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ブルース・シンガー、HORIKEN 咲かせたぜ“65年の花” 『徒花は咲いたか』でメジャーデビュー(夕刊フジ)
65歳でメジャーデビューを果たし、新たなステージに踏み出したのだかただ者ではない。
「本名が堀憲輔だからホリケン。幼稚園のころからそう呼ばれているから、ネプチューンのホリケン(堀内健)よりも俺のほうが長いよ」と豪快に笑う。
注目のメジャーデビュー曲『徒花(あだばな)は咲いたか』(ユニバーサル)は2017年にインディーズで発売していた曲のカップリングだ。心にしみる歌詞としぶい歌声の動画がバズったことで、一気にメジャーへの道が開けた。
「今までインディーズでずっとやってきて、まさかこんなことになるとはね。でも今はドキドキワクワクしていますよ。65歳でこんな思いができるなんて」
作曲は『吾亦紅』の杉本眞人、作詞は山口カラス。山口カラスとは実は女優、烏丸せつこのペンネームというからまた驚く。都会で闘ってきた男の静かな晩年を描いた歌詞が心をえぐる。
「俺と同年配や先輩なら、この思いが伝わるだろうけど、若い人にはわからないかも。だけど誰だって年は取る。年を取ったら、この思いが分かるようになると思うんだよね。男のスタンダードナンバーになればいいなと思ってますよ」
《ドがつく田舎で育ってよ 新聞配達させられて》という歌詞に自分を重ねる。
「俺も中学生のころ、新聞配達したもの。欲しいものがあるなら、自分で稼いで買えって、父親から言われてさ。新聞配達して、ドイツ製のマイクとマイクスタンドを買ったんだよねえ」
群馬県安中市に生まれ育った。ベンチャーズのコピーバンドをやっていた4つ上の先輩たちに憧れて、彼らの練習場に入り浸っていた。それが音楽との出合いだった。
「当時はギターを持っているだけで不良って言われたけど、全然悪い人たちじゃない。けんかとかするわけじゃないし。言ってみれば、みんなただのドラ息子。そんな先輩たちに囲まれて、いつしか歌うようになってたんだ」
中学・高校にかけて、ロックからハードロック、そこからブリティッシュ・ブルースへと移っていく。そしてエリック・クラプトンからルーツをたどり、R&Bや黒人のブルースへとはまっていった。ギターにはまるのもそのころ。
高校を出て上京するも、1年半ほど新宿のディスコのハコバンで演奏活動した後、帰郷する。
「実家に帰って、結構弾き語りのバイトなどで食えるようになって。23歳のころには、大学卒の初任給が7~8万円ぐらいなのに、30万円ぐらい稼いでたから。で、前橋の一流クラブからお声がかかったので、この道で食べていけるかなと」
しかし挫折が訪れる。再び上京し、「最後の20セント」や「ケントス」といった有名ライブハウスで演奏するようになるが、「35分のステージを1日6回。月に3日ほどしか休みがないような生活を何年か続けているうちに、行き詰まったんです。歌なんか歌いたくないと思うようになっちゃった」。
一時期、音楽から離れるが、やはり完全に縁を切ることはできなかった。歌いたいという思いが強くなり、再び群馬でステージに戻ったのだ。
「徒花~」を作曲した杉本とは一緒にライブ演奏する仲だ。群馬にすごいやつがいると聞きつけた杉本が、HORIKENの演奏するライブハウスに足を運んだことをきっかけだった。
「ライブ中に、杉本先生から『お前太りすぎだから、やせろ。やせたら曲を書いてやる』と言われましてね。当時80キロぐらいあったのを、60キロまで落として、書いてもらったのが『徒花~』というわけですよ」
そのダイエットをきっかけにはまったのがロードバイク(自転車)。還暦を迎えたとき、前橋から東京、そして京都まで自転車で完走したという。シニアの星は、やはりただ者ではなかった。(ペン・福田哲士/カメラ・松井英幸/レイアウト・
井坂良貴)
■HORIKEN(ホリケン) ブルース・シンガー。本名・堀憲輔。1955年1月12日生まれ、65歳。群馬県出身。
70年、アマチュアで音楽活動を開始。85年からオールディーズR&Bバンド「スクラッチ」などで活動。2010年には初のソロアルバム『HORIKEN sings favorites with friends IT’S MY TREASURE』をリリース。15年に還暦記念のアルバム『HORIKEN 60』を発売。
20年3月、シングル『徒花は咲いたか』でメジャーデビューを果たした。
提供元:Yahooニュース