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芸能史に残る山口百恵「引退コンサート」の武道館最終公演(日刊ゲンダイDIGITAL)
【芸能記者稼業 血風録】#3
山口百恵 編(3)
◇ ◇ ◇
山口百恵の結婚発表は祝福ムードに包まれる一方で、引退には「なぜ」と惜しむ声が続出していた。芸能史を見ても、トップを走っていた女優が結婚を理由に引退の例はほとんどない。かつて独身を貫く女優の生き方を映画関係者から興味深い話を聞いたことがある。
「女優が結婚と仕事をてんびんにかけた時、結婚すれば、築いた女優の座を失うことになる。結果、結婚を諦めて仕事を取る」
百恵はまだ女優としての伸びシロを誰もが期待していた。取材ノートにはこうある。
「父親を知らずに育った百恵は両親が揃った明るくて楽しい一家団欒に強い憧れを持っていた。夫を仕事に送り出し、帰りを待つ自然な家庭。その為に両立ではなく、家庭に入ることを選択した」
単なるわがままにならないように、百恵は最終到達地点を結婚に合わせるように仕事に邁進していた。
「百恵は事前に事務所に相談するなど、きちんと芸能界のルールを守った。引退までのレールをつくった事務所に従い最後まで務め上げた。“立つ鳥跡を濁さず”でした」と評価する芸能関係者もいた。
最後の引退コンサートは各地で盛り上がりを見せた。そして迎えた10月5日、武道館での最終公演。百恵はラストソングの前に観客に向かってこう挨拶した。
<私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります>
最後の歌唱曲「さよならの向う側」は数々の百恵のヒット曲を作ってきた作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童の夫妻によるものだった。永遠の別れを告げるようなスローバラードの曲を歌い終えると、真っ白なマイクをステージ中央に置いて舞台を降りたのは、今も人々の記憶に残る名シーンとなった。
百恵の芸能活動引退は10月15日のホリプロ20周年記念式となった。歌手生活ラストソングは「いい日旅立ち」。作詞・作曲、谷村新司。結婚する百恵の心情を表現した歌詞はやがて国鉄のCMにも使われ、歌い継がれている。
実質、7年半の芸能活動。21歳での引退だった。結婚式は11月19日、赤坂霊南坂教会。仲人はドラマで多く百恵の父親役を演じた宇津井健夫妻。披露宴は東京プリンスホテルに招待客約1800人。メディアも高ぶりを感じるほどだった。
地方の番組も多く取材に来ていた。芸能人の挙式取材は不慣れ。直撃取材は尻込みしていたが、苦肉の策を講じる地方のラジオ局もあった。ホテル玄関前に到着する芸能人たちを実況生中継した。
「見たこともないようなシルバー色の左ハンドルの車です」「全身ミキモトパールのような豪華な装飾品」と古舘伊知郎口調で来賓客を伝える。東京のメディアには考えつかない発想に周囲も爆笑。
そんな珍現象も生まれた披露宴だった。=つづく
(二田一比古/ジャーナリスト)
提供元:Yahooニュース