
-
夜遊び夜遊び
-
お水お水
-
ホストホスト
-
風俗風俗
-
ビューティビューティ
-
ファッションファッション
-
悩み相談悩み相談
-
モデルモデル
-
芸能芸能
-
雑談雑談
-
食べ物・グルメグルメ
-
生活生活
-
恋恋
-
インターネット・ゲームネット・ゲーム
-
ギャンブルギャンブル
-
過去ログ倉庫過去ログ倉庫
-
運営運営
明石家さんま、ダウンタウン…お笑い芸人は普段どんな世界を生きているのか? ドラマの「名言」がおしえてくれるリアル(現代ビジネス)

-
『最初はパー』はお笑い養成所の内幕を描いたドラマであった。
お笑い養成所の内側をすこし垣間見せてくれいた。
【写真】「M-1の審査」で改めてわかる、松本人志「評価能力」の凄まじさ
お笑い芸人をめざすのは、ふつうの人ではないのだろう。だいたい変なやつがいる。
コンビ名の付け方が、適当だったり、あまりにもバカバカしかったりして、このへんはリアルだった。
「イケイケメンメン」「プライド廃棄物」「似たようなもん」「近頃、お腹の調子は?」など。
『最初はパー』は主人公の豪太(ジェシー)と澤村(市川猿之助)の組んだコンビ名である。
講師の相田忠則を演じていたのは小籔千豊であった。
若いころに漫才を組んだが売れず、才能は認められていたが、いまは養成所の講師という役どころである。
この講師の相田がよかった。小籔千豊がよかった。
「お笑いの名言」が連発されていた。
脚本は秋元康なので、ほぼ彼の作った「名言」なのだろうが、セリフの細かいニュアンスや、それをどう言い放つのか、かなり小籔千豊の姿勢が入っていたように見えた。
このドラマでの「講師相田の名言」を並べてみる。
誰かの何かの役に立つかもしれない。
第一話、ほぼ冒頭に近い部分で、講師の相田(小籔千豊)は宣言する。
「初めに言うといたるわ、お笑いではメシ食えん」
養成所での第一声として正しい。
たしかにそのとおりだろう。
お笑いでメシを食ってる人もいっぱいいるじゃん、と言いたくなるだろうが、その下に売れてない人がたくさんいて、さらに下にもっと売れてない人がいて、さらに下にもっともっと、と死屍累々、売れてる人はごく一部であり、しかも同じ人たちがいろんな番組に出ているという、つまり売れている人はごくごくごく一部しかいない、そういう現実をまず最初にお笑い志望の人たちに宣言するのは、たしかに大人のやるべきことである。
もちろん売れる人もいる。
でもそれは、野球をやっている少年が、アメリカのメジャーリーグからオファーがくるほどの選手になれる、というくらいの確率だろう。甲子園に行けるとか、日本のプロ野球に入れるとか、そういうレベルではだめなのだ。
それをざっくり言うと「お笑いではメシ食えん」となる。
お笑いもまた人生であるので、人生そのものにかかわる言葉がいくつか発せられていた。
●「売れるか売れへんか、それは運や」(1話)
「お笑いではメシ食えん」といわれた生徒の一人が、「じゃあなんであんなクソつまらねえ連中が売れてるんだよ」と聞いてきたので、講師はひとことで答える。
「運や」
そのあと少し説明を付け加える。
「売れる売れへんの分かれ道は、“運”を持ってるか、持ってへんかや。才能よりも、努力よりも、強いのは“運”や」
そのとおりだろう。
これはある程度、こういう世界を知っている大人ならみんなわかっていることだ。
お笑いに限らず、自分を売り込んで名をなそうとする業界すべて同じである。
いろんな努力をして、売り込みをして、あっちこっち動きまわって、その先は「運」でしかない。運で決まる。みなさん、ご存知だ。
どの業界でもいい。売れている人に聞いてみればいい。「運が良かったんです」と答えるはずだ。ふつうそうである。
運の差だとおもえないのなら、まだやってないことがあるだけだ。そのほうが幸せである。
●「笑いいうのは上手にやったからおもろいいうわけやないねん」(4話)
何回目かのネタ見せのとき、主人公たちコンビが、少しは漫才の形になってきたと評しつつ、講師が言った言葉である。
「少しは前より形になったんとちゃうか? そのぶん、なんか、前よりおもろなくなったな。笑い言うのは、上手にやったからおもろい言うわけやないねん」
お笑いの、根本についての言葉である。
お笑いは「笑わせること」「楽しませること」が目的である。
「うまいなあ」とおもわせてもあまり意味がない。
これは落語でもよく見かける陥穽である。
落語を例にとっていえば、「落語全体がうまい」ということではなく「小僧さんのこまっしゃくれた感じがとてもうまい」「吉原のお女郎さんが仇っぽくてうまい」「蕎麦の食べ方がうまい」というようなことでもって「うまい」とおもわれるところである。
これは「些末なうまさ」なのだ。
うまいにこしたことはないが、そこだけうまくたって、全体で伝わるものが弱まったら意味がない。そして若手の「うまさ」は往々にしてその「些末なうまさ」を深めたところに出てきてしまって、そこを誉められる。そこから迷走が始まってしまう。
相田講師の「笑い言うのは上手にやったからおもろい言うわけやないねん」のあとはこう続く。
「何やろなあ…変な間とか、そこに味があるというか、……最近、なんかあったか? 二人のなかでよっしゃ頑張ろう、みたいな、変な気合い入るようなん……あんまりな、頑張りすぎたらあかんで、お笑いなんてそこそこがええんや。シリアスになったら息苦しいやろ」
これこそ、笑いの現場にいる人だから言える言葉である。
●「笑いは思い込みや」(5話)
5話、ネタ見せで方向性がブレはじめた三人組に向かって言う。
「笑いは思い込みや。信念や。他人に『おもろうないのお』言われても、お前におれの笑いがわかるか、いうぐらいの反骨精神なかったら、あかんねん。おれに、何言われたって、いいんですよこれで、いう自信なかったら、芸人なんかつとまらんぞ。
笑いには正解がない。自分のが正解やとおもとかな、負けや」
あらゆるクリエイティブな現場に通用する言葉でもある。
オリジナルを作っている本人が揺れ始めると、まわりはどうしようもなくなる。発信者には強さが求められる。何か間違っていてもそのまま突き進んでくれないと、アドバイスもできない。思い込みで始めたとき、その思い込みの多くは間違っている可能性があるのだが、でも間違っていようと自分を信じて続けてくれないと、助言もできない、ということである。始めたかぎりは思い込め、ということだ。
●「言い訳つきで勝負すな」(8話)
これは最終話、若手イケメンのお笑いコンビの二人が、じつは、モデル方面からも誘いがかかっているんですけど、と講師に相談したところ、言い放った言葉である。
「『お笑いにしてはちょっとイケメンやなあ』、『イケメンにしては喋りおもろいなあ』、いうのは、どっちつかずや。ゼッターイ、大成せえへんぞ。自分がイケメンやとおもうんやったら、イケメンだけの中で勝負してみ。自分がおもろいとおもうんやったら、おもろいやつだけの中で勝負してみい。『何々にしては』の言い訳つきで勝負すな」
すな、は小籔千豊の口調で(つまり関西の強い口調で)「するな」の意味。
若者らしい迷いに対して(初心者はふつう保険をかけたがるものだ)大人らしいアドバイスであった。
イケメン二人はお笑い世界で勝負することを決心した。
●「芸人には二種類しかないねん。売れてる芸人か、売れてへん芸人かや」(4話)
お笑い養成所では同期はライバルでもあるが、仲間でもある。誰かが困っていると助けることもある。ネタ見せで、他のコンビの手伝いをすることもある。
それを見て相田講師はこう言った。
「お前ら、勘違いすんなよ、ええかあ、売れてへん芸人がよお、みんなで助け合おうとか言うてるけど、そんなもん、何の助け合いにもならんど。海で溺れてる人がおって、そこに泳がれへんやつが助けに行くようなもんや。どっちも海の中沈むだけや。
芸人には二種類しかないねん。
売れてる芸人か……売れてへん芸人かや……売れな意味ないぞ、売れな」
ドラマでは「芸人には二種類しかないねん。売れてる芸人か……」で言葉を切って、回想シーンが挿入されていた。講師の同期の売れている芸人・アパッチボーイズの正野(レイザーラモンHG)があらためてコンビを組まないか、と相田講師を誘ってきたのをおもいだしていたのだ。なかなかアツいシーンであった。
この言葉には、とにかくどないしてでもええから売れろ! という意味も込められている。
同期の誰かが売れれば、それはもう救急救命士であり水上安全法救助員の資格を持っているわけで、売れたやつが、ざぶざぶと海に入って溺れかけているやつを(つまり、おもしろいのに売れてないやつを)強引に陸に引き揚げてやればいいのだ。
おそらく講師の言葉にはそういう意味も含まれていたはずだ。
●「普段の会話がつまらんやつは、ネタやってもつまらん」(1話)
最初のころの講義で、ふつうの返事をした受講生に、もっとおもろいことを言え、と講師が注意をする。
生徒は「じゃあ私はどうボケたらよかったんですか」と聞いてくるので、「知らん」と答える。そのあとに続けた言葉だ。
「おまえらが勘違いしてんのは、おもろいイコール笑えるっておもてるってことや」
そういう注意をする。
「必ずしも笑かしてくれとはおもてへんねん」「興味を引くことを言え、言うてんねん。笑い言うのは、腹抱えて笑かすだけやないねん。『あの人おもしろいこというなあ』は『興味深いこと言うなあ』でもあるんや」「普段の会話がつまらんやつは、ネタやってもつまらん」とこう続く。
このへんは、「おもしろい漫才(ネタ)」を作る指導ではなく、ふだんから常に「お笑い芸人」であり続けろ、という注意である。
お笑い芸人であるかぎり、賞レースで上位に食い込むことだけが目標ではなく、バラエティ番組に出続けることが勝ち組であるとの考えからの教えで、これはこれでとても正しい。
吉本興業ならそう教えるだろう。
もし、こういうことまで教えてくれているとしたら、そこはお笑い養成所のとてもいいところである。
ネタだけ、つまり舞台に立ったときの漫才だけがおもしろくても、バラエティ番組でふつうに喋ったときに、何か魅きつけるところがないかぎり、売れない。
売れないと、芸人として意味がない。
だから、ふだんでも(少なくとも養成所で授業を受けている時間は)常におもしろいことを言おうとしてないといけない、という教えである。
●「お笑いは反射神経や」(3話)
3話で、相方が養成所を休んでるのを知って、講師は主人公の豪太に「澤村、休みか、どないかしたんか?」と聞いてくる。それに「いや、風邪ですかね」と答えたところ、すぐさま「しょうもな」と切って捨てられる。
「お笑いは反射神経や。澤村にいつも言うてるやろ、レスポンスや。クイックレスポンスや。豪太はな、いっつも休んでんねん」
「なんかおもろいこと言うて周り笑かしたろうって、ずーーとおもてんねん芸人は。なんやったらオーディエンスおらんかっても、自分がゆいたあて(言いたくて)、ボケたりツッコんだりしてるもんや」
「おれが言いたいのはな、お笑いめざすんやったら24時間ずーーっとおもろいこと考えとかなあ、言うてんねん」
と畳みかける。
このときの説教は少し長かった。
●「ずっとかかと上げとかなあかんねん」(3話)
説教のつづき。
「ネタ見せのときだけおもろかったらええ、おもてるやろ。そらちゃうで。
ダウンタウンさんもさんまさんも鶴瓶さんも、24時間ずーっと誰か笑かしたろおもてんねん。まわりに誰もおらへんかっても、こんなんいま言うたら、めっちゃ受けるんちゃうか言うて、一人でほくそ笑んでんねん。異常やろ」
「バスケットボールやったことあるか? あれな、試合中、ずっと、かかと上げとかなあかんねん。いつでもダッシュできるようにしとかな、間に合いへんやろ。かかとベターって床につけとったら、ダッシュできひんやん。豪太はな、笑いに関して、かかとベターっついてんねん。そらレスポンス悪いやろ」
説教が終わったら、「はい」と答えててはダメなわけで、豪太は「気すんだか、相田」と答えて、ちょっと笑った相田講師は「70点」とけっこういい点数をつけてくれていた。
●「芸人はどういう状況であれ、笑いを取っていかなあかん」(5話)
5話の冒頭、受講生のなかに裏切り者がおると講師が暴露し、ネット上での書き込みをみんなに教える。沈み込んだ場で、ネタを見せろといわれ、そんな状況じゃないですよね、と言ったコンビニ対して相田講師が言った言葉がこれ。
「何を言うてんねん。芸人はどういう状況であれ、笑いを取っていかなあかんがな。
不倫した芸人、闇営業した芸人、ペットボトル投げた芸人、ま、人生いろいろあるがな。でもどんな状況であれ、芸人は笑いとってなんぼや、このさぶい空気んなか、ネタやってみい」
まあ、たしかに仕事であるかぎりはそうだろう。
だからといって、空気を一変させることは、特殊なパワーのある芸人ではないと、なかなかむずかしい。ふつうの芸人たちは、そういう最悪の場をどうやって少しだけ和らげて、自分たちの傷を浅くするか、そのワザを磨いていくしかない。
●「いちいち落ち込まれへんかったらプロになられへんど」(2話)
「落ち込まれへんかったら」は「落ち込んでいないと」という意味。
いちいち落ち込んでいないと、プロにはなれないぞ、ということだ。
2話で、前回のネタ見せでまったく受けなかったコンビに、あんなしょうもないネタやったから、もう、ここ来られへんようになったかとおもたわ、と声をかける。それに対して「あんなんでいちいち落ち込んでいたら、プロにはなれねえだろう」と言ってきたので、それに対して講師が言った言葉。
「逆や。いちいち落ち込まれへんかったらプロになられへんどー。
ええか、誰も笑うてくれへん、あの、寒い空気に慣れてしもたら、それがからだに染みこんでまうねん。匂いいうか、テレビとか見とったらたまにそんな芸人おるやろ。期待値ゼロの芸人。よう聞いとったらな百回に一回くらいおもろいこと言うてんねん。でもな、本人も視聴者もおもろいこと言うはずがないおもてるから、スルーしてまうんや」
ずいぶんとリアルな話である。
ただまあ、テレビに出ているすべり芸人は、ほんとうはおもしろい芸人であることが多い。ほんとうのホンモノの「すべるのに慣れた芸人」は、もっとわかりやすく、見た目から「すり減った感じ」がしている。場末の寄席にいくと、たっぷり見られる。たっぷり見ると見てるほうまですり減った気分になるので、気をつけたほうがいい。
そして最後はこれ。養成所が終了して、卒業公演に向かう生徒らにかけた最後の言葉。
●「相方とは運命共同体や」(8話)
5話で、裏切り者がおる、と講師が暴露したのは、じつは講師自身の仕掛けであったと告白する。そこでの言葉。
「いろいろ相方のこと疑っても、最終的には信じたんや……うーん……そんなキレイごとやないかもしれんな。最後まで、いやさっきまで、相方のこと疑ってたやつおるやろ。でも最終的にはこうおもうたはずや。
ここまで来たら、もう、こいつが裏切りもんでもええわ。
変な諦めみたいな気持ち、これがな、運命共同体ってことや。
相方とは運命共同体や」
そういうものらしい。
これは、漫才を職業として選んだ人でないと、本当の言葉の重みを感じられないだろう。学園祭で漫才をやったことがある、くらいではまったくわからない。そういう言葉だ。
漫才師にならなかった人たちは、そういうものなのだ、と傍から想像するしかない。
アスリートの心持ちを想像するファンのようなものだ。お笑い芸人は、いまや、少なくとも「M-1」の決勝に行くようなレベルの人たちは、日本においては、明らかにアスリートとして認められているようにおもう。
だから、こういう言葉も生まれるのだろう。
かように『最初はパー』は名言ドラマであった。
ジェシーと市川猿之助の漫才は、かなりおもしろかった。レベル高かった。
提供元:Yahooニュース

