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【歌手引退】吉田拓郎、52年の活動を振り返ってみえた「日本音楽史のレジェンド」になれたワケ(週刊女性PRIME)

 吉田拓郎が年内で歌手活動を終了する。

「単独全国ツアー、大規模屋外コンサート、アーティストによる会社設立など、今ではごく当たり前のことを、日本国内で初めて行ってきたのが拓郎さん。また、中島みゆきさんや桑田佳祐さんをはじめ、米津玄師さんやあいみょんさんなど、さまざまなアーティストに影響を与えた日本音楽界のまさに“レジェンド”です。引退は残念という言葉しかありません」(音楽誌編集者)

【写真】吉田拓郎(当時26歳)と四角佳子の結婚式でみせたとびっきりの笑顔

 今年で76歳となった拓郎だが、突然の引退宣言はなぜなのか─。 拓郎は'70年に『イメージの詩』でデビュー。'72年には『結婚しようよ』がヒットして人気を博す。

「当時のフォークは、反戦などイデオロギー的な要素を含んだ曲が多かった。拓郎は“それがフォークだと言うなら、そのレッテルを外したい。俺は個人的な感情を、誰もが普通に思うことを歌いたいんだ”とよく言っていました」

 そう話すのは、拓郎のバックバンドを務めたフォークグループ『猫』の常富喜雄氏。

 個人的な思いを歌った拓郎はマイナーだったフォークという音楽ジャンルにスポットを当てて一変させた。

 時代の寵児となった拓郎だったが、大学時代の後輩である蔭山敬吾氏は、当時の意外なエピソードを明かす。

「'74年にアメリカで開催されたボブ・ディランとザ・バンドの公演を拓郎さんと見に行きました。どんなライブをするのか純粋に興味があったんでしょうが、拓郎さんはその演奏力やパフォーマンスを目の当たりにして“俺には同じことをするのは無理かもしれない……”とそうとうショックを受けていました」

 圧倒的な存在に打ちのめされたが、立ち上がる。 '74年12月には楽曲提供をした森進一の『襟裳岬』がレコード大賞を受賞。プロデューサーとしての手腕も発揮していく。前出の常富氏は、

「僕たち『猫』も拓郎プロデュースですが、『雪』という曲があります。これは拓郎が自分のアルバムに入れた曲なのですが、“アレンジが気にいらないから君たちでもう一度歌ってくれ”と言われてリリースしたら、ヒットしたのです。本当にセンスのある人だと思いました」

 '77年にはセルフカバーアルバムを発売する。

「拓郎は自身が提供した楽曲を、自分で歌ってアルバムを作るというのです。最初は何を言っているのかと思いましたが、このカバーアルバム『ぷらいべえと』がオリコン1位を獲得し、大ヒットを記録します。これも拓郎のプロデューサーとしての資質を見事に発揮した出来事でした」(常富氏、以下同)

 拓郎は、'99年に自らが設立に携わったレコード会社を離れた。

「長く在籍して吉田拓郎というアーティストのイメージが固まってしまった。だからこそ“新鮮な人に自分を料理してもらいたい”という思いがあったのです」

 新しいものを追い求めてきた拓郎だったが、引退を決めた理由はなんだったのか。

「彼の最大の魅力は言葉と声ですが、それが思うように出なくなったからではないでしょうか。4年前ぐらいから、拓郎の声質が明らかに変わっています。彼は今も、自分の声だとは思っていないんじゃないかな」

 6月27日にはラストアルバムが発売されたが、

「今回のアルバムも、とても面白いし完成されている。ただ、そこに吉田拓郎というものがどれだけ出ているのかというと……。拓郎は“もっとできるはずだった”と感じていると思います。プロデューサーの資質が非常に高い男ですから、思うように歌えていない自分をこれ以上はプロデュースできなくなったということだと思います」

提供元:Yahooニュース
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