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支払いは映画会社持ちが当たり前の時代に… お代を自分で払った“生意気少女”美空ひばり(夕刊フジ)

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【あの人も愛した 京ぎをん浜作】
女優で最も浜作に通ったのは田中絹代だ。田中は別格で「女優で『先生』と呼ばれていたのは田中絹代先生だけ」と当代森川裕之さんもいう。
初回で触れた『偽れる盛装』に主演した京マチ子は大映の永田雅一社長とよく訪れた。ある時、永田ラッパの秘書が来て「うちの社長が今晩来ますが、座席の準備が…」と言うので、初代は「あんたの社長がうどん屋の2階に下宿してた時分から知ってるから心配せんとき」と丁重に追い返したという逸話もある。
山田五十鈴も若い時から来ていた。後に当代が帝劇の楽屋にあいさつに訪ねると「パパ(初代)にはお世話になりました」と何度も言われたという。
初代をパパと慕う女優は多かったが、森光子は東京に出る際に保証人に初代がなるほどだった。後年、南座公演の折、森は浜作を訪れ軽く食事をとった。翌日、当代は水ようかんを持って楽屋を訪ね、初代のこと、2代目のことを懐かしく語った。それが森の最後の南座公演となった。
男優も監督も、初代は映画人からはお代を受け取らなかった。ひいきにしていた新国劇の辰巳柳太郎や島田正吾も同様だった。新藤兼人も入り浸ったが、「亡くなるまで先生からは1円もいただきませんでした」と当代は笑う。当時は映画全盛期で、スターも支払いは映画会社持ちだった。中には「○○という作品でツケておいてくれ」と言って、後から会社に問い合わせると「そんな映画はありません」ということも。自分で現金で払ったのは『幕末太陽傳』の川島雄三監督だけだったという。
映画会社持ちにしなかったのがもう1人。あるとき、1人の少女が浜作を訪れて、「鶴田浩二のお兄ちゃんがおいしいと言っていたのと同じふぐが食べたい」と言い放った。お代は母親が払っていった。その生意気そうな少女、美空ひばりはその後も浜作に通うことになる。
映画関係者が浜作を使うのは、撮影後ばかりではなかった。当代は大学時代に通った裏千家の東京道場で、作曲家の黛敏郎から、妻の桂木洋子と最初にデートしたのも、松竹の城戸四郎社長に結婚を直談判したのも浜作だったと聞いた。城戸は松竹歌劇団出身で売り出し中の桂木の結婚には反対だったが、結局納得したのも浜作の味のおかげか。
■大野裕之(おおの・ひろゆき) 脚本家、演出家。1974年、大阪府生まれ。京都大学在学中に劇団「とっても便利」を旗揚げ。日本チャップリン協会会長。脚本・プロデュースを担当した映画に『太秦ライムライト』(第18回ファンタジア国際映画祭最優秀作品賞)、『葬式の名人』。主著に『チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦』(岩波書店)など。
提供元:Yahooニュース