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瀬戸内寂聴さんが考えていた恋愛と自己責任。17年密着した映画監督・中村裕さんが語る本当の顔とは(ハルメクWEB)

昨年惜しまれながら亡くなった瀬戸内寂聴さん。生誕100年にあたる2022年5月に、17年間寂聴さんに密着してきた中村裕監督によるドキュメンタリー映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」が公開されました。寂聴さんの知られざる素顔とは。寂庵の、身内だけが使う生活感のあるダイニングキッチン。そこで楽しそうにお酒を飲んで笑っている寂聴さん、お肉をほおばる健啖家の寂聴さん。次に書きたい作品の構想を語る寂聴さん。仕事の失敗の悔しさに顔を覆って泣く寂聴さん。

ドキュメンタリー映画「瀬戸内寂聴 99年生きて思うこと」には、私たちが知らない「瀬戸内寂聴」がいます。監督の中村裕さんは、晩年の17年間、瀬戸内寂聴さんのすぐ近くで、表の顔も心の顔も、見て撮ってきました。

中村さんは映像、とりわけドキュメンタリー番組を数々作ってきたベテランディレクターで、出会った頃は40代半ば、寂聴さんは82歳。

「寂聴先生はとても活力にあふれていて、第一印象は怖いくらいでした。初めて仕事でご一緒させていただいてから割と早い段階で、僕の身の上話、結婚の失敗や恋愛の失敗などを根掘り葉掘り逆インタビューされまして、それが先生には面白かったようです」

それから中村監督は、寂聴さんから寂庵にたびたび呼ばれるようになります。寂聴さんといくつかの番組を製作したのち、「私が死ぬまでカメラを回して、何か作りなさい」と求められたのが2009年頃だったそう。中村監督が見てきた寂聴さんを、いくつかのキーワードでひも解いていきたいと思います。
まず始めが、「好奇心」。

「寂聴先生は、好奇心の塊のような人でした。なんでもやってみないと気が済まないようなところがおありで、例えばケータイのメール。僕を相手にして練習してたんでしょう、イラストや絵文字やいろいろとデコレーションしたメールを送ってきて、驚きました」

世の中の動きにも敏感で、反戦や反原発の活動に参加するために京都からはせ参じることもたびたびありました。

そして「恋愛」。

「人間が一番成長するのは、本でも学問でもない、恋愛だ、というのが寂聴先生の信条でしたから、生涯恋愛は大事、とおっっしゃっていましたね。映画の中でも出てきますが、『恋愛は雷のようなもの、恋愛の雷は打たれた方がいい』の言葉も、先生らしくて。ただし誰かを不幸にして幸せになることはあり得ないと、付け加えることも忘れませんでしたね」

「恋愛に年齢は関係ない」とおっしゃっていた寂聴さんは、中村監督を「裕さん」と呼び、「晩年に裕さんがいてよかった」と映画の中でつぶやいています。二人の関係は、恋愛のそれだったのでしょうか。

「数年前に一度、僕の存在は何なのか、寂聴先生に聞いてみたことがあります。肉親みたいなものじゃない?とおっしゃったけれど、僕は肉親に何でもあけすけに話しませんから『男女の関係だと思っています』と申し上げました。ラブレターのようなものをいただいたこともあったので。そうしたら先生、『へえ、好きになってたんじゃない、その頃』と。まあ、結論は出ていないんですよ(笑)」

好きになってたんじゃない――。映画の中で、寂聴さんはとぼけた表情でそう語っていました。見る人によっては、その気持ちは今もあるのでは、ととれるかもしれません。

「ある種の愛情、を持ってくれていたことは確かなんです。僕によく『かわいそう、かわいそう』っておっしゃっていましてね。独身で、傍に愛する人がいないことが、寂聴先生にとっては“かわいそう”なのでしょう。『誰でもいいからいい人見つけなさいよ』『お坊さんがそんなこというもんじゃありません』『今のは小説家が言っているんです』なんて会話もしました。

そういえば、婚約しようと思っていた女性と別れたとき、寂聴先生は立派なこたつセットを贈ってくれました。あたため合う相手がいない、ぬくもりがないまま冬を越すのは不憫でならないようで。こたつセット、今も使わせてもらっています」

提供元:Yahooニュース
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