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「勝手にしやがれ」はキザな沢田研二だからこそサマに(日刊ゲンダイDIGITAL)

【あのヒット曲 意外な誕生秘話】
沢田研二「勝手にしやがれ」
◇ ◇ ◇
沢田研二の代表曲「勝手にしやがれ」は、阿久悠の傑作だと思うが、本人の評価はそこまでではなかったようだ。
生涯で5000曲以上を作詞した阿久悠が「自分の作品で好きなもの」の第1位にあげたのは、同じ大野克夫とのコンビで生み出したジュリーの「時の過ぎゆくままに」なのである。だが、その後のジュリーの立ち位置を決定づけたという意味では、私は「勝手にしやがれ」が決定打だと思っている。
いまさら言うのもくどくなるが、昭和40年代から50年代にかけて、若者たちを熱狂させたグループ・サウンズ。その中にあって、人気の面で一頭地を抜いていたのがザ・タイガースの沢田研二だった。甘いマスクと歌声で数多くのヒット曲を飛ばし、10代の女性ファンが「ジュリー!」と絶叫しながらステージに殺到したものだ。
このGSブームはあっという間に終わった。生き残ったのは、堺正章や井上順、岸部一徳、ショーケンこと萩原健一らホンの一握り。それも俳優に活路を見いだした者が多かったが、ジュリーはタイガース解散後、紆余曲折ありながらも人気ソロ歌手としても見事に復活を果たした。「危険なふたり」「追憶」、そして「時の過ぎゆくままに」を連発。この年、27歳だったジュリーは、7歳年上のザ・ピーナッツの姉・伊藤エミと結婚。当時、人気絶頂歌手にとって結婚は大きなマイナスに動くものだが、勢いで乗り切った。その2年後に発売されたのが「勝手にしやがれ」だった。王貞治がホームラン世界記録の756本を打った1977年は、ピンク・レディーの「ウォンテッド」、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」など阿久悠の全盛期でもあったが、「勝手にしやがれ」はレコード大賞はじめ、賞という賞をほぼ総ナメにした。
阿久悠がこの曲のヒントを得たのは、世界的にヒットしたジャン・ポール・ベルモンド主演の映画「勝手にしやがれ」からだった。最初にタイトルがひらめき、映画の中で無理をして女の前でええカッコするキザな男にテーマを得て、大胆な詞を書いたのだった。
そのタイトル、詞ともに、いつも斜にかまえ、キザったらしと照れを併せ持った沢田研二でなければサマにならない歌だった。
曲の最中に、かぶっていたパナマ帽を客席に投げるパフォーマンスは、子どもたちが学校でマネをするほど話題にもなった。その意味で「日本のショービジネスを変えた男」として、人気を不動のものにした代表曲なのである。
最近の沢田研二は、大スターの矜持は持ち続けているものの、年齢相応の役柄を表現する機会に久しく恵まれていない。残念な気がするのだが、キザな本人は「勝手にしやがれ」と思っているのだろう。
(塩澤実信/ノンフィクション作家)
提供元:Yahooニュース