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【前編】毒家族に生まれて ~エルヴィス・プレスリー一族を孫の代まで呪った母と息子の相互依存~(ELLE ONLINE)

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親のため極貧生活から這い上がり、世界中でその名を知らない人はいないほどの伝説的スターとなったエルヴィス・プレスリー。ロックンロールの“KING”の親は、愛という名の依存を息子に植え付け、その呪いは3代先の孫の自死に繋がる。「お金を稼いでパパとママを楽にしてあげる!」
エルヴィス少年は3歳でこう宣言したと、まことしやかに伝えられている。その真偽は別にして、1935年生まれの彼が吹けば飛ぶような木造の平屋で送る極貧生活から親を脱出させるために自分の稼ぎを使っていたことは、よく知られたこと。
父ヴァーノン・プレスリー(写真右)は5人兄弟の一番上の長男として一家を幼い頃から支え、大工、トラックドライバー、牛乳配達などで生活していたが、どれも長続きしなかった。職業訓練を受けられなかったせいもあるが、それには理由がある。
それはたった17歳と10日での結婚。妻グラディス(写真左)は4歳年上で成人していたが、同じく9人兄弟の苦しい家庭育ち。日々の糧を手にするだけで精一杯だった。グラディスの結婚がよくある生存のための選択肢だったことは明らかだが、夫の収入だけでは食べていくことすらままならなかったため、内職で得た僅かばかりのお金でなんとか息子を育てていた。3歳という年齢には疑いの余地があるとしても、子どもが「親を食べさせる」と「わざわざ発言する」行動には一定の奇妙さを感じる。庇護されるはずの子どもが、庇護する側として自分の存在を確認するには、両親の「自分たちのために働け・稼げ」という訓えがなかったと考えるほうが不自然だ(それがあからさまなものだったか、仄めかしだったのかは不明だが)。ハイスクール卒業後は父と同じようにワーキングクラスのいち労働者として働き始めたエルヴィス。黒人社会と隣り合う少年時代を送った彼は、「まるで黒人のように黒人の歌を歌える白人」として目を付けられ、20歳で自身のレコードを録音する。するとその声、そして女性的な目鼻立ちと柔和さに男性的な輪郭と体つきを合わせもった不思議な魅力で、すぐさま若い女性ファンが急増。21歳でツアーを回る頃にはアメリカ中で歓声が起こるスターになっていた。
(写真)1954年ルイジアナのショーにて
提供元:Yahooニュース