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オスマン・サンコンさん 第3夫人との“通い婚”にボランティア活動も熱心に(日刊ゲンダイDIGITAL)

「イッコーン、ニコーン、サンコーン」のギャグで一世を風靡。アフリカ人タレントのパイオニアとして知られるオスマン・サンコンさん(71)だ。2年前、演歌・シャンソン歌手の北山みつきさんを第3夫人に迎えて話題になった。さて、今どうしているのか?
◇ ◇ ◇
「自粛期間が長くて本当に参ちゃったね。講演会とかイベントのゲスト、数え切れないほどキャンセルになりましたから。緊急事態宣言がようやく解除され、今はホッとしているところです」
江東区内のカフェ。サンコンさんはこう言って白い歯を見せた。
お隣には第3夫人の北山さんがピッタリと寄り添っている。
「油断はできないけど、すでに峠は越えたんじゃないかな。日本人はもともと清潔好きだし、生活環境もいい。勤勉で真面目だから、ほとんどの人が率先して自粛を守ったのもよかった。もちろん、医療関係の皆さんの頑張りも見逃せないね」
人口約1200万人の母国・ギニアも新型コロナ禍と闘っている。25日現在、感染者数は3067人で死者は19人だ。
「ギニアでは2012年にMERS(中東呼吸器症候群)、13年から14年にかけてはエボラ出血熱で大勢の人たちが亡くなりました。エボラの時は、今話題になってるアビガンのおかげで克服できたんです。だから今回の新型コロナも近い将来、新しいワクチンができて、全然怖くなくなると思います」
楽観視する一方、生活保障が少ないと感じている。
「これから本当に生活が厳しくなる人たちがたくさん出てくるでしょう。特にお子さんを抱えている家庭、ましてやシングル家庭の中には食事もままならないとも聞きます。子供は将来、日本を背負って立つ国の宝物。もっと大事にしてほしいですね」
■2年前、歌手の北山みつきさんを第3夫人に
ところで、北山さんとの関係は?
「5年ほど前に別々のグループで銀座で出会ったのがなれ初めね。で、みつきのシャンソンライブを聴きに行って仲良くなったんです」
結婚発表から間もなく2年になるが?
「婚姻届は日本の法律の問題でまだなのね。だから今は、“サンコン通い婚”。アハハハ」
さて、サンコンさんはギニア西部にあるボッファの生まれ。
同国の東大に当たる国立コナクリ大学卒業後、フランス・ソルボンヌ大学に国費留学して1972年にギニア労働省に入省。同年、外務省へ転籍し、ギニア大使館の1等書記官として来日した。
「最初、日本語は全然話せなかった。で、アフター5に御茶ノ水にあるアテネ・フランセで日本語を学びました」
話せる言葉は、ギニアのスースー語、フランス語、英語、スペイン語、イタリア語、そして日本語。全部で6カ国語!
「でも、今でも漢字は苦手(笑い)」
日本に約8年滞在。米・ワシントンのギニア大使館勤務を経て84年に再来日した。
「当時、日本人女性と最初の結婚をしていて、長男の出産に立ち会うためね。外務省?休職しちゃったよ」
その際に受けたのが「笑っていいとも!」のオーディション。
「合格するなんて思ってなかった。でもプロデューサーが、外交官という肩書を見て即決。これがホントの外交官特権ね。アハハハ」
外交官と聞くと上から目線のイメージがあるが、サンコンさんは真逆。いつも絶やさぬ笑顔と天然ボケが大ウケして大ブレーク。「イッコーン、ニコーン、サンコーン」のギャグが代名詞だ。
「ありがたいよね。今でも講演会で『イッコーン』というと、お客さんが続けて唱和してくれるから。僕の大きな財産ね」
一方、ボランティア活動にも熱心だ。
「最初は個人で衣服、文房具、ランドセルなどを送ってた。そしたら応援してくださる方がたくさん現れ、2000年にギニア日本交流協会をスタートさせました」
また、11年3月の東日本大震災には直後から被災地へ。その後も大規模災害が発生するたびにボランティアを行ってきた。
この5月15日には、北山さんが住む神奈川県藤沢市に2500枚のマスクを寄贈したばかり。
「大好きな日本にお世話になって48年。僕が好きな言葉が『義理と人情』なの。世の中、持ちつ持たれつよ」
(取材・文=高鍬真之)
提供元:Yahooニュース