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伊藤咲子は城みちると10代アイドル同士で熱愛 三木たかしに叱られながらも逢瀬を重ねた(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【シリーズ「光と影のアイドル群像」】#4
伊藤咲子 編
アイドルの登竜門「スター誕生!」は多くの歌手を輩出した。伊藤咲子(64)もそのひとり。同じスタ誕出身の城みちると恋に落ちたのは有名な話だが、10代のアイドルにとって当時、恋愛はご法度。どうやって熱愛に発展したのか……。
【写真】スタ誕!アイドル黒木真由美さん…その“華麗なる転身”ぶり
◇ ◇ ◇
♪誰のために咲いたの それはあなたのためよ~
15歳のとき、「スタ誕」で優勝。デビュー曲「ひまわり娘」(1974年)がそのままキャッチフレーズになり、アイドルの仲間入りを果たした。デビューは遅れたが、森昌子ら中3トリオと同い年だ。
ミニスカートと丸顔のルックスとはギャップのある歌唱力で、続く「木枯しの二人」「乙女のワルツ」もヒットし、76年には「きみ可愛いね」で紅白に初出場を果たした。
「サッコ」と親しまれた咲子が好きになったのは、「イルカにのった少年」(73年)で1年早くデビューした美少年アイドルの城みちる。熱愛は2人の人気絶頂時からスタートした。
きっかけは咲子が夏の旅行で顔が真っ黒に焼けてしまい、それを人づてに聞いたみちるが番組で共演した際、姉が持っている日焼けに効く塗り薬を手渡したこと。それまでは歌番組で「おはよう」くらいしか話したことがないのに、突然「これ、使ってごらん」と言われた。その時の様子を咲子は「『ありがとう、治ったよ』と返すと『だろ!』と。それから急接近ですよ」と、後に日刊ゲンダイで語っている。
咲子は、姉と暮らすみちるの部屋に遊びに行くようになる。忙しすぎて会えない時は番組で目くばせして気持ちを確かめた。一緒の仕事で地方に出かけた時はホテルの部屋の電話でデート。お互いが地方の場合はホテルから電話したが、長電話の料金はチェックアウト時に自腹なので、「今日は僕から」と交代でかけたという。
「君こそスターだ!」出身の石川ひとみは「携帯電話がなかった当時、アイドル同士の恋愛なんて無理だった」と語ったが、10代のアイドル同士の2人は知恵を絞って逢瀬を重ねた。
もちろん付き合っていることは知られてはいけないのに、咲子はみちるからもらった指輪を左手の薬指にはめていた。当時堀越高校に通う高校生。所属事務所オフィス・トゥー・ワンには「スタ誕」の審査員の作詞、作曲の先生もいた。そのひとり、三木たかしから「結婚してないのにおかしいよ」と注意されたが、「ハーイ、すみません」と軽く受け流し、言うことを聞かない。
■今も「同窓会コンサート」などで共演する仲
そして、ついに事件が起きてしまう。ショー出演のために浜松へ三木と行くことになったのだが、待ち合わせの事務所にやってきた咲子が指輪をはめていたのだ。それを見た三木が丸めた雑誌で咲子の頬を叩いた。
「ファンに夢を与える仕事をしているのに、指輪をしたままステージに上がるつもりか」
周りにいたマネジャーたちはア然。咲子は「何コレ? と思いました。親にも叩かれたことないのに」と怒り心頭。2人はその後、一切口を利かなくなったという。
もっとも10年後に偶然居合わせた新幹線の中で和解したそうだ。
だが、アイドル同士の熱愛は成就しなかった。
みちるは20歳になった78年に、いったん引退。大学に進み、実家の電器屋を継ぐために広島に帰郷し、2人は別れた。
咲子も実業家との結婚を機に89年に引退し、夫の勧めで31歳で飲食店をオープン。その後、41歳で子宮内膜症を患い手術、急性腎盂腎炎も併発、店も畳んだ。だが、「これから何を生き甲斐に生きていくんだろう」と失意のドン底の時にファンが作ったサイトの存在を知り、「きっとサッコは戻ってきてくれるよ!」という多くの書き込みを見て復帰を決意した。
2004年に芸能界復帰後は同窓会コンサートなどで「スタ誕」仲間と共演。城みちるも復帰し、今は同じ事務所に所属している。4年前の咲子のアルバムにはデュエット曲も収録された。ともに離婚、再婚を経験しているが、咲子は今も「みちるは心の友。心友(しんゆう)」と語る。
提供元:Yahooニュース

