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ひと足先にNSCに入った相方が別のヤツとコンビ組んじゃって「おまえ、裏切るんか」と【とろサーモン久保田の「玉手箱人生」】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【とろサーモン久保田の「玉手箱人生」】#4
相方の村田に誘われて一緒にNSC大阪(吉本総合芸能学院)の入学試験を受けたけど、俺だけが落ちてしまいました。だから、村田はNSC21期生で、俺は22期生なんです。
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そりゃあ、落ち込みましたよ。バッグ一つで宮崎から大阪まで出てきたのに最初の一歩でつまずいてしまったわけですから。NSCは名前さえ書ければ誰でも入れると言われてるけど、俺は集団面接で他の人の質問にもバンバン横から口出ししてたんで、それが「NSCはみんなが学ぶ場所でもあるから協調性のない人間はアカン」という理由で落ちたらしい。
それでも村田は「NSCは半年ごとに入学できるから、半年後におまえが受かったら俺も一回辞めて入りなおすわ」とか言ってくれて、俺も喫茶店とかでバイトしながら次のタイミングで入学するつもりやった。
ところが、俺がNSC浪人をしてる間に村田はどんどん先に行ってもうた。NSCは入学半年後に能力別にクラス分けされるんやけど、村田はトップの成績でAクラス入りして、別のヤツとコンビを組んじゃったんです。「俺、もうちょっとこのまま頑張ってみるわ。ごめんやけど、コンビ組む話はなしで」って言ってきて、そりゃあビックリしたし、「何やおまえ、裏切るんか!」ってなりますよね。
それで中ぶらりんになって、結局NSCに入ったのは1年後。それでも村田と仲が悪くなったわけじゃなくて、よくアイツの部屋に遊びに行ったりもしてた。俺が大阪に行ってからまず最初にぶち当たったのは自分が宮崎の田舎モンだというコンプレックスで、それまで気にしたこともなかったけど、宮崎弁のなまりが気になってどうしようもなくなったの。それで村田に大阪弁講座をやってもらった。村田も宮崎生まれやけど、小中学校と徳島県で暮らしてた時期があって、それなりに関西弁もしゃべれたんですわ。
ただ、夜にあいつの部屋に遊びに行くと、部屋の中から当時の相方とネタ合わせしてる声が聞こえてきたりしてね。なんかもう浮気されてる気分と言うか、そのままドアも開けずにコッソリ帰って、部屋で一人ネタを書いたりしてました。
ちょうどその頃に読んだのが子供の頃から好きだったビートたけしさんの本。あのたけしさんも浅草のストリップ劇場で下積みしてたって知って「よし、じゃあ俺もそういう場所に行ってトークを鍛えよう」と思い立って、夜のお店で働き始めたんです。まだ若かったせいもあるけど、焦りや悔しさみたいな気持ちはそんなになくて、それよりも夜の街でいろんな人間の姿を見るような生活が刺激的だった。後になって芸にも役に立ってるしね。
1年後にNSCに入ってからも村田は別のヤツとコンビ組んでるし、俺もフワフワしたまんま。しかもNSCの同期がまたエグかったからね。22期にはキングコング、ダイアン、NON STYLE、南海キャンディーズ、ウーマンラッシュアワー、スーパーマラドーナ、中山功太、なかやまきんに君と後にテレビに出たり賞レースを取るようなヤツらがゴロゴロおった。
結局、ちゃんと村田とコンビを組んで「とろサーモン」になったのはNSCを卒業してからのこと。ちょうど村田がコンビを解散して「田舎に帰る」って言い出したんで今度は俺から手紙を書いて口説いたんです。もっとも、その日の待ち合わせには大遅刻しちゃいましたけど。
(聞き手=常松裕明)
提供元:Yahooニュース

