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『東京物語』が英「史上最高の映画ベストテン・映画監督選出部門」で1位! 小津安二郎の知られざる素顔(現代ビジネス)

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暴力も性描写もないが誰よりも日本人を感動させた小津安二郎監督の作品と知られざる素顔を追った。
【マンガ】外国人ドライバーが岡山県の道路で「日本やばい」と驚愕したワケ 「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみたんだ。ぼくの映画の中ではメロドラマの傾向が一番強い作品です」
小津安二郎監督は晩年、自作の『東京物語』('53年)について、こう振り返った。
生涯54作品を撮った小津監督だが、傑作として名高いのが同作だ。2012(平成24)年に英国映画協会が発表した「史上最高の映画ベストテン・映画監督選出部門」で、見事1位に輝いた。ドイツを代表するヴェンダース監督も、イタリアを代表するトルナトーレ監督も、「多大な影響を受けた」と告白している。
広島県尾道に住む老夫婦(笠智衆と東山千栄子)が、東京在住の息子、娘に会うため上京する。開業医の長男(山村聰)とその妻(三宅邦子)は多忙で、戦死した次男の未亡人(原節子)に東京見物の付き添いをさせる。
美容師の長女(杉村春子)とその夫(中村伸郎)も、老夫婦に取り合わない。結局、血縁関係のない次男の未亡人だけが献身的だった……。
このストーリーは、アメリカのマッケリー監督の『明日は来らず』('37年)を観た脚本家の野田高梧が、小津に話し、二人で日本風にアレンジしたものだった。
生前の小津と親交があった元『キネマ旬報』編集長の白井佳夫氏(90歳)が語る。
「この練りに練って完成されたドラマを見ていると、松尾芭蕉の日本的な俳句の世界との類似を感じます。平凡な日常風景を、五・七・五という抑制された語の定律の中に、ぎりぎりしぼり込んでいくと、それは天地悠久なるものすべてを包含してしまうような、永遠性を持った表現に昇華される。小津映画も同様で、まさに海外の映画界が評価した『オズの魔法使い』です」 「私の生れは東京だが、伊勢の松坂で少年時代を送り、活動(映画)をみることが病みつきになっていた。しまいには学校から禁止されている映画に行くことが映画そのものを見ること以上にスリルを感じさせて、よけい楽しみになってしまった」 小津は49歳の時『私の少年時代』でこう綴っている。
小津は1903(明治36)年、東京市深川区に、5人きょうだいの次男として生まれた。
小津家は、本居宣長を先祖に持つ三重県松阪の名家で、父・寅之助は日本橋で海産肥料問屋を営んでいた。母・あさゑも、松阪近くの名家の出身だった。
9歳の時、母と共に松阪に移住し、12歳で三重県立第四中学(宇治山田中学)に入学。秀才の兄・新一と違って勉強嫌いで、アメリカ映画を貪り見たり谷崎潤一郎を乱読する日々だった。
結局、神戸高等商業学校の受験に失敗。一浪して三重県師範学校を受験したが、再び不合格となった。
「さいわい叔父の一人が自分の地所を松竹に貸しているという関係があったので、中学を卒業するとすぐ蒲田にあった松竹撮影所に入社してしまった。松竹へ入ったのは数え年十九の時だが、それまでに日本映画は三本しか見た記憶がなく、重役はあきれていた」(同前)
提供元:Yahooニュース

