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松原のぶえさん「腎臓をくれた事務所社長には本当に感謝」YouTubeで歌唱指導も【あの人は今】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【あの人は今こうしている】
松原のぶえさん(演歌歌手/61歳)
今から43年前、デビュー曲「おんなの出船」(日本コロムビア)をヒットさせ、1985年から7度、NHK紅白歌合戦に出場した松原のぶえさん。のびやかな力強い歌声を聴かせてくれた。2002年の離婚騒動、13年前の生体腎移植手術でも話題になったが、松原さん、今、どうしているのか。
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◇ ◇ ◇
松原さんに会ったのは、東京都内のとあるビルの一室。
「おかげさまで、すっかり元気です。腎臓移植をする前は、大好きなフルーツはダメ、塩分は控えめ、水もダメなど、あれダメ、これダメだったのですが、今は2カ月に1度通院してメンテしていただき、免疫抑制剤を飲み続ければいいだけ。グレープフルーツとスポーツドリンク以外は何をとってもよく、ついすっかり治った気になるほどですね」
松原さん、昔と変わらない張りのある声で、こう言って笑った。
■私には歌しかない
「移植したら、『昔の声に戻った』と言われます。自分では気付いていなかったのですが、移植前は2年ほど週3回、人工透析をしていたので、声にも影響が出ていたのでしょう。腎臓をくれた事務所の社長(松原さんの3歳年下の実弟)に、本当に感謝。私には歌しかありませんから」
移植後、約3週間で復帰。コロナ前までは年間約60本のコンサートを行うほか、“プロの卵”らに歌唱指導もしていたという。
「移植手術で右の下腹部を20~30センチ切ったので、最初はお腹に力を入れて歌うのが怖くて、『もしかしたら以前のようには歌えないかもしれない』と思ったんです。これから大会に出るという方に事務所のレッスン室で指導したり、こちらから出向いたりしていましたね」
料金は団体レッスンだと1人50分6000円、マンツーマンだと2万円。ぜひ一度はプロの指導をあおぎたい、という歌好きはたくさんいそうだ。
「でも、元気に歌えるようになったので指導する時間はあまりとれなくなり、コロナでさらに難しくなりました。代わりに、この5月からユーチューブで歌唱指導を始めたんですよ。フランク永井さんの『おまえに』とか、60代以上の方に人気の曲を取り上げています」
コロナはコンサート活動にもやはり影響した。
「ここ2、3年は、ほぼほぼ中止か延期でしたから、私は家からほとんど出ない状態でした。ただ、もともとインドア派なので退屈ではなく、むしろワンちゃんとたくさん一緒にいられたので、それはうれしかったですね(笑)」
■実は“テレビ命”
ワンちゃんは14歳のレディちゃんと13歳のプリンちゃんというトイプードル。都内で1人と2匹暮らしだ。
「実は、私は“テレビ命”。朝起きたら一番に2匹をベランダに出してあげたら、その後はテレビをつけ、地上波やBSをザッピングしていました。見るのはお笑いのネタ番組やドラマ。それらを横目で見ながら料理や洗濯、掃除・片付け、模様替え……。通販にハマってトランポリンや腹筋マシンなどの健康グッズをつい買っちゃって、結局たいして使わず人に譲ったりしていました」
こまめで家事が得意なようだが、再婚なんていう朗報はないのか。
■お茶を飲む相手がいればいいぐらい
「う~ん……たまに会ってお茶を飲む相手がいればいいな、というぐらいですね。お酒はまったく飲まず出歩かないので、出会いもありません。以前は趣味だったゴルフも、もう3、4年やっていませんし、仕事で出会うのは、妻帯者や自分の子どもぐらいの年齢の方ばかりですしね」
さて、大分出身の松原さんは中学1年から福岡のタレント養成所に通ってレッスンを積み、中3で演歌歌手・北島三郎の事務所「北島音楽事務所」にスカウトされ上京。高校3年生のとき、「おんなの出船」でデビューすると、日本レコード大賞新人賞など新人賞を総なめに。85年にはNHK紅白歌合戦に初出場した。
「若い頃は堂々と歌えたのですが、年々失敗することが怖くなって、うまく歌えるかなあ、間違えないかなあと不安を抱えながら歌うことが多くなっています。『おんなの出船』はとくにキーの幅が広いのでプレッシャーも強い。歌い終わった後も、あれで良かったのかな、リハーサルの方が良かったな、と思ってしまって、歌うことを楽しむ、という感覚ではないですね。だから、自分が出演した歌番組もあんまり見ないようにしています」
2002年、マネジャーだった夫と独立したが、翌年離婚。以後は実弟と二人三脚で活動してきた。
「独立後は、自分が矢面に立たないといけないので大変でした。後に北島先生にお目にかかったとき、『ずっとオレんとこにいた方が良かったんじゃないの?』と笑いながら声をかけてくださり、ありがたかったです」
7月6日、1年2カ月ぶりの新曲の幸せ演歌「春待ちしぐれ」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)をリリース。カップリング曲「冬蛍」は自身の作詞だ。
(取材・文=中野裕子)
提供元:Yahooニュース

