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梨本勝という名物レポーターも誕生 70年代「芸能メディア」は戦国時代に【芸能記者稼業 血風録】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【芸能記者稼業 血風録】#8
芸能ニュースを語るのに欠かせないのがワイドショーの存在だ。そのルーツは1964年にスタートした日本教育テレビ(現・テレ朝)の「モーニングショー」だった。当日の芸能記事を紹介するだけだったが、主婦の関心は高かった。翌年には同局で「アフタヌーンショー」を開始。視聴率不毛地帯と呼ばれた時間帯を開拓する先駆者的な番組になった。
フジの「小川宏ショー」、2年後には日テレが「2時ですこんにちは」と続き、朝、昼とワイドショーがテレビ界を席巻するようになった。
「主婦は政治や経済よりも関心を持つのは芸能人。熱愛や結婚は誰にもわかりやすく単純。女性誌が芸能を多く取り上げていたことから、テレビも着手し、芸能に精通したスタッフを置くようになった」(元テレビ局員)
スタッフのなかにはスポーツ紙や週刊誌から転身する者もいたがテレビに出て直接、解説できる人が必要となった。
1976年に「アフタヌーンショー」が初めて芸能リポーターとして「ヤングレディ」の記者だった梨元勝(故人)を起用した。
■話なら梨元
「取材結果を報告すると表情豊かにわかりやすく話すのがとにかく面白い。そのまま原稿にさせるとまったく面白くなくなってしまう」(元同僚)
たまたま番組から単発の出演依頼を受けた編集長が「話なら梨元」と推薦。水を得た魚のようにしゃべる梨元氏は番組で高評価され、週刊誌から転身することになった。 これを機に他局もワイドショーと芸能リポーターを強化。日テレは石川敏男、フジは「女性自身」出身の前田忠明、テレ朝には「女性セブン」出身の福岡翼(故人)も加わった。全員、女性誌出身者。芸能に特化した取材実績を買われたものだが、年間契約の形でギャラを保証されていた。
女性誌、スポーツ紙記者に、口達者な芸能リポーターも加わり、芸能メディアは同業他社が入り乱れ戦国時代に突入。それぞれ取材に対するアプローチが違うなど、現場や会見場は場所の取り合いで、取材前から罵声が飛ぶほど殺気立っていた。
顔なじみになる芸能記者同士も、時には和気あいあいと酒を酌み交わしながら情報交換することもあれば、裏では足を引っ張るなど駆け引きが熾烈だった。内緒の話が漏らされるのは当たり前。時にはこちらの情報を取材対象者に教える人もいた。まさに油断も隙もない。情報の流れる速さも芸能メディアならでは。ある実験をしたことがある。
「〇〇に離婚の噂がある」と根拠のない未確認情報を知り合いの記者に流す。すると回り回って1週間もしないうちに別の記者から「○○に不倫相手ができて別居状態という話がある」と尾ヒレが付いて戻ってきた。それほど芸能ニュースに活気があった。 (つづく)
(二田一比古/ジャーナリスト)
提供元:Yahooニュース