン/表現者としての自分を見つめ直す期間だったことは想像に難くない。そして、1960年代半ばの稲村ヶ崎を舞台にした映画を撮ることは、桑田にとって(自らのルーツを再確認し、その後のキャリアを切り開くうえでも)必要なことだったのだろう。人気のミュージシャンが監督をつとめ、音楽を前面に押し出した映画はきわめて稀だったし、そのこと自体も賛否両論の的になったが、桑田には『稲村ジェーン』という映画を撮らなければならない明確な理由があったのだと思う。
“音楽映画”『稲村ジェーン』の内容に話を戻そう。まずはセリフのなかに散りばめられた“音楽ネタ”。たとえば加勢大周が演じるヒロシの「この間、葉山にベンチャーズ来たろ?」「なあ、ビートルズ、ホントに来んのか?」というセリフは、史実に即している。(ベンチャーズは1965年に葉山アリーナで公演。ザ・ビートルズの日本公演は1966年)。その他にも、金山一彦が演じるマサシ(ラテンバンドのギタリスト)がレイ・チャールズの曲を口ずさんだり、的場浩司演じるヤクザのカッチャンがピッチリ横分けの若者に向かって「てめえは加瀬邦彦か!」と叫んだり、「時代はビートルズですから」というマッシュルームカットの男子が、床屋のガンコ親父(泉谷しげる)に「女みてえな髪しやがって」と怒鳴られるシーン、ダンスパーティーの場面で大音量で響く“Hippy Hippy Shake”など、いたるところに“1965年のポップミュージック”が息づいているのだ。脚本は作詞家の康珍化。音楽に関する話題を散りばめながら進行する『稲村ジェーン』のストーリーの心地よさは、彼の手腕によるところも大きいのだろう。
映画の音楽的な趣向は当然、サウンドトラックにもそのまま反映されている。基調となっているのは、ラテン、サルサ、マンボ、歌謡曲など60年代当時に流行していた音楽。(ビートルズの来日が66年、GSブームが起きたのが67年からで、それ以前の日本の大衆音楽にはロック/ロックンロール要素はほとんどなく、ラテンと歌謡が中心だった)。それを象徴しているのが、劇中で桑田自身が歌唱する(!)ラテン系のナンバー「愛は花のように (Ole!)」。さらにヒロシとマサシが葉山に遊びに行くシーンで流れる「愛して愛して愛しちゃったのよ」(原由子&稲村オーケストラ)、稲村ヶ崎の浜辺とともに響く「忘れられた Big Wave」も、映画のストーリーや情景と相まって、強く心に残る。
桑田はこの映画のために数多くの新曲を書き下ろしたが、特筆すべきはやはり、主題歌「真夏の果実」、挿入歌「希望の轍」だろう。サザンオールスターズ30周年を記念したライブ『真夏の大感謝祭LIVE』の際のリクエストで、1位(「真夏の果実」)、2位(「希望の轍」)を獲得するなど、ファンの間でも圧倒的な支持を得ている楽曲だ。
夏の切ない情景とともに、儚くも美しい夏の恋を描き出すバラードナンバー「真夏の果実」、そして、軽やかな夏の風を想起させるサウンド、〈遠く遠く離れゆくエボシライン〉からはじまるサビの解放感がリスナーの心を捉えて離さない「希望の轍」は言うまでもなく、映画『稲村ジェーン』がなければ存在しなかった。茅ヶ崎の空気をたっぷりと感じさせる音像、古き良きポップミュージックをアップデートさせたソングライティング。サザンオールスターズの歴史に刻まれるこの2曲は、『稲村ジェーン』の世界観と強く結びついているのだ。
もう一つ記しておきたいのが、『稲村ジェーン』の音楽監督であり、「真夏の果実」「希望の轍」をはじめ、劇中のほとんどの楽曲のアレンジを桑田と共に手がけた小林武史。「みんなのうた」のアレンジで初めてサザンの楽曲制作に参加した小林は、『稲村ジェーン』のサウンドトラックで才能を発揮。その後もシングル「シュラバ★ラ★バンバ SHULABA-LA-BAMBA」「涙のキッス」など数多くの楽曲に参加し、90年代前半のサザンを語るうえで欠かせない存在となった。
本来であれば、2度目の東京五輪の翌年にリリースされるはずだったBlu-ray、DVD版『稲村ジェーン』。90年代当時を体験している人はもちろん、その頃は生まれていなかった30代以下の若い音楽ファンも、この機会にぜひ桑田佳祐が手がけた唯一無二の“音楽映画”を味わってみてほしい。そのとき貴方は、日本がもっとも元気で前向きだった時代の空気や、この国のポップミュージックの原点とも言える時代の“熱気”を体感することになるはず。その根底にあるのはもちろん、サザンオールスターズというバンドの奥深さ、そして、多様で濃密な大衆音楽を体現し続ける桑田佳祐という才能そのものだ。
提供元:Yahooニュース

