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活動の場を東京に移して始まった地獄の日々 俺にとって東京は「頭狂」なのだ(とろサーモン久保田)(日刊ゲンダイDIGITAL)

【とろサーモン久保田の「玉手箱人生」】#7

 俺たちとろサーモンは2010年に活動の場を東京に移しましたが、もうどこから話していいかわからないくらい地獄の日々の始まりでした。

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 大阪では結果も残して結婚もしました。満を持しての東京進出です。嫁と犬と俺で寝台列車「サンライズ出雲」に乗って東京に出発した日のことはよく覚えてます。

 最初に住んだのは西東京市の田無。他の芸人たちが目黒やら新中野近辺に集まって住んでいることは知ってたけど、俺はお笑いの世界にあった派閥や軍団みたいな風潮に中指を立てていたので、仲よしこよしでやりたくなかった。地理を知らなかったこともあるけど、気づいたら田無に住んでましたわ。

 最初は穏やかな日々だったんです。大阪ではお笑いの世界で24時間ピリピリと戦っていたけど、こっちでは周りに芸人もいないし、それなりに貯金もあって余裕もあった。マンションの前にある小さな公園で遊ぶ子供を嫁が窓からニコニコ見ていて、その姿を横目に頭をかきむしりながらネタを書いてる俺。もちろん東京のお笑いで戦える自信もありました。

 ところが、そんな幸せな感覚はほんの一瞬やった。どんどん仕事が減って貯金が消えていき、気づいたら借金が増えて嫁も働きだした。

 理由ははっきりしてた。俺らがテレビにハマったきっかけは「スカし漫才」で、東京でもそればっかりやらされるわけです。当たり前ですわ。でも、やってる俺らはこの時点でとっくに飽きていて、もうそんなに面白いとは思ってないという葛藤があったんです。しかも普通の漫才をやると、スベるならまだしも、こっちの方がウケたりする。それでスタッフも俺らもどっちつかずになって結局、番組にも呼ばれなくなった。

 そういうのを見ていた千鳥の大悟さんや笑い飯さんの「おまえら、そればっかりやってたら、すぐ飽きられんで」っていうアドバイスもあって、ある時点でスカし漫才は完全に捨てました。確かにあのまま続けていたら一発屋みたいな感じで完全に消えていたかもしれません。今となっては間違いじゃなかったんだと胸を張って言えますね。

 それでも仕事が減っていく中で先の見えない日々は地獄やった。「ヤバい、どうしよう、もう手遅れなんかな」と焦っても出口は見えないし、大阪に帰る電車賃すらない。それでも自分は芸人だっていうプライドはあるから、辛うじて月に1回だけあったルミネの出番の日には楽屋に居座ってバキバキの目で狂ったようにしゃべり続けました。芸人仲間を笑わせることで、せめて自分が芸人をやってるんだって思い込もうとしてたんですわ。

 どんどん追い詰められた俺は携帯電話の電話帳を開いて片っ端から電話して、人脈を伝ってとにかく何でもやりました。石焼き芋を売ったり金持ちが飼ってる犬の散歩をしたり、六本木の店に呼び出されてケツにドンペリを入れられたり。ある酒席でボトルの酒を「3秒で飲んだら10万円やる」って言われたんで2秒で飲み干したら、「こいつ、怖えな」と金も置かずに帰られたり。

 あの頃のことを思い出すと、なぜか「山月記」(中島敦著)の虎が夜中にやってきて俺を丸のみにしようとする映像が浮かんできます。俺にとっての東京は頭が狂うと書いて「頭狂」でしたわ。

(聞き手=常松裕明)

提供元:Yahooニュース
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