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有力御家人・和田一族はなぜ挙兵したのか?(現代ビジネス)

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『頼朝と義時』(講談社現代新書)の著者で、日本中世史が専門の歴史学者・呉座勇一氏が、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送内容をレビュー。今回は、先週放送の第39話「穏やかな一日」、昨日放送の第40話「罠と罠」について、専門家の立場から詳しく解説します。
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『鎌倉殿の13人』の第39話では源実朝の苦悩、第40話では北条氏と和田氏の対立が描かれた。他の御家人を押さえつけ、将軍実朝をも蔑ろにして覇道を突き進む北条義時。ついに和田一族が不満を爆発させ挙兵する。歴史学の観点から第39・40話のポイントを解説する。 良く知られているように、実朝は和歌・蹴鞠などの王朝文化に傾倒した。実朝は後鳥羽院の従兄妹である坊門信清の娘と結婚し、彼女や侍女たちから京都での和歌の隆盛を聞いて、興味を覚えたとされる。
和歌をたしなむ御家人たちと歌会を開き、承元3年(1209)7月には自作の和歌30首を歌人として名高い藤原定家に送り、その評価を求めた(『吾妻鏡』)。
『吾妻鏡』によれば、北条義時は実朝の貴族趣味を快く思わなかったという。承元3年11月、義時は「弓馬の事(武芸)」を忘れないよう、実朝を諫めた。そこで実朝は、4日に小御所東面の小庭で、切的を射る競技を行った。和田常盛(義盛の嫡男)らの壮士が的を射た。
7日、負けた側が勝った側を酒宴でもてなしたところ、酔っ払って大騒ぎになった。この時、義時・大江広元は「武芸を重視し朝廷を守護していけば、幕府は長く安泰でしょう」と戒めたという。
また建暦3年(1213、12月に建保と改元)9月には、頼朝以来の御家人である長沼宗政が「今の将軍は和歌・蹴鞠ばかりに熱中して、武芸を疎かにしている。女性ばかり重用して勇士がいない」と批判している(『吾妻鏡』建保元年九月二十六日条)。こうした『吾妻鏡』の記述から、文弱で政治に無関心、厭世的な実朝像が形作られていった。
しかし、『吾妻鏡』は北条氏による幕府支配を正当化する歴史書なので、頼家・実朝に対しては否定的であり、その点は割り引いて考える必要がある。
そもそも和歌や蹴鞠は貴族社会で必須の教養であった。実朝は、和歌・蹴鞠を盛んに行っていた後鳥羽を理想の統治者とみなし、彼に倣ったのである。北条時房(義時の弟)・泰時(義時の長男)らも実朝の歌会に参加しており、義時が和歌を毛嫌いしていたとは考えにくい。
とはいえ、実朝の成長にともない、自らの政治的意思を発揮しようとする実朝と、引き続き政治の実権を掌握しようとする義時との間に、軋轢が生まれたのも事実である。
切的騒動の1週間後、義時は、自身に仕えている「年来の郎従」のうち、功績のある者を御家人に準じた地位にしてほしいと実朝に申請している。
御家人である義時の郎従は、実朝から見れば家来の家来、つまり陪臣にすぎない。その陪臣が御家人扱いということになると、義時の地位は一般御家人より明確に上になる。義時は自身の権威の拡大を狙ったのである。
実朝はこれを却下した。却下は義時にとって不名誉なことであり、北条氏顕彰の性格が強い『吾妻鏡』があえて記していることから、この逸話は事実であろう。
ただ、実朝の却下の理由は興味深い。陪臣を御家人扱いすると、後世において、当初の事情を知らない陪臣の子孫が誤解して、北条氏を飛び越して幕府に直接奉公しようとするだろうから望ましくない、というのだ。
義時の思い上がりを叱責するのではなく、北条氏にとっても不利益であると、義時の面目を立てた説得を行っているのである。劇中では和田義盛の上総介任官推挙問題への意趣返しのように描かれていたが、実際には実朝は叔父である義時への配慮を忘れなかった。実朝と義時は時に対立することがあっても、基本的には協調して政治を行っていたのである。
提供元:Yahooニュース

