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中国・大連生まれ、大阪育ち…水間ロン「中国を嫌っていた」少年時代 国境超えて葛藤が消えた(夕刊フジ)
「夏は日本で過ごし、冬には台湾へ飛んで行く…。国境など関係のない燕は、日本と中国、2つの祖国を持つ僕に似ているなと、この映画に出演して思いました」
流暢な中国語で中国人役もこなす国際派俳優はしみじみと語る。中国残留孤児の日本人の父と中国人の母を持つ。中国・大連で生まれ、大阪で育った。
初の主演映画「燕 Yan」(6月5日公開)では、日本人の父と台湾人の母の下、台湾で生まれ、日本で育った青年、早川燕を演じた。
建築設計事務所で働く燕(水間ロン)に突然、父(平田満)から連絡がくる。「これを台湾にいるお前の兄へ届けてほしい」。事業で失敗し借金を背負った父は、長男に迷惑をかけないよう相続放棄の書類を燕に託す。気が進まないまま燕は台湾へ出発するが…。
父は台湾赴任中に台湾人の母(一青窈)と結婚。兄と燕が生まれ、日本へ帰国。だが、日本語が話せない母は日本の生活になじめず、兄を連れて台湾へ戻る。燕は母に捨てられたと思い、台湾を憎んで育つという物語だ。
「僕は生後数カ月で日本へ来ました。家での両親の会話は中国語。友人たちの家族となぜ違うのかと悩み、燕のように中国を嫌っていました」
映画好きの両親の影響で、幼い頃から俳優に憧れて育った。「両親ともにジャッキー・チェンのファン。俳優になりたいと話したら、大学だけは卒業してくれ、と言われました」。大学時代はオーディションの度に新幹線で東京へ通った。
上京後、人気ドラマや映画の話題作にコンスタントに出演。中国語を武器に、中国人役を演じる機会も多い。
「でも、中国語を話せるようになったのは18歳の頃からなんですよ」と打ち明ける。
きっかけは第2次大戦で満州に出兵した祖父が、終戦後、シベリア抑留されていた話を知ったことだった。
「祖父のルーツをたどろうと初めて中国を1人で旅しました」
旅の途中、現地で触れ合う人たちと中国語で話すうちに、自分の存在のちっぽけさに気付かされたという。
「国境の壁など関係ない。そんなことはどうでもいいことではないか、と吹っ切れました」
以来、中国語を猛勉強し、何度も1人旅で中国各地を訪ね歩いてきた。
今作で燕の実母役を演じた一青窈も幼少期、台湾で育った。2つの国を祖国とし、歌手、俳優として活躍する2人の人生と映画のテーマとが重なり合う。
劇中、幼い燕が泣きながら母に言う。「日本人のママがいい」と。
「実は幼かった頃、僕も母に同じ言葉を言ったことがあるんです。母を傷つけたことに、今でも心が痛みます」と心情を吐露した。
映画は3月に開催された大阪アジアン映画祭で日本初上映された。会場の映画館の客席には、大阪の実家から駆けつけた父と母の姿があった。
「母の感想ですか? 特に何も言われませんでしたよ」と照れたが、主演俳優としてスクリーンに映る息子の姿を、母は誰よりも喜んで見ていたに違いない。
映画はほぼ高雄で撮影された。台湾の俳優たちと交わすセリフは中国語だ。
昨年、台湾の高雄映画祭に正式出品され、ゲストで招かれた。「もちろん舞台挨拶は中国語。台湾の映画ファンは温かく迎えてくれました」
メガホンを執ったのは長編初監督となる今村圭佑。今年の日本アカデミー賞で話題をさらった「新聞記者」や人気ミュージシャン、米津玄師らのミュージックビデオの撮影監督を務めた新鋭だ。
今作の準備のため、今村監督と2人で台湾全土を周った。今村監督は「彼がいなかったらこの映画は撮れなかった」と感謝を込め、たたえた。
国境を軽々と越える燕のように…。新時代の国際派の活躍に要注目だ。(ペン・波多野康雅、カメラ・薩摩嘉克)
■水間ロン(みずま・ろん) 1989年10月28日生まれ。30歳。中国大連市出身。生後すぐに家族で来日。大学卒業まで大阪で過ごす。2015年、「色あせてカラフル」で映画俳優デビュー。同年、「孤独のグルメ」(テレビ東京)、翌年、「水族館ガール」(NHK)などドラマに出演。映画の近作は「マスカレード・ホテル」(19年)、「パラレルワールド・ラブストーリー」(同)など。18年から北京に拠点を構え、日中で俳優活動を展開している。
提供元:Yahooニュース