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トワ・エ・モワ “50年”の足跡まとめた大全集「心豊かに」(産経新聞)

昭和44年に「或(あ)る日突然」で世に出た男女デュオ、トワ・エ・モワが、その活動をまとめた大全集「FOLK&POP」を出した。CD6枚に「誰もいない海」や「虹と雪のバラード」(札幌冬季五輪のテーマ曲)など133曲を収めた。わずか4年で解散した後、24年ぶりに再会して再び活動を始めてからは歩みを止めていない。50年の足跡を2人が振り返る。(石井健)
トワ・エ・モワは、芥川澄夫(72)と白鳥(当時は山室)英美子(70)の2人組。
「トワ・エ・モワは仏語で“ちょっとワケありのあなたと私”といった意味。当時の僕のマネジャーが、行きつけのスナックの名前から拝借したんだけど、いい名前だよね。知的でおしゃれ。年を取らないというか」と芥川が笑って明かす。
白鳥も「仏語のグループ名は珍しかった」とうなずくが、デュオを組んだのは当時所属していた渡辺プロダクションの渡辺晋社長のアイデアだった。2人はその提案を断っていたが、「なんだか分からないうちに」(白鳥)デビューすることが決まっていた。
だが、デュオを組ませた渡辺社長の眼力は確かだった。デビュー曲「或る日突然」は大ヒットした。芥川は、「あれが当時の“ナベプロ”の実力」と振り返るが、同時に「若者にとって価値のあるものを探そうという時代の“風”の中にトワ・エ・モワはいた」と分析する。
芥川によるとNHKの番組に初めてジーンズ姿で出たのはトワ・エ・モワだった。白鳥は「当時、ジーンズは汚れた格好とされていたけど、トワ・エ・モワは爽やかだからと認められた」という。
だが、トワ・エ・モワは4年で活動に終止符を打った。「ものすごく忙しくて、このままやっていけるのかしらと2年ごとの更改のたびに悩み、3度目は契約しなかった」と白鳥が説明する。
2人は歌手を辞めた。白鳥は保育士を目指したが、結婚し渡米。再び歌に目覚め、52年に歌手復帰を果たす。芥川はレコード会社のディレクターに転身し、岡村孝子を世に出し、「夢をあきらめないで」などのヒットを放つ。
長野冬季五輪を翌年に控えた平成9年、2人はトワ・エ・モワとしてNHKの歌番組で「虹と雪のバラード」を歌うことを請われた。芥川は迷ったが、「断ったら後悔する」と決断し、トワ・エ・モワは24年ぶりに本格的に復活。活動を再開し、昨年は“デビュー50周年”も無事に通過した。今年の春はコンサートやイベントで忙しくしているはずが、新型コロナウイルスの影響で予定は狂った。
だが、2人は元気だ。
白鳥は、「私たちは『戦争を知らない子供たち』と呼ばれ、青春を謳歌(おうか)した世代。それが、ここへきてこのような事態に直面し戸惑いはありますが、こんな機会だからこそできることを思案し、実践することで毎日忙しくやっています。心を豊かに保ち、よい方向に向かうよう頑張りましょう」とコメントを寄せた。
提供元:Yahooニュース