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セックスの時に相手を“消費”していた 自分本位の性欲と罪悪感(朝日新聞デジタル&[アンド])

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『野ブタ。をプロデュース』などで知られる小説家・白岩玄さん。3歳と0歳の二児を育てながら、新しい父親像を模索するなかで感じたことを思いのままにつづります。自分と同じように、親として悩みや葛藤を抱えるパパたちに呼びかけるように――。自慰を覚えたのは中学3年生の頃だった。ぼくはエロ話が飛び交わない女家族で育った上に、中2くらいから同級生たちが口にするようになった下ネタにもなじめなかったので、性的なことにかんする詳しい知識を仕入れたのが遅かったのだ(当時はインターネットもまだ普及していなかった)。そのため、男友達がエロ話で盛り上がっているときも、わかったような顔をして笑っていたのだが、あるとき、ぼくの受け答えがどうも曖昧(あいまい)なことを怪しんだ同級生が、ぼくが自慰の仕方を知らないのを見抜いて、「おまえ、それはさすがにやばいぞ」とやり方を教えてくれた。ぼくはその日、初めて自慰行為に及んだのだが、やはり慣れていないだけあって、なかなかイケなかったのを覚えている。
それ以来、ぼくは性欲を持つごく一般的な男性として定期的に自慰行為をしてきた。こんなことをあけすけに書くのもどうかと思うが、別に悪いことではないし、自分の性欲とうまく付き合っていくためには必要だったのだ。そしてもちろん、自慰行為をする際には、性的興奮を高めるための「おかず」が不可欠だった。ぼく自身がAVやエロ本やエロ画像などで消費してきた女性の数は、(あまり考えたくはないが)それなりの数になるだろう。
ただ、そうしてアダルトコンテンツに親しんできたことで、ぼくは画面や紙の向こう側にいる女性の体を消費することに、罪悪感を持たなくなってしまったように思う。本来なら、そこで裸(や裸に近い格好)になっている女性も、ぼくと同じ尊厳を持つ一人の「人間」であるはずなのだが、そうしたことは考えずに、単に自分の性欲を満たすための「モノ」として見てしまうわけだ。
もちろん、アダルトコンテンツというものは、そういったことができるから商品になっているのだが、問題は、その自分本位な感覚が、知らず知らずのうちに身近な女性にも適用されてしまうことだ。特に、普段はそうじゃなくても、性欲が湧いた途端に回路が切り替わり、まるでアダルトコンテンツを見るように、目の前の女性が自分の性欲を高める「モノ」へと変わってしまうように思える。
実際、ぼくは20代の頃、そのことにずっと罪悪感を持っていた。当時付き合っていた彼女とセックスをする際も、ぼくはどこかで、アダルトコンテンツを消費するように彼女を「消費」していたと思う。そこに至るまでの時間、たとえば食事をしたり、くだらないことを話したりしているときは、彼女のことを自分と同じ人間として見ることができているのだが、いざ行為が始まって性欲が高まっていくと、相手の胸や尻が、アダルトコンテンツで見たものと同化していってしまうのだ。そうなるともう、セックスの相手が彼女である必然性が薄まるというか、目の前にあるのが欲情できる女性の体であることの方が重要になって、その人の体を、他でもないその人の体として抱く、ということが難しくなってしまう。
提供元:Yahooニュース

